富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「生命の回復」 使徒言行録9章36~43節

2020-07-09 22:30:55 | キリスト教

 ↑ ペトロ、タビタを生き返らせる (カトリック麹町聖イグナチオ教会所蔵画)

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380・FAX:022-358-1403

                日本福音教団 富 谷 教 会    週 報

            聖霊降臨節第七主日  2020年7月12日(日)       午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序

                司会 斎藤 美保姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 288(恵みにかがやき)

交読詩編   49(諸国の民よ、これを聞け)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)使徒言行録9章36~43節(p.231)

説  教   「生命の回復」

祈 祷                 辺見宗邦牧師                

讃美歌(21) 481(救いの主イェスの)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

                  次週礼拝 7月19日(日) 午後5時~5時50分  

                  聖 書  使徒言行録24章10-21節

                  説教題   「復活の希望」

                  讃美歌(21) 327 545 27 交読詩篇 96

      本日の聖書 

  9:36ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。37ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。38リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。39ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。40ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。41ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。42このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。43ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。

          本日の説教

主イエスの十二使徒の筆頭であるペトロは、ぺンテコステの日以来、エルサレム市内や、神殿でユダヤ人の民衆に福音を語り始めました(2章14節~3章26節)。使徒たちの手によって多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われ、多くの男女が主を信じ、その数がますます増えました(5章12~14節)。使徒たちを補佐する七人が選ばれ、その中にステファノと共に、ピリポの名があります。(6章5節)。

  

7章では、ステファノの説教と殉教が記され、サウロ(後のパウロ)は、ステファノの死を目撃しました。その日、エルサレムの教会(複数形:エクレシアン)に対する大迫害が起こりました。

十二使徒以外の者は、ユダヤ、サマリアの地方に散って行きながら、福音を告げ知らせました。七人の補助者の一人に選ばれたフィリポはサマリアの町に下って行き、人々にイエス・キリストの名についての福音を宣べ伝えました。人々は信じ、洗礼を受けました(8章12節)。

エルサレムにいたペトロとヨハネは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、サマリアに行き人々が聖霊を受けられるように祈りました。人々は洗礼を受けていただけで、聖霊はだれも受けていなかったからです。二人はサマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサエムに帰りました(8章14-25節)。

その後、フィリポはエチオピアに帰るためガザの方に向かって旅していた高官(宦官(かんがん)に福音を伝え、洗礼を授けてから、アゾトに姿を現し、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行きました。(8章40節)。

9章には、シリアのダマスコにいるキリストを信じる信徒たちを迫害するために向かったサウロ(ギリシャ名はパウロ)が、ダマスコに近づいたとき、天から語りかける主イエスの声を聞き、回心してイエス・キリストを信じ、ダマスコで福音を伝えたことが記されています。かなりの日数がたてから、サウロを殺そうとするユダヤ人の手から逃れて、サウロはエルサレムに着き、使徒たちに宣教の報告をしました。エルサレムでも、ギリシャ語を話すユダヤ人たちがサウロを殺そうとねらっていたので、兄弟たちはサウロを連れてカイサリアに下り、そこからサウロの出生地のタルソス(トルコ中南部の都市タルスス。アダナから西へ約40km離れた 地中海沿岸に位置する)へ出発させました。こうして、教会(エクレシア:5章11節、8章1節)はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の励ましと慰めを受け、基礎が固まってて発展し、信者の数が増えていきました(9章31節)。教会はいずこにあっても、まず何よりも、聖徒の交わりでした。

 一方、ペトロは再びフィリポの伝道した方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖徒たちの所へ下っていきました(9章32節)。エルサレムの北西38キロにあるリダ(旧約聖書ではロド)は、エルサレムからヤッファに至る途上にあり、ヤッファに近いところです。

  

  「ペトロの巡回宣教」(使徒9:32)紀元35年~45年にかけて                 ①ルダ=リダ  ②ヨッパ=「ヤッファ」

 ペトロはアイネアという八年間も床についていた中風(ちゅうぶ、〈脳卒中〉の後遺症による半身不随の状態を指す言葉です)の人に会いました。おそらく老人だったのではないかと思われます。体の不自由なことは本人にとってつらく苦しいことであり、周囲の者たちにも気の毒に思える状態です。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がりました。

かつて、ペトロはエルサレム神殿の美しの門で、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言って、生まれながら足の不自由な人をいやしたことがありました(使徒言行録3・1~10)。そのいやしは、ペトロではなく、「イエス・キリストがいやしてくださる」のです。主イエスご自身も中風の人を癒されています(ルカ5:17-26)。

癒されたアイネアを見て、リダとシャロン地方(カイサリアからヤッファにかけての海岸地帯)の人々は皆、主キリストを信じるようになりました(9章32-35節)。

そして今日の聖書の箇所に入ります。地中海に面したヤッファ(現在のテル・アビブのヤッファ)の町にヘブライ名はタビタ、ギリシャ名はドルカス(「牝のかもしか」の意)という婦人の信者がいました。「ドルカス」と言う名はこの婦人のスリムな姿と活発な活動を想像させます。彼女は数々のよい働きや慈善をしていた人でした。このような働きによって、ドルカスは教会にとってなくてはならない存在でした。彼女はやもめたちの世話や、自分のできる針仕事で衣服を作り与えていたのです。

ところが、そのころ彼女は病気になって、ついに死んだのです。ヤッファの教会の人々は悲しみ、落胆しました。人々は亡くなった彼女の体を洗い清め、別れを惜しみ、屋上の部屋に安置しました。かつてエリヤが、シドンのサレプタのやもめの子が死んだとき、階上の部屋に子ども寝かせて生き返らせたことがありました(列王記上17・17~24)。タビタも階上の部屋に置かれたのです。死は人生の最大の問題です。どうれば死別の悲しみが癒されるのでしょうか。どうしたら死を乗り越え、死に捕らわれない生き方ができるのでしょうか?

リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼みました。リダとヤッファの距離は近く、18キロでした。ここもフィリポの伝道地でした。使いのしらせを受けたペトロは、リダをたって、その二人と一緒に出かけました。人々はペトロが到着すると、屋上の部屋に案内しました。すると、かつてドルカスから施しを受けていたやもめたちは皆ペトロのそばに寄って来て、泣き悲しみながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せました。ペトロは泣く女たち皆を外に出し、預言者エリヤ(列王記上17・19)やエリシャ(列王記下4・33)のように独りになり、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言いました。すると、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がりました。ペトロは彼女に手を貸して立たせました。そして、信徒たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せました。生き返ったタビタを見た人たちは、この信じられない出来事にどんなに驚いたことでしょう。そして喜んだことでしょう。この奇跡は終末に起きる復活の先取りのしるしでした。

ペトロがタビタのしたことは、かつて主イエスが会堂長ヤイロの娘を生き返らせた時と似ています(ルカ8・41~56)。主イエスは、三人の弟子たちと娘の父母を残し、他の人々を外に出しました。そして主イエスは「タリタ・クム」(アラム語=ヘブライ語の地方語)と言われました(マルコ5・41)。これは、「少女よ、(わたしはあなたに言う)起きなさい[エゲーレ]」という意味です。福音書記者マルコは、アラム語とギリシア語を話すユダヤ人であったと思われます。

ペトロは「タビタ・起きなさい[アナステスィ]」と言ったと使徒言行録の著者は記していますが、おそらくペテロは主イエスと同じガリラヤ生まれなので、アラム語を話し、イエスが会堂長の娘を生き返えらせたとき、そばにいたので(マルコ5・37)、イエスと同じようにアラム語で「タビタ・クム」と言ったと思われます。

主イエスは死んだ少女の手を取って「タリタ・クム」と言われました。ペトロは「タビタ、クム」言ったあと、彼女が目を開き、ペトロを見て起き上がったので、手を貸して立たせました。主イエスのなさったのとは違いがあります。しかし、根本的な違いは、主イエスはご自分の力で娘を生き返らせたことです。一方ペトロは、ひざまずいて祈り、主に願ってから「タビタ、起きなさい」と言ったのです。

このペトロの言葉は、主ご自身の言葉として語られたのです。ここに主イエス・キリストが働かれたのです。キリストの復活の力、聖霊の力によって、タビタは生き返ったのです。この奇跡はヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じ、信者になりました。

主イエスは、会堂長ヤイロの娘と、ナインのやもめの息子(ルカ7・14-15)と、べタニヤのラザロ(ヨハネ11・43)の三人を生き返らせています。それはイエスが神の御子であることを証する目的のためであり、愛のあらわれとして行われたものでした。ラザロの場合は、彼の死を悲しんでいる二人の姉妹、マリアとマルタを憐れんだためであり、イエスが生も死もつかさどる神であり、イエスを信じる者は死んでも生きるのであり、決して死ぬことはないことをあかしするためでした。

「兄弟たち、すでに眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知って欲しい。イェスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イェスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます」(テサロニケ一、4章13-14節)とパウロは励ましています。

使徒言行録は、当時の教会が、言葉と力ある業、多くのしるしによって信者の数を増していったことを、くり返し述べています。聖霊の働くところ、そこには「イエスは主である」との信仰が生まれ、イエスの名は、天地の創造者である父なる神と同じように、命と死を与える力を持っていることを知らなければなりません。このキリストの偉大な力を受けたパウロは、次のように言っています

「異邦人を従順に導くために、キリストが私を通して働かれたこと以外は、わたしはあえて語ろうとは思いません。キリストが言葉とわざにおいて、しるしと不思議を現す力により、御霊(みたま)の力によって働かれたのです(ローマ 15;18~19)。

主イエスの時代や使徒たちの時代は、啓示の歴史の時代だったと言われています。だから、イエスが神の子であるということ、また使徒たちが教会の礎として主に任命された使徒なのだいうあかしのために、それらの奇跡は必要だったのです。しかし今は、神のみこころの完結された啓示である聖書が与えられているのだから、この当時と同じ形での奇跡をもって語られる必要はありません。しかし、神は全能の父なる神であり、「神にできないことは何一ない」(ルカ1・37)のです。

このあとペトロはヤッファで革なめし職人のシモンという人の家にしばらく滞在しました。当時「革なめし」という職業は、動物の死体にさわるので、ユダヤ人の間では汚れた職業とされていました。その家にペトロが滞在したのは、その家から、神はペテロによって、差別や偏見を越えた福音を異邦人に伝えていくのです。

 

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