富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「神に信頼して従ったアブラハム」 創世記18章1~15節

2018-11-10 11:49:54 | キリスト教

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

      日本福音教団 富 谷 教 会   週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

      降誕節前第7主日  2018年11月11日(日)   午後5時~5時50分 

                    礼 拝 順 序

                                                司会 田中 恵子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 151(主をほめたたえよ)

交読詩編  105:1-11(主に感謝をささげて御名を呼べ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳) 創世記18章1~15節(旧p.23)

説  教  「神に信頼し、従ったアブラハム」 辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21) 458(信仰こそ旅路を)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

             次週礼拝 11月18日(日) 午後5時~5時50分

              聖 書  創世記18章1~15節

              説教題   「救いの約束(モーセ)」 

              讃美歌(21) 459 474 24 交読詩編77

    本日の聖書 創世記18章1~15節

 18:1主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。 2目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、3言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。4水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。5何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」その人たちは言った。「では、お言葉どおりにしましょう。」6アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」7アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。8アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。9彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、10彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。11アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。12サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。13主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。14主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」15サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」

      本日の説教

 創世記11章前半で創世記の第一部であるいわゆる神話の部分が終わり、創世記11章26節から32節にかけてアブラハムの父テラの系図が記し、アブラハム物語の導入部となります。12章から第二部の族長伝説に入ります。この族長時代は、歴史的事実の裏付けはありますが、全体としては、歴史というよりも、歴史的伝説であり、史的説話です。アブラハム(多くの者の父の意味)という名は神によって改名されるまでは、アブラム(高められた父、尊敬すべき父)という名でした。アブラハムの生涯は25章まで続きます。

         

 アブラハムはバビロニア南部、スメル地方の住民でした。父テラに率いられてカルデヤの古代都市ウルを去り、ユウフラテス川に沿って北西に進み、パダンアラムのハランという所に移住しました。ウルはユーフラテス川下流沿岸の古代都市です。ハランは同じユーフラテス川上流のメソポタミアの都市です。 <ハラン>は、現在のトルコの東の方の町ウルファにあり、そこにはハランの遺跡があります。シリア国境に近い地です。

 父テラの死後、族長となったアブラハムは、「わたしが示す地に行きなさい」、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるようにする」という神の声に従い、妻サラと甥ロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共に、今までより頼んでいたものを捨てて、ハランを去り、カナン地方(現在のパレスチナ)に、旅立ちました。アブラハムが75歳の時です。

 現在パレスチナと呼ばれている地域(西は地中海、東はヨルダン川、南は死海、に囲まれた地域)は、当時カナン人が住んでいたので、「カナン」と呼ばれていました。その後、カナンの地中海沿岸にペリシテ人が西方から移住し、定住したことから、「ペリシテ人の地」を意味する「パレスチナ」と呼ばれるようになりました。

 彼の行こうとしている地は、漠然とした希望の地で、目的地さえ示されていません。紀元前1950年頃、エジプト第十二王朝(1991~1778)時代のことです。ヘブライ人への手紙11章8節には、「信仰によって、アブラハムは、自分の財産として受け継ぐことになる土地に出ていくように召し出されると、これに服従し、行く先も知らずに出発したのです」と記されています。アブラハムがカナンを目指したのは、父テラが、ウルを去るとき、カナンを目指していたからです。アブラハムは住み慣れた土地を離れ、親族と分かれ、父の家を捨て、大きな犠牲を払って旅立ったのは、神の言葉に信頼しての行動でした。それは「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」(ヘブライ11・1)信仰によるものでした。それは目に見えるものにより頼む歩みではなく、神のことばに信頼する歩みであり、出発でした。

         

   しかし、新しい地での生活は必ずしも容易ではありませんでした。アブラハムはカナン地方へ入り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来ましたが、当時、その地方は先住民のカナン人が住んでいました。アブラハムは、そこからベテルに移り、東にアイを望む所に天幕を張りました。更に旅を続け、ネゲブ地方へ移りました。その地方に飢饉があったためにエジプトへ移住(12:10-20)しました。そして、再びネゲブ地方へ戻り、さらにベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイの間の、以前に天幕を張った所(12:8)まで来て天幕をはりました(13:4)。持ち物の争いから甥のロトと別れて住むことになりました。たりしなければなりませんでした。ロトは土地の肥えた低地を選び、ソドムに住みました。アブラハムは山地に残ることのなり、天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築きました(13:18)。 

       ヘブロンのマムレの樫の木  

 「信仰によってアブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、…幕屋に住みました。…自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを言い表したのです。…実際は、更にまさった故郷、天の故郷を熱望していたのです。…神は彼らのために都を準備されていたからです」(ヘブライ11・9~10、16)。

 その後、ソドムとゴモラの財産や食料が、メソポタミアから攻め寄せてきた五人の王に略奪されました。ソドムに住んでいたロトも財産を奪われ、捕虜となって連れ去られたので、アブラハムは彼らを追い、北のダマスコの北まで追跡し、打ち破って、甥を救出しました。そのため彼の名声は高まり、ソドムの王に迎えられ、サレムの祭司であり王であったメルキゼデクに祝福されました(14:17-18)。

 主は子供のないアブラハムを祝福するため、彼を天幕の外に連れ出し、夜空に満天に輝く無数の星を見せ、数えて見よと語りかけられ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われました。彼は小さな自己の存在を痛感し、主のことばを信じました。主は彼の信仰を彼の義(神との正しい関係)と認められました(15:6)。

 アブラハムが九十九歳になったとき、主はアブラムではなく、アブラハムと名乗るように命じます。「多くの国民の父」とするからです(17:1-5)。そしてこの神との契約として男子は割礼を受けるように命じます。アブラハムの妻サライは不妊の女で子供ができませんでした。サラは八十九歳でした。神はアブラハムに、妻の名をサラと呼ぶように命じました。彼女に男の子を与え、諸国民の母とすると約束したのです。アブラハムはひれ伏しました。しかし、笑って、ひそかに、「百歳の男と、九十歳のサラに子供が産めるだろうか」と言いました(17:15-17)。子供とはアブラハムとエジプト人の女奴隷ハガルとの間に出来たイシュマエルのことかたアブラハムは思いました。しかし神は「あなたの妻サラがあなたの間に男の子を産む。その名をイサクと名付けなさい」と言われました。

 「主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った。『お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。』その人たちは言った。『では、お言葉どおりにしましょう。』」(18:1-5)

 <マムレ>とは、ヘブロンの北5㌔にある村落です。アモリ人マムレの支配地だったと想像されます。<マムレの樫の木>とは、ヒイラギのような葉のセイチ樫です。主はマムレの樫の木の所で、アブラハムに現れました。<暑い真昼>だったので、アブラハムは<天幕の入口>の日陰で休息していたのでしょう。目を上げてみる見ると三人の人(神の擬人化)が彼に向かって立っていました。マムレの聖所にあった古い土着の多神教の神話的背景に由来している表現です。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言いました。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。」水で足を洗い、木陰で休んでください。食べるものを用意します、と言いました。その人たちは、「では、お言葉どおりにしましょう」と言いました。

 「アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」7アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。8アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。」(18:6-8)

 アブラハムは急いで天幕に戻り、サラにパン菓子を作るように言いました。小麦粉<三セア>小麦粉でパン菓子をこしらえるように言いました。(一セヤが約13リトルなので、約39リットルの小麦粉です。)アブラハムは召使に上等の小牛の肉で、急いで料理を作らせました。アブラハムは、凝乳(バターか、ヨーグルト)、乳の飲み物、出来立ての料理を運び、彼らが食事している間、そばに立って給仕し、歓待しました。何のむくいも求めない、旅人に対するもてなしでした。。

 「彼らはアブラハムに尋ねた。『なたの妻のサラはどこにいますか。』『はい、天幕の中におります』とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った。『たしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。』サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。」(18:9-10)

 彼らはアブラハムに妻サラはどこにいるかと尋ねました。来訪者がサラの名を知っていることにアブラハムは驚いた事でしょう。アブラハムは天幕の中におります、と答えました。すると彼らの一人が、アブラハムに、サラが来年の今頃に男子を出産しますという約束を告げました。サラはこの約束を、アブラハムの背後の天幕で聞きました。

 「アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。」(18:11-12)

 アブラハムもサラも高齢になっており、しかもサラは女の月のものがとうになくなっていたので、サラはひそかに笑いました。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、子が生まれるはずがないと思ったのです。

 「主はアブラハムに言われた。『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。』」(18:13-14)

 主の言葉はアブラハムに語られているが、実際にはサラに向けられています。「なぜサラは笑ったのか。年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことはない。来年の今頃、わたしはここに戻って来る。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている、と主は言われました。高齢の男女に男の子を与えるのは主であることが告げられました。

 「サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。『わたしは笑いませんでした。』主は言われた。『いや、あなたは確かに笑った。』」(18:15)

 サラが恐れたので、打ち消して言います。「わたしは笑いませんでした」は畏怖のあまり思わず口をついて出た、言い逃れの嘘でした。しかし神は「あなたは確かに笑った」と短い強い語調で彼女の心を見抜かれます。サラは不信仰のゆえに笑いました。しかしすぐさま彼女はその失敗から信仰へと移りました。自らの失敗を信仰によって気付き、恥じ、自らが神の全能を信じていないことを知って恐れを覚えたのです。「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです(へブル11:11)。

 アブラハムもサラも、人間としての弱さを持っていました。決して失敗のない完全な人ではありませんでした。神がアブラハムに子を与えると約束したのに、待つことが出来ず、サラの勧めを受け入れて、アブラハムはエジプトの女ハガルによってイシマエルを生んだことは、不信仰による大失策でした。そのような過ちを神は赦し、主は全能の神としてアブラハムに現れ(17:1)、「あなたの妻サラがあなたの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい」(17:19)と言われたのです。この神のお言葉をアブラハムは信じたのです。「神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信し」たのです。だから「それが彼の義と認められたのです(ローマ4:21)。

 神がアブラハムを訪れたのは、神が約束したことを果たす時を知らせるためであり、そのあと、ソドムとゴムラの視察のためでした。神がアブラハムに仕えられるためではなく、神がまずアブラハムを祝福するために訪れたのでした。アブラハムは知らないで旅人をねんごろにもてなしたのです。イスラエルの選びは、神の側からの先行的な自由な選びでした。この民を通してイエス・キリストが救い主として来られることによって、神の約束は成就するのです。

 アブラハムに子供が与えられるのは、彼が100歳の時でした。サラが身ごもり、男の子を産みました。彼はその子をイサクと名付けました。サラは、「神はわたしに笑いをお与えになった」(21:6)言って、神に感謝し、神を賛美しました。

          付 録

 【イサクが少年になったとき、神はアブラハムを試みて、彼の息子を焼け尽くす燔祭としてささげよと命じました。この恐るべき試練に、息子イサクには「焼け尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」と語りつつ、神に言われたモリヤの地に着き、息子を屠ろうとしたとき、「その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは自分の独り子である息子さえ、惜しまなかった」と主の御使いが語りかけました。すると一匹の雄羊が木の茂みに角をとられていました。アブラハムはその羊を燔祭として献げました。

 アブラハムはその場所を「主は備えてくださる(ヤーウェ・イルエ)」と名付け、人々は「主の山には備えあり(ヤーウェ・イエラエ〔主は見られる、主は現れる〕)」と言いました(22:14)。

 アブラハムを試みた神は、わたしたち人類の罪を贖うために、雄羊ではなく、御子を献げたくださったことを思わせられます。

 アブラハムがカナンで実際に手に入れたのは、妻サラを葬るために購入したマムレの前の墓地でした(23章)。アブラハムは「天の故郷を熱望していたのです。」(へブル11:16)。パレスチナ自治区の都市ヘブロンのマクベラの洞穴のあるアブラハム・モスクには、アブラハムとサラ、イサクとリベかベカ、ヤコブとレア、三代の族長とその妻の6人が埋葬されています。アブラハムは、カナンという地上の限られた地ではなく、天の御国を受け継ぐ者とされたのです。

 「地のすべての民族はあなたによって祝福される」(12章3節)という神の約束は、神がアブラハムを選んでくださったことによるものです。アブラハムから神に選ばれた民の歴史が始まるのです。アブラハムは、罪と呪いに陥った人類を救う神の祝福の源として選ばれ、選民イスラエルの始祖とされたのです。アブラハムは神を信頼し従って、その使命を果たしました。】

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