↑ 「しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。」テモテ一、6章11節
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日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
聖霊降臨節第2主日 2024年5月26日(日)午後3時~3時50分
礼 拝 順 序
前 奏 辺見トモ子姉
司 会 辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 197(ああ主のひとみ)
交読詩篇 37:23-30(主は人の一歩一歩を定め)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)テモテへの第一の手紙6章11~16節(新p.389)
説 教 「信仰の戦い」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 535(正義の主イェスに)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
次週礼拝 6月2日(日)午後3時~3時50分
聖 書 ローマの信徒への手紙10章5-17節
説教題 「神の民の誕生」
讃美歌(21)219 69 27 交読詩篇 29:1~11
本日の聖書 テモテへの第一の手紙6章11~16節
6:11しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。 12信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。 13万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。 14わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。 15神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、 16唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。
本日の説教
この手紙の著者は、「パウロ」(1:1)とあります。(最近ではパウロ以後のパウロの信仰の遺産を十分に継承した彼の弟子か、あるいは後継者によって書かれたと言われています。)この手紙の書かれた目的は、「神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたい」(3章15節)とあります。「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」とあります。この手紙はエフェソを含む小アジアで成立したと推定されています。
テモテはパウロの弟子であり、パウロの伝道旅行の同行者であり、また宣教の同労者です。パウロはテモテを、「わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれてたわたしの生き方を、あなたがたに思い起させることでしよう」(コリント一、4:17)と紹介しています。テモテは宣教と指導の務めを託されてパウロのもとから諸教会に派遣されています。
テモテの手紙一の冒頭でパウロはテモテに偽預言者や偽の教理に騙されないようにと警告します。しかし手紙の大部分は教職者としての行動がどうあるべきなのかについて書かれています。パウロはテモテにどう礼拝すべきなのか(2章)、また教会の為に成熟した指導者達を送り出す為にはどうすればいいかを指導します(3章)。この手紙には個人的な生活習慣、偽教師達についての注意、罪に陥ってしまった教会員や、身寄りのないやもめや、長老や奴隷達に対する教会の配慮についての教えが書かれています。手紙全体を通してパウロはテモテに堅く立ち、耐え忍び、召しに従って歩み続けるようにと励まします。
4章では、背教を予告し、キリスト・イエスの立派な奉仕者になりなさいと勧めます。5章では、教会の人々に対して教職者はどのよう接すべきか、細かい指示を与えています。
6章1~10節では、信心は、満ち足りることを知る者には大きな利得の道です、と教えます。なぜなら、私たちは、何も持たずに世に生れ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から脱落し、さまざまの精神的苦痛(幻滅、良心の呵責(かしゃく)、死後の不安など)ひどい苦しみに悩まされている者たちがいると、と警告しています。
しかし、金持ちになったり、有名になったりすることは決して悪いことではありません。クリスチャンには、自分に与えられている富や才能を正しく管理する使命が与えられています。自分の使命に忠実な人は、結果的に、裕福になったり、有名になったりする確率が高くなります。しかし、金持ちになったり、有名になったりすることを人生の目標にするのは、間違っています。クリスチャンの目標は、愛に生きることであり、神の栄光を表わすことです。成功した人は、それを神のご計画のために用い、天に宝を積むべきなのです。
「しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。」(6:11)
11-16節には、「神の人」は旧約聖書では神の僕、神の使者を指しますが(ヨシュア記14:6)、ここでは教職者を指します(テモテ二、3:17に<神に仕える人>とあります)。あなたは<これらのこと>を避けなさい。<これらのこと>とは、金銭に対する誤った態度からくる危険を避けなさい、ということだけでなく、この手紙で警告されたすべてのことを指しています。実りのない、つまらない口論を避けなさい。できるだけ、人々を傷つける貪欲で、わけのわからない話をして災いの元をつくる人々との間に距離を置くように、と勧めています。
次に、<追い求めなさい>と勧めます。神自身の性質を正確に反映する特質である、<正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい>と勧めています。六つの徳目があげていますが、これらは聖霊が結ばせてくださる実です。
「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。」(6:12)
<信仰の戦い>は異端との戦いとも一般的にこの世の悪との戦いとも取れます。信仰の戦いを立派に戦い抜きなさい、と勧めます。同時に、パウロは、テモテに、<永遠の命を手に入れなさい。命を得るため、あなたは神から召され、<多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです>と記しています。この表明をしたのは、洗礼と按手礼の両方を指しています。このことは多くの証人の面前でなされたテモテの信仰告白を指しています。その召命に忠実でありなさい、とパウロは勧めています。
「万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。」(6:13)
<万物に命をお与えになる神>という言葉で最初の創造と、新しい創造(救済)の神を指します。そして、ポンティオ・ピラトの前で<立派な宣言によって証しをなさった>は、イエスが神の子であるという証しをして自ら死を引き受けられたことです(マルコ15:2)。この神とイエス・キリストの御前で厳かに教会の職務は引き受けられなければなりません。
「わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。」(6:14)
<再び来られるときまで>は、キリストの再臨を指します。パウロは、手紙の終わりに近いこの段落で、勧告を最後の審判の文脈に置くことにより、あたかも「万物に命をお与えになる神の御前」(13節)にいるように、その勧告には激しさを加えています。テモテは、厳かに<おちどなく、非難されないように、この掟を守>るようにと勧めています。どんな掟でしょうか。その従うべき命令は彼の最初の信仰告白に付随したものです。洗礼式あるいは任職式の際に与えられた信仰と生活の教え全体を指します。
「神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。」(6:15-16)
キリストの再臨は、神によって<定められた時に>実現します。パウロは神をほめたたえます。
頌栄に現れる神の一連の称号は、<祝福に満ちた唯一の主権者>、<王の王、主の主>、<唯一の不死の存在>、<近寄り難い光の中に住まわれる方>、<だれ一人見たことがなく、見ることのできない方>です。神は唯一であることが強調され、他の神的権威(異教の神々、皇帝など)に対して神の絶対的卓越性が主張されています。この神に<誉れと永遠の支配がありますように、アーメン>と賛美します。
11節の「追い求めなさい」という表現や、12節の「信仰の戦いを立派に戦い抜き」、「永遠の命を手に入れなさい」という一連の表現は、いずれも努力や自力を説いているように聞こえ、「信仰により、恵みにより救われる」ことを力説するパウロの教えとは相反するのではないかとの疑念が生じます。しかし、恵みがすべてに先行すことは言うまでもありません。人は、受けた恵みに自由に応答すべきですが、自由な応答さえも恵みの影響下にあることも認めるべきです。善い行いは、恵みによって生きている者が、必然的に結ぶ実なのです。
自分の力に頼るのでなく、キリストに心を向け、弱いときは力をくださいと祈り、知恵が足りないときは知恵をくださいと祈り、愛と忍耐が足りないときは愛と忍耐をくださいと祈り、悪魔の誘惑を覚えているときはお守りくださいと祈り、主のみこころを成し遂げたときは、「すべては恵みです」と告白できる者となりましょう。救いはキリストによる恵みであり、救われた後もキリストによる恵みに生きるのです。