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日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

防衛費を2.5%に

2007年10月30日 | 政治
七.防衛費を二.五%に
 現在の憲法には自衛権の行使を禁ずるという規定はありません。憲法制定時には自衛権はあると解釈されていたことは広く認められています。自衛のための軍隊は持てるという解釈に従って自衛隊は作られています。集団的自衛権については行使を禁ずるという規定はどこにもありませんが法制局の見解として「集団的自衛権はあるが行使は禁じられている」とされています。これは法制局の見解というよりいずれかの内閣の解釈を法制局が見解としてまとめたものにすぎません。憲法制定時には個別自衛権と集団的自衛権の区別は考えられておらず、「集団的自衛権は行使を禁じられている」というのは後世が付け加えた解釈にすぎません。この解釈は硬直的過ぎ、日米防衛担当者会議でもたびたび「日本の集団的自衛権に関する論議は幼稚でばかばかしい」と表明されています。憲法をどう解釈するかは内閣の裁量に任されている部分があり閣議決定でこの解釈は変更できます。日米安保条約を締結すること自体集団的自衛権の行使です。閣議決定で「私の内閣では今後集団的自衛権の行使は禁じられていないと解釈する」とすればいいことです。
集団的自衛権を議論するときの集団とは日本と米国をさすのが普通です。米国の軍事力は十分強力で日本が助けなくとも問題は発生しないでしょう。しかし相手が強力でない場合はどうでしょうか。例えば将来、沖縄が独立して日本と軍事同盟を結んだ場合を考えてみましょう。沖縄が攻撃されていても、日本が攻撃されていない限り日本は沖縄を助けてはいけない。あるいは娘が攻撃されているのに父親は自分が攻撃されない限り娘を助けてはいけないというのと同じです。こういう場合日本が沖縄を助けるのも父親が娘を助けるのも当然のことではないでしょうか。助けなければ卑怯者、人と謗られることは必定です。集団的自衛権に関する現行憲法解釈は歴史上類を見ない卑怯で身勝手な解釈になっています。世界一強力な米国に対してはこれでいいと言うことにはなりません。米国の若者に日本防衛で血を流させることを期待するのであれば日本の若者も米国防衛のために血を流すのが当然ではないでしょうか。米国に協力するのがいやであれば自国の防衛は自力で行う必要があります。自国の防衛は米国にやってもらい、米国の防衛に協力しないというのは通用しません。集団的自衛権の行使を認めたい安倍総理大臣に対して「解釈改憲には反対である」ともっともらしく山崎拓氏が言っていましたがこれこそ一つの解釈に過ぎません。法的な根拠はないのです。解釈で決まった方針を変更するには閣議決定による解釈変更で十分ではないでしょうか。
現在の日本の防衛関係費は国民総生産の一%です。米国と同盟を結んでいたおかげで経済成長に専念できたということになっています。この説は間違っています。米国の国防費は六%です。米国は壮大な無駄使いをしていますが経済は高度成長をしています。無駄使いしなかったから経済が成長したというのはまやかしです。たくさん無駄をすることが経済成長に必要です。先に日銀券を増刷して必要なものを断固実施せよとのべましたが必要なものとして防衛努力があります。防衛関係費を国民総生産の二.五%程度に増加し、自前で危機に対処できる体制を構築することを提案します。人口減でなかなか増えない内需の一部として重要であるのはもちろんです。周辺諸国に脅威を与えるから好ましくないという意見が必ず出てくるが倒錯した議論はもうさよならすべきです。相手に脅威を与えなければ防衛力増強の意味がありません。防衛関係費二.五%にしても周辺諸国のどの国より低い。航空母艦を四,五隻つくり、航空兵力も倍増します。もちろん米国の航空機を導入するのではなく国産を基本にします。国産することで日本のハイテク産業を強化することにもつながります。専守防衛の枠をはずし、相手基地を直接たたけるあらゆる武器を保有する必要があります。どこかの国が何か悪さをしたときに米国に頼んで何かしてもらうというのは日本の恥です。どうして自分でやろうとしないのでしょうか。
日本が被害を受けたのであれば自分で直接たたくのが普通です。日本周辺の安定を米軍の軍事力に守ってもらうのではなく日本の力で守るようにします。当然沖縄の米軍基地の大部分は自衛隊基地に替わることになります。こういう体制をつくらずともそういう方向へ向かうことを明らかにするだけで東アジアの政治環境は劇的に変化します。現在行われている無茶苦茶な中韓からの内政干渉はぴたりと止みます。現在の東アジアの政治的不安定の原因は日本の過度の平和主義にあります。中国の反日デモには必ず「原子弾滅日本」というプラカードが掲げられます。「これはゆうことを聞かないと核兵器を落とすぞ」という意味です。
中国の傲慢な態度と日本の政治家の卑屈な態度の背景にある現実です。日本の平和主義は尊敬されるどころか軽蔑を招いて、東アジアを不安定化しています。政治家の卑屈な態度をなじるのは容易ですが卑屈にならないで済む環境を作る必要があります。国防費を2.5%にすることは東アジアを安定化し、対等の協力関係構築へ向けての不可欠の努力です。
東アジアの歴史認識をめぐる軋轢は、中韓の歴史認識に問題があることは明らかですが真の原因は日本の過度の平和主義にあります。従って国防費を二.五%に増やし、専守防衛の枠をはずし、理不尽なことは自力で排除する姿勢を鮮明にすることが必要です。
二.五%に増強したからといって戦争が始まるわけではありません。今まで通りで何の変化もありません。ただ中韓の態度がもっと節度をもった理性的、協調的なものに変わるはずです。
国連の分担金を二十%払っているといってもわずかな金額です。これで安全保障理事会の常任理事国にしろというのは中国の言うとおり品がありません。中国は「自力で自分の安全を守れない国は安全保障理事会の理事国にはふさわしくない」というのかもしれませんがそれは正論でしょう。国防費を年間十数兆円負担して、自力で東アジアを安定化させる努力を日本は是非やらなければなりません。東アジアを自力で安定化させる力を示すことで常任理事国にふさわしい国家になれます。
平和主義は日本の伝統にかなっており、これからも平和主義の看板は掲げていかなければなりません。ただ平和主義を裏付ける軍事力がなければ平和主義は無力です。民主的で開かれた真の平和勢力の日本が軍事力を持つことで東アジアや西太平洋は安定化し、真の平和が訪れます。継続的な進歩、発展も可能になります。中国や北朝鮮の暴発を抑えることもできます。

「日本の未来をひらく学問の勧め」 牧歌舎、第五章日本政治論第七節防衛費を二.五%により

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コンビ二の意味について

2007年10月26日 | 日本語
コンビ二とはコンビニエンスストアの略語であり、便利な商店という意味である。しかしこの意味は日本人にはわかっているであろうか。米国人は Conbienience store といい、台湾人は便利商店という。 米国人にも台湾人にも言葉の意味は明確であり、間違いようがない。日本人にとってコンビ二とは便利な商店という意味であることは分かりやすいであろうか。日本人にはほとんど分かりにくいのである。架空のアンケートであるがおそらくこういうことになるであろう。

    あなたは次の単語の意味をしっていますか。
       単語       知っている割合
米国人  Conbinience store    90%
台湾人  便利商店        90%
日本人に コンビ二        10%

殆どの日本人が正確な意味を知らない。意味を知っているのは10%程度である。
いま一般的に英語をカタカナ表記をしたものが使われており、殆どの日本人には意味不明であり、覚えたとしてもすぐに忘れるように出来ています。一般の日本人が話す言葉が日本語だとすると日本人は日本語が良くわからないといわれます。日本人の教育水準が低下したと同じ効果がある。

「日本の未来を拓く学問のすすめ」牧歌舎、第三章日本語論にくわしい。
 この本の中で著者の村島定行氏はで「英語のはんらんに比例して日本人の教育水準は低下する」と述べている。

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浦和レッズの決勝進出おめでとう

2007年10月25日 | スポーツ
浦和がアジアチャンピオンリーグで決勝まで進んだ。日本のチームとしては始めての快挙である。これに勝てばトヨタカップにアジア代表で出場できる。これまで日本のチームは力を入れていなかったがトヨタカップに出れるということから浦和も川崎も真剣に取り組んで、浦和だけがこれまで勝ち残った。アウエーもホームも2-2という接戦で、PK戦でやっと勝ちを掴んだ。決勝の相手は川崎が惜敗したイランのチームである。是非勝ってもらいたい。
 
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イラク戦転用は問題ではない

2007年10月23日 | 政治
 インド洋で給油した油のイラク戦転用の疑惑が問題になっている。これを疑惑というのが適当であろうか。ここではイラク戦に使われれば問題であるが使われていなければ問題ではないということのようだ。果たしてそうであろうか。海自の船が給油した油と米軍がイラク戦で使った油に本質的な違いはない。イラク戦に転用していないとしよう。そうであれば日本から給油を受けた分だけ、米軍がイラク戦に回せる油は多くなる。日本の油がイラク戦に使われていなくても実質的にイラク戦に回る油は豊富になるのである。日本の油がイラク戦に使われたかどうかはあまり意味がない。
 海自が米国の艦船に給油したという事実は重要で意味がある。米国側にたったということを内外に明らかにする行為である。イラク戦に使われたかどうかは重要でない。使われたかもしれないし、使われなかったかもしれない。どうでもいいことである。
 たとえば1000万円持っているAさんにBさんが何かの理由で100万円援助したとしよう。そのときAさんがCさんとけんかをしていてそのために200万円を使ったとしましよう。そのときAさんが使った200万円の中にBさんが支援した100万円が使われていたかどうかはあまり重要ではない。一度Aさんに与えた100万円はAさんのお金になり同じ働きをし、前から持っていたお金かBさんからもらったお金かの区別は通常誰もしないものである。
 民主党が馬鹿なことを問題にし、自民党がそれを否定しようとする。米軍もそれに協力して転用していないという言質を与える。こういう風にしてどうでもいい問題が大きな争点になって大事なことが忘れられていく。米軍は日本人は馬鹿なことを問題にするものだとあきれているのであろう。
 日本人が次第に馬鹿になっていくのを見ているような気がする。

「日本の未来を拓く学問のすすめ」牧歌舎、には自国に誇りをもたず、伝統と文化をないがしろにしている日本人は次第に馬鹿になっていくと予言している。

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モビリティなんて使わないで欲しい

2007年10月23日 | 日本語
 ラジオを聞いていたらある人がモビリティ.ガバナンスとは何かを説明していた。交通渋滞か何かに関連して車の通りやすさを如何に制御するかという問題で合格点を付けられるようであればモビリティガバナンスがいいと表現するらしい。なぜこういう英語を皆に教える必要があるのだろうか。日本語に訳せば何の説明もいらない。モビリティを「通りやすさ」で置き換えてしまうと説明は不要である。英語の説明に10分近く説明して結局は忘れてしまうのが落ちである。
 昔30年前に仕事でモビリティの言葉を知っていた。そのときは半導体の中の電子やホールの易動度と訳して使っていたが何の説明も必要なかった。易動度という漢字の中に多くの説明があり、わざわざ説明をする必要がない。mobility というのは英米人には分かりやすい表現であるが日本人には易動度の方が分かりやすい表現である。それが文化の違いというものである。カタカナ語にしてモビリティと表現するのは日本人にはマイナスばかりで割に合わない。ばかばかしいことである。

「日本の未来を拓く学問のすすめ」牧歌舎、第3章日本語論では英語をカタカナ表記して使うことが広まれば日本人は次第に馬鹿になると説いている。
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対エジプト戦と対カタール戦について

2007年10月19日 | スポーツ
アフリカで一番サッカーが強いエジプトに4対1で快勝したのは愉快であった。大久保嘉人が2点をいれたが27試合ぶりの得点だそうだがこの日の試合が自分のホームグラウンド行われたからだという。大久保が典型的な内弁慶であることを示している。27試合も無得点でまだFWで居られるというのも凄い話である。
 カタール戦はドーハの悲劇の再現だと報じられている。前半に1点リードし、後半に同点に追いつかれロスタイムでpkを与えて逆転された。負けるときはこういうものであるが自力は日本が上でもそのときのがんばり方によって簡単にひっくり返るものである。結果論だが日本の敢闘精神が十分でなかったといえるであろう。いずれのチームも必死である。勝利をめざして必死でぶつかりあうものである。少しの緩み、ひるみがあると押されてしまう。それはドーハまで遡らなくともW杯の対オーストラリア戦で全ての日本人が体験したことである。
 カタール戦は終わったがまだ五輪不出場が決まったわけではない。まだ試合は終わっていない。敢闘精神を掻き立て最後までがんばらなければならない。
 それこそ少しの緩みも怯みもゆるされない。
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朝日新聞の偏向記事「写真が語る戦争」平成19年10月7日(続く)

2007年10月07日 | 歴史
 先の投稿記事の続きに崔中石(77)の話しというのがのっている。「正門のすぐ近くに寄宿舎がありました。工場の周囲は高い鉄条網に囲まれ、逃げるものがいないかいつも監視員が見張っていました。労働は過酷だった。連日12時間のたち仕事。3年間、一度も外出を許されなかった」とあります。がこれは私にはあり得ないと思います。うそ八百と思います。米軍捕虜なら監視員が見張っていたかもしれません。犯罪者なら3年間一度も外出を許されなかったということがあるかもしれません。しかし一般の日本人(崔中石さんも当時は日本人)が鉄条網で囲われ、3年間も外出を許されないということはありません。「写真が語る」というタイトルになっていますが鉄条網の写真があるわけではなく、監視員の写真があるわけでもありません。事実ではないからそういう写真は存在しないのです。朝日新聞は「写真が語る」といいながら事実と関係のない写真をあげて事実無根のことを並べています。非常にたちの悪いやり方と思います。この件は崔中石さんが嘘をついているか朝日新聞が崔中石さんの名前をかたって嘘をついているかのどちらでしょう。
 最近韓国の結婚仲介業者が「ベトナム女性は決して逃げない」として国際結婚を募集していたことが問題になった。それを裏付けるように韓国人男性と結婚したベトナム人女性が「家へ帰りたい」といっただけで夫から殴り殺された。
 何も犯罪を犯していない自国民を鉄条網に閉じ込め、3年間も外出させずに働かせることは朝鮮人には起こりえても日本人にはあり得ない話である。
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朝日新聞の偏向記事「写真が語る戦争」平成19年10月7日

2007年10月07日 | 歴史
 今日の朝日新聞の第9面を見て驚いた。「写真が語る戦争」の1面記事の真ん中に「奪われた何もかも」というのが目に入った。気になったので1面全部目を通した。
ひどいものである。でたらめのオンパレードである。戦争というと日米戦争や日中戦争はあるが日朝戦争はないのである。したがって日本が統治していた時代の生活ぶりを「戦争の話」というのはおかしい。戦争において朝鮮は日本によく協力している。朝鮮の多くの若者が日本軍に志願して、献身的に協力している。靖国神社には2万名を越える朝鮮人が祀られていることから明らかである。事実40年前に締結された日韓基本条約では経済協力を行っているが日本と朝鮮は戦争はしていないので賠償という言葉は使われていない。韓国が日本から独立したことに対する日本からのお祝い金として支払われている。朝日は「日本と朝鮮が戦争をしていた」という嘘の情報を国民に植え付けることを狙っているのではないだろうか。これは歴史の捏造である。
 「奪われた何もかも」というのは何をさすのだろうかと思って調べてみたが何をさすのか分からなかった。創氏改名で名前が奪われたというのであろうか。創氏改名は強制ではない。朝鮮総督府は朝鮮人が日本名を名乗ることを紛らわしいので禁止していた。日本名を名乗ることを禁止していては内鮮一体のスローガンに合わないので希望者には許可するというのが趣旨である。もちろん強制するものではない。5000キロの鉄道をひき、教育制度や、裁判制度や、保健衛生など多くのものをもたらしたのが日本統治時代である。全ての近代的な制度は日本がもたらしたのである。「奪われた何もかも」というのはどこから来るのか。実際に日本統治時代に朝鮮半島の人口は900万人から2300万人に増加している。ユダヤ人のようにガス室で650万人が殺されて人口が半減すれば「奪われた何もかも」と言ってもいいかもしれない。35年間で人口が2.5倍にも増えるということは暮らしが楽になり、安心して子供をつくれるようになったことを意味している。この時代の朝鮮人が希望をもって前向きに生活をしていたと考えても決しておかしくはない。家族が増えるということは愉しいことが多くなることである。
 単に人口が2.5倍に増えただけではありません。識字率5%未満の国民が35年間で90%以上が字が読めるように生まれ変わったことも特筆しなければなりません。
「奪われた何もかも」というのはどこからくるのでしょうか。「与えられた何もかも」の表現の方がより真実に近いといえるほどです。
 朝日新聞は嘘八百を並べて平気な顔をしているでたらめ新聞です。
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一時の感情に負けて教科書の記述を自虐的にしてはいけない。

2007年10月03日 | 歴史
教科書の記述を元に戻せという沖縄県民大会で11万人があつまったという。民意に過敏になっている政府は教科書会社の申請があれば真摯に検討するという。可笑しくなってきた。特攻隊員が敵艦に突入するのは命令であったといえるであろう。しかし軍が一般人に集団自決を命じたというのは不自然である。この不自然なことが長い間教科書に書いてあったのである。この点を疑問に思った曽野綾子氏が関係者に会って聞いてみたところ命令を出したという確証は得られなかったと報じたことから始まっている。実際は軍の命令で自決したことになると遺族年金がもらえるということから赤松大尉に命令を出したことにしてくれと頼み込んで命令を出したということになっていたのである。真相は集団自決の命令を出していない、それどころか「手榴弾は渡せない、できるだけ生き延びてください」という意味のことを発言しているのである。戦争がなければ集団自決もないといえるであろう。だからといって集団自決を日本軍が強制したというのは正しくない。広島、長崎の犠牲者、東京空襲の犠牲者を日本軍が殺したというのと同じで正しい言い方ではない。よく日本軍は沖縄の住民を守らなかったといわれる。だから日本軍は敵であったと書くのが正しいであろうか。守ろうとしたが、守れなかったということもあるとどうして考えが及ばないのであろうか。戦後60年以上たったもまだこのような感情的でゆがんだ記述をしなければならないのは悲しいことである。このことは沖縄の人たちにも長い目で見るといいことではないと信ずる。
*追加
 この記事を書いた後、抗議集会の参加者の実数は最大で43000人であるという話を聞いた。抗議集会実行委員会は5万人を下回ったたら抗議集会として迫力がないからなんとしても5万人を確保したいという話を聞いていたから、目標に若干足りなかったということだろうか。11万人の参加者があったというのは沖縄のマスコミの作為のなせる業かもしれない。マスコミと情報操作は付きものであることを示している。
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巨人優勝おめでとう

2007年10月02日 | スポーツ
巨人が5年ぶりに優勝した。今年の優勝でうれしいのは巨人に昔からいた選手(高橋、阿部、二岡、清水、高橋尚成、上原、内海)がみな活躍したこと小笠原や谷などの助っ人も故障なく活躍したことである。優勝決定の瞬間は苦労した清水のバウンドの大きい2累ごろであった。大きくバウンドしたため2累手が遅れてグラブにいれたから正確に投球してもセーフになっていたかもしれない。それがわずかの高投で2塁ランナーまでホームインしてしまった。明日の試合は大変だといっていたのが杞憂になってしまった。清水よおめでとう。原監督おめでとう。5年前の日本一から長い道のりであった。いやなことは言うまい。とにかく巨人軍優勝おめでとう。
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緊急地震速報は役に立たない

2007年10月01日 | 文化
10月1日より緊急地震速報のサービスが始まった。まだこのサービスを利用しようとするところはほとんど存在していない。対応するところを増やしていかなければならないと説明されていたが果たしてそうであろうか。
 このシステムは地震により発生するp波とs波の速度の違いを利用するものである。震源の近くではその差は小さい。その場合速報から実際に地震が来るまでの時間が非常に短いことを意味する。震源から遠ければ速報から実際に地震が来るまでにかなり長い時間がかかるので十分対応する余裕がある。
 しかしこれが困ったことになるのである。震源から遠ければ揺れも小さくほとんど被害は発生しない。こういう場合に十分時間があっても有難くはないのである。地震で大きなゆれの来る震源の近くではほとんど時間的余裕がないのである。
 緊急地震速報に対応するために膨大な予算を使っても肝心の震源近くではすぐ地震がくるので間に合わない。震源から遠く離れた揺れの少ないところでは十分な時間があるがこういうところでは殆ど被害はでない。緊急地震速報が間に合っても何の効果もないのである。
 こういうのを昔は「昼行灯(あんどん)」といった。
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