日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

フードデザート=食の砂漠ーーーなぜ英語を使う

2010年02月03日 | 日本語
 昨日のNHKのクローズアップ現代で食料品店が近くに無くてお年寄りが困る問題を扱っていた。この問題を英語で「フードデザート」といい日本語で「食の砂漠」と言い換えていた。文字で表示するときには必ずフードデザートと食の砂漠を並列して示していた。まだ誰もフードデザートと言っても知名度が低く理解されないため食の砂漠と書かざるを得なかったのであろう。話の中でも一つ一つ「英語でフードデザートといい日本語では食の砂漠の意味で食料品店が閉鎖され食料品が簡単に買えなくなりお年寄りが困る問題である」としていた。なんとまどろっこしい話であろうか。ここで「英語でフードデザートという」ことは一度言えばいいのに毎回言ってその都度「日本語で食の砂漠の意味だ」というのはおかしい。「フードデザート」を一度も使わずに「食の砂漠」という日本語の名称だけを使って話をすればすっきりしてわかりやすい番組になる。公用語は日本語だから日本語だけで説明すべきではないだろうか。NHKの態度は「フードデザート」を日本人に覚えさせたいと考えているかのようである。番組では常に「フードデザート」と「食の砂漠」を並列に並べて話を進めていた。NHKは次にこの話題を扱うときには「フードデザート」を主にして「食の砂漠」は時々出そうと考えているのではないだろうか。NHKは日本語を廃し、日本人に英語を使うことを強制しようと考えているように見える。或いは英語が正しい言葉で日本語は間違った言葉であると考えているかのようである。
 この番組では「フードデザート」という英語を一度も出さなくても話を構成できる。国民に食の砂漠の問題を知らせ、考えさせることはできる。英語の「フードデザート」を使えば日本語の「食の砂漠」を示して何度も説明しなければならない。同じものをさすのに「フードデザート」と「食の砂漠」の二通りの表現がありどちらを使うか迷うことになる。これを「食の砂漠」だけに限定すれば話は簡単に、わかりやすく、直接的になる。日本は文化国家であることを標榜するのであれば日本語の方を優先すべきである。
 この問題は戦後における日本語の大きな問題である。デザートと砂漠、フードと食料、ドルフィンといるか等、日本語と対応する英語が並列して日本語の中に使われているという問題である。学校とスクール、手とハンド、紙とペーパー、板とボード、靴とシューズなどなど枚挙に暇がない。 昔はカタカナ語は英語、外来語と意識していたがあまりにも頻繁に使うと、外来語の意識が薄れて日本語と思ってしまう。さらに「ドルフィン」と「いるか」が同じ意味であることがわからなくなり、違う単語だと思う危険性もある。
 現在NHKは台湾を扱った番組が偏向しているとして1万人以上から訴えられて裁判が進行中であるがその番組名は「プロジェクトJapanデビュー」である。この名前には全く日本語がない。これが国営放送というのであるからあきれる。NHKの設立目的には日本の文化を発展させるという目標が挙げられていたはずだ。NHKは日本語、日本文化、日本の国家の破壊を目的としているかのように見える。1万人が訴えるのは当然ではなかろうか。NHKは狂っている。
 このようなNHKの存在を許している日本も狂っているといえそうである。
コメント
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