日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

高橋洋一氏への疑問ーー(3)一番大きな埋蔵金について

2009年01月25日 | 経済

 高橋洋一氏の本を読んだ。外国為替資金特別会計に関する埋蔵金を具体的に指摘したとして評判の人であるが高橋氏が見つけてきた埋蔵金はわずか50兆円程度である。日本の公的債務は年間に40兆円増大する。従って1年間の借金の増加をゼロにできる程度である。それより一桁以上大きな埋蔵金がある。それは現在の日本が戦後最長(15年以上)のデフレの中にあるという事実から生まれる。デフレは市場に出回る通貨流通量の不足から発生する。日本銀行の役目は通貨の安定を維持することである。デフレとはお金の価値が上昇することである。お金の価値は下がるのも良くないが上がるのも良くない。日本銀行はデフレ(通貨の値上がり)を止めるために市場に膨大な額の日銀券を供給しなければならない。恐らく年に50兆円以上の日銀券を増刷しなければならないだろう。これは政府が自由に借金返済や景気刺激に使えるのである。デフレを止め、通貨を安定させるために自然に生まれてくる金で、埋蔵金と名づけてもいいかもしれない。この打ち出の小槌からは数百兆円が出てくる。 他のどの埋蔵金よりも大きい。断トツの埋蔵金である。これまでこれを使って財政再建をやることを何度も主張してきたが埋蔵金と呼んだことはない。これは日本銀行の通常の業務として市場に供給しなければならなかったものである。これは日銀が仕事を忠実に遂行していなかったつまりデフレを放置していた結果生まれた埋蔵金である。日本のデフレギャップは巨大であり、デフレは15年以上続いている。それに応じてこの打ち出の小槌から出てくる金額は数百兆円に上る。正確には額はわからないが拙著【注】では数百兆円に上るとしか書いていない。最初からこの金を使っていればこのように長期間不況に沈むことはなかったはずである。
拙著では「デフレを止めるために膨大な日銀券を増刷して市場に供給しなければならない。この金は借金返済や景気刺激に自由に使えるから日本にはいくらでもお金はある。歳出削減や増税は必要ない」と主張している。ご一読いただければ幸いです。

【注】歳出削減と増税は国を滅ぼす、村島定行著、風詠社、500円、2008年11月

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高橋洋一氏への疑問ーー(2)変動相場制のもとでは財政政策は効かないか

2009年01月20日 | 経済

 高橋洋一氏の金融政策の本を読んだ。いくつも疑問がある。変動相場制のもとでは公共投資や減税などの財政政策は円高になり輸出減少、輸入増加で財政政策の効果が海外に流出するから効果がないと述べている点もおかしい。マンデル、フレミング理論というものらしいが日本にはそういう例は過去にあったであろうか。景気がよくなって輸入増になるというのは高度成長以前にはあったかもしれないが最近では聞いたかことがない。韓国で景気がよくなると日本からの輸入が増えると言うのは聞いたことがある。これは韓国が全面的に日本の技術に依存しているという特殊事情からきている。米国は大量に外国から輸入しているからそういうことはあるかもしれないが日本では殆どのものは国産で間に合うというより国産志向が強い国では輸入増には結びつかない。ここ30年ほど国内の好況不況にかかわらずコンスタントに10兆円程度の黒字国であった。だからマンデルフレミング理論は日本には当てはまらないと言えるであろう。公共投資が円高に結びつくと言うのも怪しいものである。 高橋洋一氏はマンデルフレミング理論をあげて財政政策は効かないと主張するが近年の日本は財政出動を封印してきて、まともな財政政策はなかったといえる。今回の麻生総理大臣の定額給付金は財政出動と言えない。GDPの0.4%にしかならないのである。日本経済にさざなみ程度の影響も起こせないほど規模が小さい。これが景気浮揚にきかないことは明らかであるがマンデルフレミング理論により効かないのではなくて金額が小さすぎるから効かないのである。
 高橋洋一氏が唯一あげている例が宮沢内閣で打った16兆円の経済対策である。これが景気浮揚にまったく効かなかったのはマンデルフレミング効果というのである。たしかに大きな景気浮揚効果はなかったが円高に振れたと言う事実もないし、効果が海外に流出したと言う事実もない。マンデルフレミング効果の正しさを主張する根拠にならない。

 歳出削減と増税は国を滅ぼす、村島定行著、風詠社、500円、2008年11月

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高橋洋一氏への疑問ー(1)現在の不況は3年前の金融引き締めが原因か

2009年01月19日 | 経済

 高橋洋一氏の金融政策に関する本を読んだがほとんど参考にならなかった。いくつも疑問がある。まず現在の不況はサブプライム問題の影響ではなく日銀の量的緩和の廃止とその後の金利引き揚げが原因と述べていることである。現在の不況には明らかにトヨタが2兆円の黒字から一転して赤字に転落したことが大きく影響している。これが日本経済に影響しないことはない。金融危機はサブプライムローンだけに起因するものではない。サブプライムローンにもとづく損失は多くて2兆円だから大きな影響はない。しかし仮に日銀が量的緩和を廃止せずゼロ金利のままであったとしても金融危機の基ではトヨタは赤字転落の可能性が大きく、世界同時不況になったであろう事は想像が付く。 現在の不況は日銀の2006年の金融引き締めの結果ではなく、内需を軽視し外需のみに依存した経済運営をやってきたことが大きく影響している。日本のような経済大国が外需に依存して景気を維持しようとしたことがそもそも間違いである。米国、欧州が不景気になり、産油国、ロシア、中国、インドが調子がおかしくなれば内需の縮小を放置していた日本は景気を支えるものがないのである。 小泉内閣のとき外需が旺盛で戦後最長の好景気と言っていたのが間違いであったと言うべきである。あだ花であったのである。その間、内需は縮小し続け、低所得層は増え続け、労使関係は不安定になり、労働分配率は悪化し続けたのである。国民の暮らしは一貫して悪化し続けたのである。ただ一部の外需産業だけが円安で物が売れて景気が良かっただけだ。 バブル崩壊からの立ち直りの過程で日本がとった戦略(内需を軽視し外需に依存する戦略)が間違っていたのだ。中川大臣は「日本のバブル崩壊で立ち直った経験を欧米諸国に伝授したい」といったが日本は内需崩壊からたち直りに失敗したのである。日本がバブル崩壊から立ち直りにもたもたしているうちに米国と欧州とその他の諸国が新たなバブルが崩壊したと言うところである。
 日本が豊かな暮らしを望むならば外需に依存してはその目標を達成することは不可能である。内需に依存せざるべからずである。外需で生きるのではなく、内需を育て内需で生きていかなければならない。

歳出削減と増税は国を滅ぼす、村島定行著、風詠社、500円、2008年11月

 

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「とてつもない国」の余りにみみっちい定額給付金

2009年01月12日 | 経済
 麻生総理大臣の支持率が低いとマスコミがさわいでいる。定額給付金に対する姿勢が揺れている、所得制限をするかどうかが決まっていない、自治体に○投げしているなどと批判している。さらに麻生氏が受け取るかどうか決めていない、或いは閣僚の中に受取る者60%、受け取らないもの10%、未定の者30%などと調査結果を報告し、何故こんなにぶれているのかなどと大げさに騒いでいる。おせっかいにも小沢一郎が総理適格度27%、麻生太郎20%などと危機感をあおっている。渡辺喜美のような馬鹿が煽られて右往左往しだしている。
 政治家が受け取るかどうかなどどうでもいいことである。定額給付金の問題は与党の姿勢がぶれているのではなく総額2兆円が少なすぎると言うことである。的を突いた意見をマスコミから聞いたことがない。態度がぶれているなどというのは揚げ足取りもいいところである。景気をよくするのが目的であれば2兆円は少なすぎる。10倍の20兆円を国民全員に配る程度のことを少なくとも5年ぐらい続けないと景気は良くならない。問題は「とてつもない日本国にしては余りにみみっちい定額給付金」というところにあるのである。
 人気の小沢一郎氏に政権を取らせて見ても揚げ足取りに終始しているから日本国を救う政策は何も持ち合わせていない。結局は麻生太郎と同じで就任3ヵ月後には揚げ足取りをやって「支持率10%を切った」とマスコミが大騒ぎをすることになるのが落ちである。

 政治家も馬鹿、マスコミも馬鹿、みんな馬鹿である。
 
 結局は衆愚政治を見せられているのである。
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「いただきます」に相当する英語がない

2009年01月05日 | 日本語

 日本語の「もったいない」に相当する語がないということで「もったいない」を使って節約を呼びかけている人の話を聞いた。それぞれの言語により使う単語が違うのは国民性の違い、文化の違いを表すものであろう。日本語はかなりユニークで「いただきます」や「ご馳走様」だって適当な英訳はないであろう。
  米国に留学する前に「お大事に」と言う語に対する適当な英語訳がないと聞いていたがある時フリスビーで遊んだあと分かれに際し、「Take care」というのを聞いた。あれこれは「お大事に」と同じだと思ったものだ。この言葉を発したのはユダヤ人女性であったがユダヤ世界では「お大事に」に相当する単語はあるのかもしれない。
 日本の官僚の言葉で「前向きに」という言葉には相当する語が存在しないと聞いていた。ところが前の福井日銀総裁は量的緩和解除の挨拶で「皆様の目線が前を向くにしたがって金融政策もフォワードルッキング(前向き)にやらせていただく」と答えた。これは存在しない単語でも勝手に英訳して使って存在させてしまうという風に見える。そのうち英語世界でもfoward looking と言う言葉が流行るかもしれない。

 

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水村美苗-----日本語は亡びない

2009年01月04日 | 日本語
 正月番組で「万葉集への招待」を見た。4516首の和歌が収められている万葉集の尽きせぬ魅力に3時間があっという間に終わってしまった。どこの国の影響もなく、大和言葉だけで表現された万葉集の世界。これに匹敵するものが当時のどこにあったのであろうか。
 「日本語が亡びるとき」という水村美苗の評論に対する違和感は「日本語で表現されているだけで誰もが見向きもしない」或いは「日本語を話すだけで世界の仲間に入って行けない」時代になってきて誰もが日本語を真剣に相手にしなくなることを問題にしている。 私はその前提に異議がある。「日本語では他に魅力的なものを作れない」と言う前提に異議がある。まず万葉集の存在がその反証である。万葉集以外にも多くのすばらしい文学を日本は生んできた。伊勢物語、源氏物語、平家物語、奥の細道、その他、水村美苗が強調する近代日本文学もあげていいだろう。 言語は互いに翻訳されるが完全に代替可能ではない。日本語の文章を英語に翻訳したとしても完全に同じものではない。日本語でなければ生み出せないものもある。
 水村美苗は「日本語では学問ができない、或いは物事を考えることができない」と考えているがこの前提にも異議がある。英語を話せないでノーベル物理学賞をもらった益川教授の存在もその反証である。かれは日本語で考え日本語で新しい発見をしたのである。
 言語の使用人口は英語が多いから英語が日本語よりすばらしい言語に見えるかもしれないが言語としての表現能力は英語と日本語はどちらが上であろうか。私は日本語の方がより強力な表現力を持っていると思っている。日本語を使うことで多くの美しいこと深いことが表現できるからあれほど豊かな近代日本文学が生まれたのであると思う。 夏目漱石が「英文学を嫌いである」と表現しているのは英文学の表現力の乏しさの吐露ではないだろうか。水村美苗が英語で文学を発表することを選ばず日本語で小説を書くことを選んだことが日本語の言語としての魅力、表現能力の証明ではないだろうか。
 日本語は私は普遍語であり普遍語であり続けると考えている。
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