富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「ニネベへの報復と、主に身を寄せる者への恵み」(ナホム書)

2014-10-05 19:44:31 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12             TEL:022-358-1380   FAX:022-358-1403

     日本キリスト教 富谷教会 週報

 聖霊降臨節第十八主日   2014年10月5日(日)   5時~5時50分 

            礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  504 (主よ、み手もて)

交読詩編   46(すべての民よ、手を打ち鳴らせ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ナホム書1章1~14節

説 教  「ニネベへの報復と、主に身を寄せる者への恵み 辺見宗邦牧師

賛美歌(21)457(神はわが力)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

    本日の聖書 ナホム書1章7節

「主は恵み深く、苦しみの日には砦となり、主に身を寄せる者を御心に留められる。」

     本日の説教

 「ニネベについての託宣。エルコシュの人ナホムの幻を記した書。」(ナホム書1章1節)

  ナホム書は、第1章1節、第2章9節、第3章7節に、<ニネベ>の名が出ているように、紀元前612年に起こったアッシリア帝国の首都ニネベの陥落を主題としています。

  <ニネベ>は現在のイラクの北部、チグリス川を挟んでモスル市の対岸に位置しています。ニネベは古い町でしたが、アッシリア第11代王サルゴン2世によって再興され、その後継者センナケリブが紀元前8世紀に,王都としました。彼に続くエサルハドン王とアッシュル・バニパル王(在位668~627)の時代、ニネベはオリエントの政治・文化の中心地として栄えました。

  アッシュル・バニパル王の死後、帝国は衰退し、紀元前612年、ニネベはメディアと新バビロニアの連合軍によって破壊されました。紀元(後)19世紀以来ニネベは発掘され、宮殿跡や粘土板などが発見されています。

  預言者ナホムのへブライ語名は<ナフ-ム>で、「慰め(る者)」という意味です。出身地のエルコシュは、ガリラヤ説(カペナウムは「ナホムの町」の意)やメソポタミヤ説(ナホムを北イスラエル滅亡時のアッシリアによる捕囚民の末裔され、ナホムの墓がニネベの近くにあるする説)がりますが、エルサレムの南、ユダの地にあった町とする説をとりたいと思います。

  ナホム書が書かれた年代は、3章3節で、アッシリアのアシュル・バニパル王によるエジプトのテ―ベの占領(紀元前662年)が語られているので、紀元前662年から、ニネベの陥落(612年)の直前までの年代と推測されます。

  ナホムは極めて愛国的な預言者の一人であったと考えられ、その預言がほとんどアッシリアに対する激しい審判の言葉になっており、特に自国のユダとその国民に対する回心や神の裁きにはふれていません。ほぼ同時代の預言者エレミヤ(B.C.627~587年)とは対照的な預言者です。

  預言の目的は、アッシリアの暴虐に満ちた軍国主義の政治支配の末路を描き、それと同時に、最終的には正義をもって世界と歴史を支配する神の悪に対する激しい刑罰と、被抑圧者に対する救いとを明らかにするために書かれたものと言えます。

  ナホム書は3章からなる短い書です。あまり説教でとりあげられない書ですが、神のみことばとして、メッセージを受けとりたいと願いました。聖書を開きながら、以下の説明をお読みいただければ幸いわいです。

  「主は熱情の神、報復を行われ方。主は報復し、激しく怒られる。主は敵に報復し、仇に向かって怒りを抱かれる。主は忍耐強く、その力は大きい。主は決して罰せずにはおれない。」(ナホム書1章2~3節a)

 <熱情の神>とは、異教礼拝を禁止する神を表現しており、「報復」とは、ここではイスラエルの敵、アッシリアへの<怒り>による報復です。

 <主は忍耐強く>とありますが、一見<激しく怒られる>とは矛盾するように思われますが、イスラエルの生ける神の伝統的な表現であり、同時に仇に報いられる神でもあることを強調しています。

    生きたまま皮をはがれる捕虜が描かれた石の浮彫。アッシュール・ナツィパル2世(B.C.883~859年)は次のように言っています。「余は市の門に面して柱を立てた。そして主だった人すべての皮をはぎ、その皮を柱に巻きつけた。ある者はクイに刺して柱の上につき立てた。そして役人どもの手足を切り落とした。……そのうちの多くの捕虜を焼き殺し、ある者からは手と指を切り落とし、ある者からは鼻と耳をそぎ落とし、多くの者の目をえぐり出し、若者と娘たちを火の中に投げ込んだ。」これは、王宮の門に彫り込まれた、彼による碑文です。

  アッシリアは歴史上に見る帝国の中で、最も残虐な暴力行為を行った国として知られています。アッシリア帝国は軍事強国でした。偉業を描写したレリーフは残虐性と強欲を示しています。極端に残虐な仕方で敵を責め苛(さいな)む事を誇りとしました。ナホム書3章10節に、アッシリア人がエジプトで行った残虐な行為を記しています。

 「彼女もまた捕えられ、捕囚として連れ去られた。乳飲み子すら、すべての街角で投げ捨てられ、貴族たちはくじで分けられ、大いなる者も皆、鎖につながれた。」(3:10)

 ナホムは、ニネベの罪を三つの比喩を用いて描きます。一つは、2章12~13節にある獅子の比喩です。

  「獅子の住みかはどこにいったのか。それは若獅子の牧場だった。獅子がそこを去り、雌獅子と子獅子が残っていても、脅かすもの何もなかった。獅子は子獅子のたに獲物を引き裂き、雌獅子のために絞め殺し、洞穴を獲物で、住かを引き裂いた肉で満たした。」(2:12~13)

  獅子はニネベの守護神イシュタールを象徴です。この嘲笑歌は、暴虐無慈悲な侵略の罪を、ニネベという獅子の洞穴に棲息する獅子の家族のあくことを知らぬ略奪と虐殺として、皮肉をもって讃えるのです。

  次に3章1節で、ニネベを流血の町としています。「災いだ、流血の町は。町のすべては偽りで覆われ、略奪に満ち、人を餌食にすることをやめない。」(3:1)

 ニネベを多くの国や町を滅ぼした<流血の町>として罪をあばいています。

 もう一つは、3章4節の遊女の比喩です。

  「呪文を唱えるあでやかな遊女の果てしない淫行のゆえに、彼女がその呪文によって諸民族を淫行によって国々をとりこにしたゆえに…」

 ナホムがニネベを遊女たとえるのは、そこにある女神イシュタールが好戦的な女神で、王に戦勝を約束し、豊饒と多産の神でもあり、このような女神を中心とするアッシリアの文化を遊女にたとえているのです。アジアの諸国がアッシリアの軍門に下ったのは、強大な軍事力によるのみでなく、大帝国の強大な権力にもとずく壮大な富と文化によるのです。この諸国民を魅了した文化を、ナホムはあでやかな遊女の淫行と巧みな誘惑を<呪文>にたとえ、いかがわしい、遊女の欺きとして嘲笑的に、詠(うた)っているのです。

 1章8~10節はニネベを陥落させるメディア・バビロン同盟軍の攻撃を指します。

 「みなぎる洪水で逆らう者を滅ぼし、仇を闇に追いやる。お前たちは主に対して何をたくらむのか。主は滅ぼし尽くし、敵を二度と立ち上がれなくされる。彼らは酒に酔いしれ、絡み合った茨のようになっているが、乾ききったわらのように焼き尽くされる。」(1:8~10)チグリス川の増水も手伝って、ニネベが陥落したことを告げています。9節に<お前たちは>とありますがニネベのことか、ユダのことか判断が分かれますが、ニネベと解したいと思います。10節<酒に酔いしれ>とは、ニネベの人々の傲慢さを表しています。

 12節「主はこう言われる。『彼らは力が満ち、数が多くても、必ず、切り倒され、消えうせる。わたしはお前たちを苦しめたが、二度と苦しめはしない。』」

  12節の<お前たちは>とはユダを指します。

  14節「主はお前について定められた。『お前の名を継ぐ子孫は、もはや与えられない。』」14節の<お前は>は、転じてニネベへの言葉になり、アッシリアの王を指しています。

  2章2節「襲いかかる敵がお前に向かって上ってくる。砦を守り、道を見張れ。腰の帯を締め、力を尽くせ。」(2:2)2章2節の<お前に向かって>も、ユダの王ゼデキヤと解し、<敵>はニネベの王アシュル・バニパルを指すと解したいと思います。

 2章の4節、5節は、メディア・バビロンの連合軍のことを詠ています。「勇士の盾は赤く、戦士は緋色の服をまとう。」(2:4)

 2章6、7節「将軍たちは召集されるが、途上でつまずく。人々は城壁へと急ぎ、防御車を据える。」(2:6,7節)<将軍たち>、<人々>は攻撃側か、防御側か明白ではりませんが、ニネベの防御側と解したいと思います。

 8節「王妃は引き出され、…侍女たちは…胸を打つ。」 <王妃>はニネベの守護神イシュタルと解し、(侍女>は巫女(みこ)を指します。

 10節の「銀を奪え、金を奪え。その財宝は限りなく、あらゆる宝物で満ちている。」は、ニネベが他国から略奪した財貨が、今度は逆にその敵にとっての豊富な獲物となります。

 3章6節の「わたしは、お前に憎むべきものを投げつけ…」の<憎むべきもの>とは汚物を指します。

 3章8~9節「お前はテーベにまさっているか。ナイルのほとりに座し、水に囲まれ、海を砦とし、水を城壁としていたあの町に。クシュはその力、エジプトには限りない力があり、プト人とリビア人もテーベを助けていた。」

 1400年の間エジプトの都であったテ―ベは、アッシリアのアッシュル・バニパルによって紀元前663年に滅ぼされました。いま預言者はこのテ―ベを滅ぼしたアッシリアに向かってお前にもまた同じような滅びがおよぶことを告げます。テ―ベの遺跡は、現在カルナック神殿やルクソール神殿にその栄光の影を見ることができます。テーベを中心とした<クシュ(エチオピア)>、プト(ソマリア)>、<リビア>などがアッシリアの支配下に置かれたのです。

  3章11節「お前もまた、酔いつぶれて我を失う。」の<お前>とはニネベのこと、<酔いつぶれて>は、助ける者もなく、無防備の状態を指します。

 3章17節の「お前を守る部隊は、移住するいなごのように、お前の将軍たちは、群がるいなごのように…」とは、ニネベの将軍や部隊を突然飛び立ついなごの大群にたとえています。

  3章18節「アッシリアの王よ、お前の牧者たちはまどろみ、貴族たちは眠りこける。」「まどろみ、眠る」とは、死ぬことの婉曲(えんきょく)表現です。

  3章19節「お前のうわさを聞く者は皆、お前に向かって手をたたく。」アッシリアの滅び、ニネベの陥落を人々が手をたたいて喜んでいることを伝えています。

  ヨナ書の<ヨナ>がニネベに宣教活動をしたのは、北イスラエル王国のヤロブアム二世(B.C.786~746年)の時代でした。ナホムの預言活動はヨナの時代から100年後のことになります。すでにアッシリアによってイスラエル王国は滅亡(紀元前721年)していました。

  ヨナ書のメッセージの内容は、神の愛が選民にのみ向けられているのではなく、創造されたすべてのもの、アッシリアのニネベでさえもその愛の対象であることを、ユーモアを駆使して語ったのです。

  ヨナの時代のあと、アッシリアは次々に周りの国々を支配し、巨大な帝国を築きました。アッシリア帝国がそれまで続いてきたのは、ヨナの宣教によって、一時的にではあれ、罪を悔い改めたので、神の恵みにより、ニネベは裁きの審判を免(まぬが)れたのです。そのことに感謝もせず、高ぶり、真の神ヤハェをあざむくかのように、北イスラエルをBC721年に滅ぼしたのです。さらに南のユダ王国を圧迫し、ばく大な貢ぎ物をとって苦しめたのです。ニネベを首都とするアッシリア帝国に対し、神は、ナホムを通し、裁きを予告したのが、ナホム書のメッセージです。

 1章7節に、「主は恵み深く、苦しみの日には砦となり、主に身を寄せる者を御心に留められる。」とあります。神の怒りは神に背く者の上に下りますが、神に信頼する者に対しては、まことに恵み深い方まのです。聖書の証しする神は、苦悩と痛みの時を、神は避けどころとなって、生き抜く力をわたしたちに与えられる方であることを伝えています。詩篇46篇1、2節の、「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいました、助けてくださる。」とあるとあるように、神は信頼できる力強い方です。キリストを信じてこられた方は、ここことを身をもって体験しているはずです。

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