日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

白鵬について(2)

2006年05月23日 | スポーツ
白鵬が14勝1敗で優勝した。見事な優勝である。日本人でない点などどうでもいい立派なものは立派である。精神的な落ち着き、全身全霊で相撲に取り組んでいる姿勢は立派である。既に技量、品格ともに横綱である。
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靖国問題は総裁選の争点である

2006年05月23日 | 政治
 靖国問題は総裁選の争点にすべきでないという意見があるが争点にすべきである。
 靖国に参拝しない人物が総裁になればまた靖国問題が振り出しに戻ってしまう。
 参拝しないということはA級戦犯を犯罪者として改めて宣告することにひとしい。これは先人の意向に反し、歴史の事実に反し、死者に対する日本人の扱い方に反する。歴史の当事者でない我々が「犯罪者ではない」と主張してきた先人たちに唾を吐きかける行為になる。今度の総裁は靖国に参拝する人でなければならない。
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私の歴史認識

2006年05月06日 | 歴史
子供の頃、日本についての知識は新聞から得たものでした。「好戦的な日本」と表現されていました。周囲の軍隊帰りの人たちを見ていてとても好戦的とは見えません。普通のおだやかな日本人でした。「好戦的」という言葉をみると事実無根の日本の悪口を言われているようで憤っていました。
小学生の3年くらいだったでしょうか。天皇陛下とマッカーサーの会見に関する記事を読みました。そこで天皇陛下が「日本将兵の行ったことの責任はすべてわたしにある」といわれたというのを読みました。小学生の私はこれを当然と思いました。天皇に責任があるというのではありません。日本の一番上にいる人であれば責任があるというのは当然であるという意味と責任逃れをするのは卑怯だからという二つの理由からです。
なぜこういう感覚が育ったかと考えてみて学校で教えてもらった記憶はありません。ただ、ちゃんばらごっこを通して「卑怯だ」とか「卑怯なまねはするな」という言葉を何度も口にしていました。
従って「敗軍の将は潔くしなければならない」という考えは当然知っていました。私が天皇であれば同じことを言うだろうと思ったのはこういう背景があったのでしょう。天皇は日本文化の体現者であり子供でも当然と思うことを言われたにすぎない。その意味で戦後の一時期は調和が取れていたといえるでしょう。子供にもきっちり日本的精神は受け継がれていたのですから。
 東京裁判について詳しく知るようになったのはもっと後ですが、敗戦により見せしめに処刑された人たちで犯罪者ではないという認識は一度も変わりません。上にいた人たちだから処刑された。戦国時代の戦いは勝ったほうは負けたほうの指導者数人を処刑して後はお咎めなし。それと同じことが20世紀に行われたと認識していました。犯罪者だからではなく負けたから処刑された。これは殆どすべての日本人の認識であったといって間違いない。実際はそんな単純なものではありませんでしたがーーーーー。東条英機自身、日本を敗戦に導いた責任は認めていました。日本国家および国民に多大な困難をもたらしたという意味で「万死に値する」ことを認めていました。ただ東京裁判での判決を認めたA級戦犯は(東条英機を筆頭に)一人もいませんでした。 
現在靖国が問題になっているが中国共産党の政治的な宣伝工作であって、日本政府の対応のまずさによって大きくなったものです。中国共産党が倒れれば消えてしまう性質のものです。中国の主張を配慮することはA級戦犯を犯罪者として扱うことになります。これは我々の先人の意向に反しますし、歴史の真実にも反しています。日本の死者に対する扱い方にも反しています。共産党の政治宣伝に付き合う政治家は歴史から手ひどいし返しを受けるのはまちがいないでしょう。
 先の戦争に関して反日感情がもっとも強かったのはフィリピンです。この強い反日感情も10年すると嘘のように消えてしまいました。これが反日感情の自然な姿です。憎しみはそんなに長く抱き続けることはできません。60年もたって反日感情が燃え盛るなんて全く不自然で意図的なものです。これがすべて小泉のせいだと強弁する。こんな嘘の話にだまされてはいけません。
 ここで中国がこれまでやってきた国際工作を上げてみましょう。
 昔、北京とアルバニアと仲が良かったことがあります。次には中国とインドネシアが仲が良かったことがあります。北京ジャカルタ枢軸といわれていました。その間ずっと米帝国主義反対を叫んでいました。その後ソ連と仲が悪くなり、社会帝国主義を盛んに攻撃していた時期があります。このころは中国は日本に防衛費1%は少ない。2%程度にはするべきだと盛んに日本の再軍備を主張していました。ソ連と中国が戦争した場合に日本に助けてもらいたかったのです。
 その後ソ連が崩壊して、共産主義から資本主義へ変化してしまったので今度は社会帝国主義反対から日本軍国主義反対に変更したのです。常に外国に敵国がいないと困るのでです。日本の行為がどうだこうだというのはつけたしです。何か理由をつけて攻撃するわけです。まじめに考える必要はありません。 
 
 
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