日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

民主党による「自民党の悪口」の研究

2009年10月31日 | 政治
 政権交代で自民党は完敗した。そして民主党を中心とした政権が実現した。現在は民主党が政権を運営する。その中で自民党への悪口を言いたい放題に言っている。
 自民党は全く反論しないというより反論できない。もちろん民主党が野党の頃から自民党の悪口(自民党へのレッテル張り)は最大限利用した。実際に政権を取ったあとは国民が我々を支持したという事実の裏づけは大きい。民主党の言いたい放題である。こういうことはよく行われていたことである。明治維新で出来た新政府は江戸時代は階級社会で明治は四民平等になり文明開化したと新政府のありがたさを強調した。その結果江戸時代は暗黒の時代であるという間違った印象を国民が受けるほどである。
 これと同じことは敗戦の際にも発生した。戦後利得者たちは戦前は天皇絶対の君主制であったが戦後は国民主権の民主主義になったと宣伝した。戦前の世の中も言論の自由と思想の自由を認められ、国民は何不自由なく暮らしていた。政権交代も大正時代には何度も経験している。それにもかかわらず戦前は暗黒であったということになっている。
 それと同じことが民主党への政権交代で起こっている。民主党は出来るだけ自民党に悪いレッテルを張ることに集中している。例を挙げよう。

 1.税金の無駄遣い
 2.官僚のいいなり
 3.命を大事にしない政治
 4.天下りで国民の金を私物化している

  政権を去った自民党は砂袋状態で言われっぱなしである。おかしな評価が定着してしまう。
 しかしながら民主党が自民党に張ったレッテル(上に示す)は殆どが誤りである。それは民主党が自ら主張の誤りを認める形で決着するであろう。
 例えば天下り禁止と言っていたけども何れ天下りは認めることになる。その手始めは郵政会社の社長人事である。また政治主導といいながら官僚の力は借りなければ何事もうまくいかない。前原大臣は八ヶ場ダムを中止するといっているが関東地区の全員の知事が反対している。彼らはダムをちゅうしすることが税金の無駄遣いと主張し、前原大臣は殆ど有効な反論が出来ない。
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「漢字かな混じり文の精神」が出来上がりました

2009年10月27日 | 文化

 11月3日の予定が昨日納品されました。1週間後にはamazonn などにも紹介されるようになると思います。

 「漢字かな混じり文の精神」、村島定行著 p162
 風詠社発行、星雲社発売

 読み返してみると文章が突っかかり引っかかりですんなり頭に入らない。これでは読んでくれないだろうと思う。時間をかけて文章を練ればよかったかもしれないがそこまでの持続力はなっかたのも事実である。
 いい加減なところで終了宣言をしてしまったと言えようか。
 この本の概要と目次は10月6日のブログにあります。

 

 

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岡田克也外相、天皇陛下にイチャモン、懲戒免職に値する行為

2009年10月25日 | 政治
 岡田克也外相が天皇陛下の国会開会のお言葉に「魂がこもっていない」と発言した。何を根拠に魂がこもっていないと言うのか。お言葉は政府が決める問題で天皇陛下が言葉を選べない。いつも同じ言葉であるのは政府が用意する文書が同じことによる。読み方に魂がこもっていない等というのは根拠のない言いがかりである。お言葉にイチャモンが付けられると考えること自体大きな考え違いである。思い上がりも甚だしい。何様と思っているのであろうか。
 岡田克也は君が代は民主主義国家に歌詞がふさわしくないと発言している。歌詞だけでなく天皇がいること自体ふさわしくないと考えているのである。「天皇陛下のお言葉に魂がこもっていない」という岡田克也の発言の裏には天皇そのものが居ない方がいいという考えが存在している。
 国民統合の象徴である天皇陛下に根拠のない誹謗をしておいて何の謝罪もしないのはどういうわけか。デタラメな男が外務大臣をやっているものである。懲戒免職がふさわしい。民主党が罷免しなければ自民党は国会で不信任決議案なり懲罰動議などを出さなければならない。
 明治時代なら不敬罪で禁固刑、江戸時代なら確実に天誅を加えられるような行為である。

 前のブログで民主党の東アジア共同体構想が何も考えられていない単なる思い付きであることを述べた。鳩山首相が「米国の関与を求めると」発言すると同じ時刻に岡田外務大臣は「米国が含まれるようにはなっていない」と正反対の発言もしている。こんなデタラメな状態では日本の発言は信用を失っていくであろう。
 外相岡田克也は政治家としての資質に欠けると言わざるを得ない。政治の場から去って自分のスーパーの重役になって売り上げ増に専念するのがふさわしい。それが国民のためである。
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韓国における漢字禁止の理由は日本語追放

2009年10月25日 | 文化

 韓国において漢字が禁止されたのは1948年である。表向きは漢字禁止であるが韓国語の単語のうちで漢語が70%以上を占める。その漢語も殆どが和製漢語なのである。韓国は李朝時代の後れた時代から日本による朝鮮統治で近代化に必要な用語は全て日本語を導入した。政治、経済、文化、学術、殆どの必要語彙は日本語からの導入であった。公用語が漢文の時代から日本語の漢字かなまじり文へ移行したのであるがかなの部分をハングルに置き換えた漢字ハングル混じり文が公用語になったのである。従ってかなとハングルの違いがあるだけで漢語の部分は殆ど共通だったのである。
 戦後北朝鮮と韓国が独立するに際して、独立国の体裁を整えるためには日本語と殆ど同じ漢語を使用していては独立国としての権威に傷がつくと考えたのであろうか。理由は正確にわからないが日本語らしさを消すという狙いがあったことは間違いないであろう。漢字が禁止され、全ての単語はハングルで書くようになったが単語自身が変わったわけではない。膨大な和製漢語群はハングル表記されたまま使い続けられたのである。見掛けは日本の漢字かな混じり文と大きく違っていたがその基層においては膨大な数の和製漢語群が生き続けたのである。
 最近の韓国人は殆ど漢字を読めない。従って日本語を勉強しなければならない留学生は膨大な漢字を覚えるのに苦労している。しかしその苦労の中にも報われることがある。単に日本語を覚えるだけでなく、韓国語の意味を深く理解できると言う利点を感ずるということが起こるのである。彼らがハングルで表記していた和製漢語を漢字で表記することでその単語の意味がより深く理解できるようになるということが起こるのである。その中で韓国語の中に如何に日本語から多くの単語を借りてきているかを知って愕然とするという副産物もある。
 このことは韓国人が漢字禁止により、本来知るべき単語の深い意味を知らされずに来たということを意味する。いずれ韓国も北朝鮮も漢字を復活させる時代が来ることを信じている。そうなれば現在の韓国と北朝鮮の公的な歴史観「朝鮮は全く日本と無関係に近代化した」という歴史観が覆るときであろう。そうならないと日韓の真の和解の時代は来ないと考えられる。

 その意味で日韓の和解が実現するのはまだまだ先のことである。

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アジア共同体について何も考えていない民主党

2009年10月25日 | 政治
 アセアン諸国との会合に鳩山首相が出かけている。政権交代後東アジア共同体を推進すると話が注目を浴びているがアセアンからはアセアンが中心にならなければ意味がないという反応が出ているし、中国は東アジア共同体は我々がいいだしたことだという話も出ている。中国は政治的には共産党の、民族的には漢民族の独裁国家であり、日本とは価値観が違うことを忘れていると言う非難も出ている。
 一番大きな問題は日本の安全保障が米軍によって守られてるいることだ。鳩山首相は経済問題の解決と安全保障を東アジア共同体で実現するという。米軍に拠って日本の安全保障を実現している現在から東アジア共同体で安全保障を実現する方向へ転換するつもりであろうか。その真意は何であろうか。中国の核兵器によって守ってもらうつもりなのか。中国は強盗と同じだから自前の軍事力がなくて大丈夫かという心配にどう答えるつもりなのか。真意はわからない。米国に守ってもらいながら東アジア共同体に入りたいというのであろうか。アセアン諸国だってそれぞれ自前で自国を守っているのである。自前で国を守れない日本が大きな顔をすべきではないと思うがどうであろうか。鳩山首相が米国の関与を求めると言う一方、岡田外務大臣は米国まで含めることにはなっていないと発言する。民主党は結局、何も考えていないのに等しい。単なる思いつきで発言しているのである。
 アジア共同体等について発言する前に日本の安全保障をどう実現するかを考えなければならない。もう外国に日本の安全を守ってもらうと言う考えは捨てて自分の力で安全を保証する方向へ進まなければならない。
 そのためには防衛費2%程度は必要である。
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民主党のふらつきが始まっている。

2009年10月22日 | 政治
 民主党のふらつきが始まっている。自民党が廃止した母子手当ての復活が公約であったが全額でなくて半額だという声が出てきた。さらに子供手当ては全額国が面倒を見るといっていたが一部は地方自治体にも負担させるという案がでている。地方に負担させるなんて誰も聞いていないと地方自治体は反発するであろう。八ヶ場ダムについてはマニフェストにあるからとばっさりと切る案を出してきたが母子手当てを半額にするとか子供手当てを地方にも負担させる等というのはマニフェストにはないのである。選挙で勝ったからといって公約の全ての項目にOKというわけにはいかないのである。その中の主要なものについては選挙で了承されたといえるであろう。例えば小泉さんは郵政選挙で郵政改革は理解を得たといえるであろう。今回の選挙では子供手当てと所得保障については国民の賛成が得られたといっていいであろう。それ以外については是々非々でやっていく以外にない。そういう憲政の常識さえ民主党はわきまえていない。 麻生太郎氏を民主党はブレまくると非難したが全く的外れであった。現在の民主党のふらつきに比較して麻生氏は微動だにしていなかったといえる。民主党が子供手当てを地方に負担させるなどというのは全くの詐欺である。国民を騙したといっておかしくない。
 ふてま普天間基地の移転問題についても県外か国外かと言っていたが具体案は何もないのである。何もなく希望を与えるようなことばかり言って結局は引き下がるだけであろう。日米対等な関係にしたいと思えば防衛費2%程度にしなければ対等にはならないのである。
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楽天の勝利、おめでとう!

2009年10月18日 | 経済
 楽天がソフトバンクに勝った。次は日本ハムとのリーグ優勝決定戦である。球団創設5年目でやっと2位になり今回のクライマックスシリーズ出場にこぎつけた。観客のあまり入らない球場で、いかにも新設球団という趣を残した球団がリーグ優勝決定戦への出場を賭けたソフトバンクとの戦いに圧勝した。おめでとうといいたい。フアンが「田中投手の快投と山崎のホームランを見たい」と語っていたが、希望通りの試合で、さぞ満足したことであろう。
  山崎武司は中日時代に一度突然変異的に39本のホームランを打ちホームラン王になっているが確実な選手ではなかった。中日をお払い箱になり、オリックスでも2年で戦力外の通告を受け、楽天の門を叩いたという男である。野村監督から「投手の配給を読めばホームランを量産できるから読んでみたらどうだ」といわれて、半信半疑の山崎はベンチにいるときに投手の配給を読んでみるとどの投手にも癖があることがわかったという。それまでバッターボックスにいるときしか考えたことがなかったのが配給を読むと面白いほどに当たったという。それが2007年の43本のホームランに結びつき、2度目のホームラン王になることが出来た。こういう話を聞くと山崎武司が出来の悪いどら息子でちょっとしたアドバイスで見違えるばかりに立派な成功者になるという庶民の夢を代弁しているように感じるのであろう。
 楽天の選手は次は日本ハムを破るという。期待している。
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サッカー、アルゼンチンW杯へ

2009年10月17日 | スポーツ
 アルゼンチンが南米地区4位でW杯への出場を決めた。いつも一位か二位で通過するのに今回は終盤で連勝してやっと滑り込んだ。監督マラドーナは名選手であったが麻薬吸引歴があって日本への入国が禁止された経験もある。一時ぶくぶく肥って見る影もなかったと記憶している。指導力を問題にされながらアルゼンチン代表チームの監督になったのは一度は監督をさせないとフアンが承知しないといわれるほどの名選手であったことによる。
 マラドーナが監督になってからの成績は終盤連勝して4勝4敗で指導力に対する不安が根拠のないものでないことを示しているが記者会見でマスコミに対して吐いた暴言が問題になりFifaは規律委員会を開催することを決めたと言う。W杯まで指揮を取らせて欲しい気もする。
 欧州からはスエーデンとチェコが出場できなくなったと言う知らせが飛び込んできた。両チームともFifaランキングで5位以内だったことのある強豪チームである。
 アジアではバーレーンがサウジを5位決定戦で破った。ともに 0-0 及び 2-2 の引き分けで、アウェーでの得点を2倍してバーレーンが 4-2 で勝った。最後の試合ではロスタイムで1点づつ入れあうという激戦であった。オセアニア一位のニュージランドとの大陸間プレーオフを戦っている。ホームでの試合で 0-0 の引き分けでバーレーンは来月14日のアウェーで勝つ以外にない状態になっている。
 バーレーンは前回のW杯でトリニダードトバゴとの決定戦で破れ初出場を逃している。バーレーンは是が非でも勝ちたいであろう。もしバーレーンが敗れればアジアのレベルが相当低いということに成りかねない。今回から豪州がアジア地区に転籍し、アジア最終予選A組トップで通過しているので元オセアニアの豪州がアジアチームの一国を食っていることになる。その上ニュージーランドまでアジアチームに勝ってW杯に出ることになればアジアのレベルの低さは歴然としているといわれるであろう。その意味からもバーレーンには勝ってもらいたい。
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思想の道具としての日本語(続)

2009年10月13日 | 日本語
池澤夏樹氏(作家)の「思想の道具としての日本語」という講演の後半です。
●語彙・文体とともに西洋思想を受容した明治の日本
 明治の初めに、日本人は再び同じことを体験します。鎖国を解いて開国を果たした我が国に、今度は西洋から、新しい文化とともに、新しい言葉が大量に流れ込んできたのです。
 日本人が初めて接した西洋の思想を形作る様々な概念は、そのほとんどが漢字二文字の熟語に翻訳され、おびただしい数の新語が生まれました。しかし、この時採り入れられたのは、語彙だけではなかった。
 柳父章著『近代日本語の思想』によれば、例えば大日本帝国憲法の「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」という条文に見られる、主語・述語を備えた「文」の形すら、それまでの日本語にはない、西洋からの借り物だったというのです。確かに明治維新の際に公布された五箇条の御誓文でも、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」に主語はありません。さらに、江戸期以前へとさかのぼってみても、今私たちが見慣れている西洋語的な「文」は見当たらないです。
 このように、明治時代の日本人は語彙を作り、文体までも新たに作って、西洋思想を受容していきました。ただし、今あらためて眺めてみると、翻訳に際しての漢字の選び方が適切であったかどうか、疑問を感じる言葉も見受けられます。例えば「権利」は、僕なら「得」を連想させる「利」ではなく、英語の「right」が持つ「正しい」という意味につながる「理」を使ったでしょう。「権理」と書いた方が原義に近い。実際こうした翻訳の過程で西洋的概念の多くが日本的なものに変質していったと思われます。しかしこれは、優れたものを取り込んで日本流にアレンジするという中国文化受容以来の日本のやり方にほかなりません。ただ、日本の知識人には、いちいち言語に立ち戻って言葉の意味を確認するという作業が、不可欠なものとしてつきまとうことになりました。
 いずれにしても日本語の中で思想の道具として機能してきたのは主に外来語、中国語や西洋語に起源を持つ漢字語であったと言えるでしょう。これに対し「やまと言葉」は、「頭」より「心」に近い部分、「理屈」より「情」を表現する機能を主に担ってきました。
 このことは日本人のいわゆる「建て前」と「本音」の二重性にもつながっているように思います。背広を着て外来語を使って理屈で考える自分と、浴衣を着て「やまと言葉」を使って情を表現する自分を使い分けるのです。 では「やまと言葉」には思想を構築する力はないのでしょうか。そんなことはありません。一例としてもっぱら「やまと言葉」を使い、優れた日本人論を展開した民俗学者折口信夫の名を最後に挙げておきたいと思います。

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論評。
 「天皇は神聖にして犯すべからず」は主語・述語のある新しい文体で西欧から受け入れたものとありますが、この文章は昔からある大和言葉の典型的な文章と思います。いわゆる清少納言の「春は曙」と同じ文体です。たしかにこの文章には欧文から翻訳した文章の臭みがあります。欧文には主語があり日本文には主語がありません。主語の部分を翻訳するには提題の助詞「は」を使うのが便利なのでよく使われますが「は」はここでは主格補語と目的格補語を兼務していますが本務は提題の助詞です。文のつながりをみれば「天皇を犯すべからず」となりますから目的格です。冒頭の文章には相変わらず主語はなく、新しい文体とはいえません。つまり西洋からの借り物ではなく、大和言葉そのものなのです。明治以降に主語のある文章が書かれるようになった事実はなく、現在でもあらゆる日本語の文章に主語はありません。
 次に「日本語の中で思想の道具として機能してきたのは主に外来語(中国語や西洋語に起源を持つ漢字語)であった」という部分ですが前回の論評で書いたように純粋の中国語は仏教用語を中心とする1割か2割に過ぎず、西欧語に起源を持つ漢字も殆ど日本人が考えたもので外来語というのは問題があります。漢語は訓読みを通して大和言葉と密接に結びついています。例えば「鉄道」、「戦争」を音読みしても、「鉄の道」、「戦い争うこと」 という大和言葉が瞬時に連想されて、大和言葉と同じに感ずるように日本人は出来ているのです。
 以上述べてきたように後半部分の表題「語彙、文体とも西欧から受容した」と言う文章そのものが成立するかどうか怪しいともいえるのです。語彙は殆ど日本語であり、文体も平安時代以来の文体と全く同じものを使っているのです。文体は全く自前のものです。
  ここに漢字かな混じり文を見直すべき契機があります。漢字を日本語の表意文字に採用したことにより、漢語が大和言葉の一部になってしまったと言えるのです。日本語は漢語を縦横に駆使して思想を展開しますがこれが日本語(即ち漢字かな混じり文)の力なのです。漢字かな混じり文は固有の言語大和言葉を変えることなく保存し、さらに漢語による強力な造語能力を備えた豊かな機能をもった書き言葉なのです。
 思想の道具としての日本語の端倪すべからざるところです。
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思想の道具としての日本語

2009年10月13日 | 日本語

池澤夏樹氏(作家)の「思想の道具としての日本語」という講演の前半です。
●「漢字かなまじり」の形を生みだした日本語
 「思想の道具としての」、つまり、何かを理屈を通して考える、もののことわりを明かすというような場合の日本語の特質について歴史をさかのぼってお話ししてみようと思います。
  日本語の中には2種類の言葉があるのではないかと考えています。普段はあまり意識しないけれど、機能においてはかなり違う。簡単に言ってしまえば、古来の日本語である「やまと言葉」と「外来語」です。
  やまと言葉は名詞、中でも抽象名詞の語彙が非常に少ない。もともと新しい概念に対して新しい言葉をつくる造語力があまりなかった。そこへある時、漢語つまり当時の中国語が、最先端の文化とともに外来語として入ってきた。これは漢字というユニットを組み合わせて自在に新語をつくれる、造語力に優れた言語だった。それで日本語は、特に理屈っぽい抽象名詞について新語の生産をそちらに任せ、この種の「やまと言葉」の語彙は以後ほとんど増えなかったのです。わかりやすい例としては、「むね」「はら」「め」「みみ」はあるけれど、目に見えないその内側、「心臓」「胃」「腸」「脳」にあたる「やまと言葉」は見あたりません。
  もちろん、日本語と中国語は文法的にまるで異なるので、漢字を日本語に採り入れるためには、大変な知的工夫が必要でした。日本人は、漢字をもとにした表音文字である「かな」を創るとともに、漢字を中国語の発音どおりに読む「音読み」と、同じ意味の「やまと言葉」に強引に読み換える「訓読み」とを併用するという方法を発明し、独特の「漢字かなまじり文」を生み出しました。
  こうして日本は、漢字をメディアのひとつとして中国の進んだ文化を吸収し、それをアレンジして、独自の文化を発展させるというスタイルを確立したのです。これは、全部をゼロから自分たちで作らなくてよい、しかも自分たちの文化の独自性も残せるという、とてもうまいやり方だったと思います。
  そして、「漢字かなまじり文」を駆使した優れた思想家も数多く現れました。空海、道元、親鸞などの仏教思想家、ユニークな自然社会主義を唱えた安藤昌益や富永仲基などなど、枚挙にいとまがありません。すなわち、日本語は思想の道具として十分に機能してきたといえます。

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論評ーーーー
  池澤氏は漢字は中国語即ち外来語として説明をされています。これは一般的に受け入れられている考えとは思いますが漢字は「はは」、「ちち」、「やま」、「かわ」、「かぜ」、「うみ」、「あめ」、「ゆき」、「ころも」、「こころ」、「おとこ」等の大和言葉を表すために使われています。即ち「母、父、山、川、風、海、雨、雪、衣、心、男」です。漢字は大和言葉を表すために使われています。「ひらがな」が大和言葉を表すために使われているのと同様です。漢字は中国が発明したものですが日本語の表意文字になっているのです。
  漢字は中国が生み出したものです。こういう優れたものをそっくり日本語表意文字として頂くことは自然で、楽な方法です。日中で同じ漢字を使うのは多くのメリットがあります。中国製の漢字はたくさんありますが日本語の必要性を満たすには十分ではありませんでした。不足する分は日本人は勝手にたくさんの国字(和製漢字)を作っています。その数は1万字になります。
 では日本語表意文字を使ってつくられた新しい単語は中国語でしょうか。「海風(うみかぜ)」、「東風(こち)」、「雪男(ゆきおとこ)」、「川魚(かわざかな)」などは大和言葉といって誰にも依存はないでしょう。「独立(どくりつ)」、「人民(じんみん)」、「宣言(せんげん)」、「共和国(きょうわこく)」は中国語でしょうか。これ等は全て日本で作られた漢語で中国人が日本から輸入して使っている単語です。こういうのは外来語とは言えないでしょう。ところが日本語の中ではこういう外来語と言えない漢語が大部分なのです。漢語の8割から9割は外来語と言えないものです。
 日本語では漢語が大和言葉と同じ容易さで理解できるのでかなりの部分の新語は漢語に依存するようになりました。これがなければ全て大和言葉で新しい単語を作ったはずです。大和言葉もそれなりに造語能力があるはずです。
  漢字かな混じり文では訓読みが許されているため、漢字に関しては翻訳は必要ありません。 山は「やま」、海は「うみ」です。したがって漢語は大和言葉と同じ程度に意味が明白といえます。これは漢語も大和言葉の一部と考えるべきであることを示しています。
  ここの辺の事情は漢字かな混じり文が成立したときに漢字を使った豊かな造語能力が日本語に備わったと解釈しています。漢字かな混じり文が成立後、多くの漢語が作られましたがこれは外来語ではなく日本語であると考えればいいと考えています。ほとんどの漢語は日本人が最初に作ったものだからです。
  漢字は日本語の中に取り入れられましたが重要な点は大和言葉の基本は変わって居ない点です。日本製の漢語がたくさん使われるようになりましたが大和言葉の基本は変わっていません。大和言葉に訓読みと漢語による造語法を加えた漢字かな混じり文が日本語の書き言葉ですが、思想の道具として充分役に立ってきたことは池澤氏の指摘の通りです。

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オバマ米国大統領のノーベル平和賞はおかしい

2009年10月12日 | 経済
 オバマ大統領がノーベル平和賞をもらった。何回か核廃絶を口にしただけで平和賞をもらえるとは甘いものだ。いろいろおかしいところがあるが平和賞なんてこんなものであろう。
 パレスチナ和平でイスラエルのラビン首相とパレスチナのアラファト議長がノーベル平和賞を受賞した。このときの受賞は和平を話し合おうと合意しただけであった。実際に何の進展もしていない。今世紀なって金大中が朝鮮半島の平和を実現しようと北朝鮮と合意したというだけで受賞している。今回のも同じで核廃絶を言い出しただけでもらった。
 核廃絶は多くの人が核を持つようになって偶発的な事故が起こったり、実際に核兵器を落としあうことが起こらないと核廃絶には行かないような気がする。早くノーベル賞をやらないと難しいことがわかって核廃絶の機運がしぼんでしまうという危惧があったのかもしれない。こうしてみると明確な沖縄返還を実現した佐藤栄作首相のノーベル平和賞は立派なものだ。
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Jリーグの人気についての考察ーーー名称について

2009年10月07日 | スポーツ
 サッカーのJリーグの人気がイマイチで盛り上がらないため「今の小学生にはJリーグはわからない」と様々なところで論じられているいるらしい。野球ほどサッカーが人気がない理由を考えてみた。
 まず「Jリーグ」という名前がよくない。野球の場合は通常「プロ野球」というがこれに対応する言葉は「Jリーグ」では言葉に力がない。「Jリーグ」には「サッカー」ないし「蹴球」という言葉が入っていないので「Jリーグ」と聞いても何の話かすぐにはわからない。JというのはJapanの頭文字と思うが非常に弱い。訴える力がない。「プロ野球」には野球が入っているので分かりやすいし、「プロ」も力強い響きがある。プロフェッショナルの略だと言うのもすぐ分かる。日本のプロの最上級のサッカー試合であることがすぐ分かる名前を考えるべきである。
 次に野球と比較するがチームの愛称がわかりにくい。読売ジャイアンツ、楽天イーグルス、横浜ベイスターズ、阪神タイガースとよく知られた愛称になっている。ところがサッカーの愛称は意味不明のものが多い。ガンバ大阪、清水エスパルス、鹿島アントラーズ、フロンターレ川崎、コンサドーレ札幌など私には分からない名前ばかりである。分かるのは地名の部分だけである。愛称というのであれば分かりやすくて、言いやすくて、覚えやすいというのが条件ではないだろうか。国民のなかに確固とした人気を保持したいのであれば熊本もっこす、博多のぼせもん、薩摩はやと、川内がらっぱなど覚えやすい名前を考えるべきではなかろうか。
 この間サッカーの試合を見ていたら応援席からファンが「ウイアーレッズ」「ウイアーレッズ」(We are reds の意味か)と連呼していた。こういう外国の物まねをやらされたら盛り上がったサッカー熱も一気に冷めてしまう。こういうよそ行きの部分を変えて親しみやすい自然な姿に変えることが必要ではないだろうか。
 サッカーは独創的であることが求められると言う。そうであれば名前の付け方ぐらいものまねでなく日本独自のやり方でやってもらいたい。そうすればサッカーにも日本独自のサッカーで出て来易くなると思うがどうであろうか。
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盲導犬の公用語はなぜ英語か

2009年10月07日 | 日本語
 盲導犬の言葉が英語になっていることを疑問に思っていたが最近関係者の説明をラジオで聞いた。盲導犬を広める運動をしている人にアナウンサーが聞くという形であった。日本語は男言葉と女言葉がありどちらを使っていいかわからない。方言もありやっかいだ。英語は簡単だという説明であった。その説明を聞いて「なるほど」「なるほど」とアナウンサーが相槌を打っていた。英語を使っていることに対しては「これは単なる記号であり、英語を使っているとは考えて欲しくないという口ぶりであった。
 単なる記号であれば男ことばと女言葉の違いなど理由にならない。これは明らかに二重基準であろう。男言葉と女言葉は確かに違うが記号であればどれか一つ覚えさせて盲導犬に対しては普通の命じ方が違うという形がいいのではなかろうか。あるいは盲導犬は訓練を受けた言葉しか受け付けないのではなく、新しい主人の癖を学習することはできえるはずである。盲導犬の学習能力を使うことで御主人の言葉を学習するようにすればいいのではないか。あるいは訓練中から男言葉と女言葉の両方で訓練することだって考えられる。
 何でもすべて英語にしてしまう安易な世間の風潮の一つだと考えると愉快なことではない。もし盲導犬を日本が最初に訓練するとすれば先ず日本語で訓練することを考えたであろう。先に英語で訓練している人が居たから英語をそのまま使ったのではないだろうか。日本人が盲導犬に命令するのに英語を使わなければならないことに何の違和感を感じなくなってしまったということは考えれば怖いことではないだろうか。
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漢字かな混じり文の精神、風詠社、11月発売

2009年10月06日 | 日本語

  以下の本を来月出版します。

 漢字かな混じり文の精神、160ページ、1000円、11月発売

  概要 
 漢字かな混じり文は日本語の書き言葉である。表音文字と表意文字を利用する世界で唯一の言語である。この言語が何故成立し、どういう意味を持っているかを述べています。
 漢字かな混じり文については、我々は意識しないが、便利で、高機能で日本人の血となり肉となっている言語で日本の文化力の中心であるということを述べています。日本が長い間、識字率では世界最高であったこと、多くの文学作品に恵まれた国であること或いは漫画やアニメで世界を魅了していることにも漢字かな混じり文が影響しています。


目次

はじめに
一.日本語はどういう言語か
二.書き言葉が成立するまで
三.大和言葉とは
四.漢字は日本語である
五.漢字かな混じり文の特徴
六.日本語の音韻の変化と仮名遣いについて
.日本語は論理的な言語である
.漢語の氾濫について
九.カタカナ語の氾濫について
十.韓国における漢字禁止がもたらした災禍
十一.水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」への疑問
十二.「からごころ」と「アメリカごころ」
十三.日本語を守り日本文化を発展させるために
あとがき
参考文献
漢字かな混じり文の精神
 
 

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東京五輪、誘致失敗はいいじゃないか。よくあることだ。

2009年10月06日 | スポーツ

 2016年に東京で五輪を開催しようとする運動が失敗した。いいじゃないか。よくあることだ。
 今回の東京誘致は石原都知事の「日本人を元気づけるために五輪でも誘致しよう」という個人的な動機から始まったと私は理解している。五輪の力を利用して日本国或いは東京が盛り上がろうという動機はあまり公にはできない。大義名分としては4都市で最も小さかったといえるであろう。選ばれたリオデジャネイロの場合は「南米で最初の五輪」という誰にでも分かりやすい大義名分があったという意味で順当な結果である。誘致失敗で石原都知事は泣いたと言う。ただ確率は25%だったから失敗するのが普通なのだから泣く方がおかしい。あるテレビ番組でアジアの票をまとめ切れなかったとか。日本人は信用されていないとか。社交性がないから失敗は当然だなどと分析していたが。一度で誘致成功と言うのが本来おかしいのである。
 日本は過去3回五輪を開催し、6回誘致失敗したという。とすれば9回中3回成功だから打率は3割3分3厘である。結構いい打率である。今回の東京誘致失敗で意気消沈して、一段と元気がなくならないように希望する。

 

 

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