↑ 「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。」 (テモテへの手紙一、6章6節) あなたに与えられている日を楽しみなさい!
(信心があって足ることを知るのは大いなる利得です。信心は人間に平静さと自足をもたらし、さらに永遠の命を約束するゆえに大いに益があります。)
〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380・FAX:022-358-1403
日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
降誕節第5主日 2021年1月24日(日) 午後5時~5時50分
年間標語「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆこう。」(エフェソ4・16)
礼 拝 順 序
司会 齋藤 美保姉
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 288(恵みにかがやき)
交読詩編 2(なにゆえ、国々は騒ぎ立ち)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)テモテへの手紙一、6章11~21節(新p.12)
説 教 「信仰の戦いー金持ちは良い行いに富みなさい」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 536(み恵みを受けた今は)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 1月24日(日)午後5時~5時50分
聖 書 マタイによる福音書5章17-20節
説教題 「教えるキリスト-律法について」
讃美歌(21) 151 449 27 交読詩篇 119篇9-11節
本日の聖書 テモテへの手紙一、6章11~21節
6:11しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。 12信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。 13万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。 14わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。 15神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、 16唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。 17この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。 18善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。 19真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。20テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。 21その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。
本日の説教
「テモテへの手紙一」、「テモテへの手紙二」と「テトスへの手紙」の三通は、「牧会書簡」と呼ばれています。この三通が個々の牧会者に宛てられた手紙であるのを明らかにするためです。牧会書簡は、読者が信徒であれ、聖職者であれ、教会をいかに配慮するかということを教えています。牧会書簡は、信徒が健全であるのに欠かせない重大な問いー祈りの生活、公同の礼拝式の意味、援助を必要とする貧しい人々のための配慮、聖なる生活の土台である正しい教えーを書き記しています。
6章の11節から16節は、信仰の立派な戦いの勧めです。これはテモテによって代表される教職者たちと教会への勧告です。
「しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。」(6:11)
<神の人>は、旧約聖書では、「神の使者」、「神の僕」のことですが、ここでは教職者を指します。<これらのこと>は金銭欲だけではなく、この手紙で警告されたすべてのことです。<信心>は神への畏敬とそれにふさわしい態度や生活を指します。神の人は、これらの、実りのない、つまらない口論を避け、出来る限り、災いの元になる人々との間に距離を置くように勧めます。次に<義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和>とを追い求めなさい、と勧めます。
「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。」(6:12)
<信仰の戦い>は異端との戦いとも、一般的にこの世の悪との戦いともとれます。<多くの証人の前での信仰の立派な表明>は、洗礼と任職式(按手礼)の両方を指しています。
パウロは<信仰の戦いを立派に戦い抜きなさい>と勧めます。パウロは、テモテへの第二の手紙4:7で<わたしは戦いをりっぱに戦いぬき>と言った時、彼は正義のために戦いに参戦し、イエス・キリストの良き兵卒として自分を捧げたことを意味しています。彼はテモテに同じことを命じていたのでしょう。教職者はイエス・キリストのために自分を捧げつくすべきです。そのようにして彼は永遠の命を獲得すべきです。彼は<多くの証人の前で立派な信仰を証明した時、そのために召され、その戦に参戦したのです。この戦いに召されたのは神なのです。パウロはテモテに、神の召しに応え、「永遠の命を手に入れなさい」と勧めます。
「万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。」(6:13)
13節は神とキリストに関する発言からなる古い信仰告白定式が用いられています。<万物に命をお与えになる神>という言葉で最初の創造と新しい創造(救済)が考えられています。<立派な宣言によって証しをなさった>、は12節の<立派に信仰を表明した>に並行します。教会の職務は、あらゆるもの創造者である方の御前とポンティオ・ピラトの前で証しをされたイエス・キリスト(マルコ15:2)の御前で、厳かに引き受けられなければなりません。
「わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。」(6:14)
<再び来られるときまで>は直訳すると、「現われまで」で、キリストの再臨を指します。<おちどなく、非難されないように>は「異端に汚されないように」の意。<この掟>はむしろ「その戒め」の意味です。洗礼式、また任職式の際に与えられた信仰と生活の教え全体を指します。テモテは、厳かに「おちどなく、非難されないように、この掟を守るように勧められています。
「神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。」(6:15-16)
キリストの再臨は、神によって<定められた時に>実現します。パウロは神をほめたたえます。頌栄に現れる神の一連の称号はユダヤ教の会堂から教会に取り入れられたものです。
神のみが祝福に満ちた唯一の方であることが強調され、他の神的権威(異教の神々、皇帝)などに対して神の唯一の主権者であることが主張されています。神のみが不死の存在、罪ある者にはあまりにもまぶしすぎ、近寄り難い方である。この神に<誉れと永遠の支配>があるように、アーメン、と讃美します。
【<王の王、主の主>は、申命記10:17、詩篇136:3参照。キリストについては黙示録17:14参照。<唯一の神>は申命記6:4参照)<近寄り難い光の中に住まわれる方>は詩篇104篇2節参照)<だれい取・・・・見ることのできない方>は、出エジプト記33:20、ヨハネ1:18参照。】
6章9節-10節では、<金持ちになろうとする者>の金銭欲のもたらす害悪が述べられました。その欲望は<誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥り>、人を破滅に陥れてしまいます。<金銭の欲は、すべての悪の根です>。金銭欲のゆえに信仰から脱落し、さまざまの精神的苦痛(幻滅、良心の呵責(かしゃく)、死後の不安など)に悩まされている者たちがいることが伝えられました。
「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(6:17)
6章17-19節は富んでいる者への勧めです。富そのものが拒否されているわけではないが、富者の陥りやすい危険が指摘されます。富者の最も陥りやすい危険は富のゆえの高慢と富による希望です。富ではなく、神のみが希望の真の根拠です。過ぎ去らない唯一の方、人間に必要なものをすべて惜しみなく豊かに与えて、<楽しませてくださる>神に信頼するように、金持ちを導かねばなりません。
「善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。」(6:18-19)
ここで推奨されているのは、援助を必要とする者たちに分配する分けあう喜び、物惜しみしないこと、そして自分自身の持てるものを他人に対する思いやりから与えようとする気前良さです。このような方法で、信仰深い者は、虫が食うことも、さび付くこともない宝(富)を天に積むことになるのです(参照マタイ6:20)。
牧会者は、莫大な富を持つ人々を恐れる必要はなく、彼らが憐れみの業をなす機会を具体的に自覚するように、彼らに誠実に語り、「真の命を得るために」彼らの魂に配慮しなければなりません。しかしこの牧会書簡においても、救いは人間の良い業ではなく、神の恵みによって与えられるものであることが明確に言い表されています。テモテへの手紙二、1章9節に、「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのでなくご自身の計画と恵みによるものです。」とあります。
「テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。」(6:20)
テモテに対する最後の勧めです。<ゆだねられているもの>は、ここではパウロに由来する使徒的伝承であり、正しい教会の公同の信仰です。それを守るように請われています。それを守るのは、人の関心が<俗悪な無駄話しに>それていくような場合は困難です。。いたずらに防備しないで、静かにしているように奨励されています。
「その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。」(6:21)
絶対的な知識を持っているようで、その実、無知同様な知識を持ている人々を避けなさい。信仰を目指しながら、彼らは信仰の道を踏み外しているのです。このような無駄話が超一流の学問、超一流の神学であるかのようであっても、それを避けなさい。受け継いだ使徒的伝承、受け継いだイエスの言葉、そして初期のキリスト宣教に固く留まりなさい。福音の使信はテモテに、そして教会に委ねられました。その純粋さを守り、福音の力によって、それを宣べ伝えてゆかねばならないのです。
手紙の結びは祝祷です。恵みが<あなたがた>と共にあるように、と「あなたがた」いう複数形が用いられています。単純な執り成しの祈りですが、神の愛に満ちた幸いを求める祈りで終わっています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます