富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「国難に立ち向かう王の祈り」歴代誌下20章5~19節

2023-12-04 23:27:59 | キリスト教

  ↑ 「国家の脅威を知らされて、ヨシャファト王は恐れた。」

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1403・FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週 報

降誕節第二主日    2023年12月10日(日)  午後2時~2時50分

            礼 拝 順 序

                司会 邉見 順子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 268(朝日は昇りて)

交読詩編    73(神はイスラエルに対して)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)歴代誌下20章5~19節(旧p.695)

説  教 「国難に立ち向かう王の祈り」辺見宗邦牧師

祈 祷                                         

讃美歌(21)  17(聖なる主の美しさと)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

                  次週礼拝  12月17日(日)午後2時~2時50分   

                  聖 書   マラキ書3章19~24節

                 説教題  「先駆者」

                 讃美歌(21) 214 263 27 交読詩篇 19

  本日の聖書 歴代誌下20章5~19節

 20:5ヨシャファトは主の神殿の新しい庭の前でユダおよびエルサレムの会衆の中に立ち、 6こう祈った。「わたしたちの先祖の神、主よ。あなたは天にいます神、異邦人の国をすべて支配しておられる方ではありませんか。御手には力と勢いがあり、あなたに立ち向かうことのできる者はいません。 7わたしたちの神よ、あなたはあなたの民イスラエルの前からこの地の先住民を追い払い、この地をあなたの友アブラハムの子孫にとこしえにお与えになったではありませんか。 8彼らはここに住み、ここにあなたの御名のために聖所を建てて言いました。 9もしわたしたちが裁きとして剣、疫病、飢饉などの災いに襲われたなら、この神殿にこそ御名がとどめられているのですから、この神殿の前で御前に立ち、苦悩の中からあなたに助けを求めて叫びます。あなたはそれに耳を傾け、救ってください。 10今、アンモン人、モアブ人、セイルの山の人々を見てください。かつてイスラエル人がエジプトの地から出て来たとき、あなたは彼らの土地に入って行くことをお許しになりませんでした。そのためイスラエル人は、彼らを避け、滅ぼさずにおきました。 11御覧のように、今彼らはわたしたちに報いて、あなたがわたしたちにお与えになったこの土地から、わたしたちを追い出そうと攻めて来たのです。 12わたしたちの神よ、彼らをお裁きにならないのですか。わたしたちには、攻めて来るこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません。13ユダのすべての人々がその幼子も、妻も、息子と共に主の御前に立っていた。 14その会衆の中で、アサフの子孫のレビ人ヤハジエルに主の霊が臨んだ。ヤハジエルの父はゼカルヤ、祖父はベナヤ、更にエイエル、マタンヤとさかのぼる。 15彼は言った。「すべてのユダよ、エルサレムの住民とヨシャファト王よ、よく聞け。主はあなたたちにこう言われる。『この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。 16明日敵に向かって攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたたちはエルエルの荒れ野の前、谷の出口で彼らに会う。 17そのときあなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。』」 18ヨシャファトは地にひれ伏し、すべてのユダとエルサレムの住民も主の御前に伏して、主を礼拝した。19レビ人のケハトの子孫とコラの子孫は立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した。

   本日の説教

   ヨシャファトは、ユダ王国の4代目の王です。35歳で王になり、紀元前873年から849年まで、25年間エルサレムで王位にありました。統一王国分裂後、ヨシャファト王と北のイスラエル王国のアハブ王との和睦によって、60年続いた南北の交戦状態が終わり、友好的な関係になりました。

    ヨシャファト王についての記録は、列王記では22章1節~51節に記されています。歴代誌下の記録では、17章で、即位したヨシャファト王は父より受け継いだ熱心な信仰そのままに、民に教えを広めます。

   18章では、北イスラエル王と手を組んだことでアラムに敗北し、神さまからの怒りを示されます。

   19章では、預言者イエフの言葉を聞き、過ちを糺されながらも、善いところを認められ、再起します。

   20章では、ヨシャファト王の戦いのための祈りと勝利が記されています。

    ヨルダン川東岸に住むイスラエルの宿敵、<モアブ人>と<アンモン人>が、死海南方に住む<メウニム人>の一部と共にヨシャファトに戦いを挑みました。メウニム人は死海南方のエドム人との関わりが深い人々のことと考えられます。人々がヨシャファト王のところに来て、「死海のかなたのエドムから大軍が攻めて来て、エン・ゲディにいます」と告げました。<エン・ゲディ>は死海西岸の岸辺のほぼ中央にある町です。エルサレムから約40㌔の地点です。ダビデがサウル王の手を逃れて、この要害に身を潜めていたことがあります(サムエル記上24章1節)。

 

  イスラエル王国とユダ王国の歴代諸王

 大軍の来襲の報に接したヨシャファト王は非常に驚き恐れました。ユダにも百万を超える兵士がいたはずですが(17:14節以下)、それでも恐れをなすということは、戦力に大きな開きがあったのでしょう。ヨシャファトはこの時、北イスラエルに援軍を求めませんでした。ただ神の助けに頼るほかなく、軍隊をもってこれに当たることの不可能であることを知り、主に助けを求めることを決意し、全国民に断食を呼びかけました。<断食>は、自分を普段満たしているものを遠ざけて、主を求める思いへと自らを集中させ、主なる神さまへの思いを整えてから祈るのです。災いや危機が襲った際に悔い改めの姿勢を表現し神の介入をうながすためにしばしば断食が布告されました。

   ユダの人々は主を求めて集まりました。ユダのすべての町から人々が主を求めて集まりました。絶体絶命のピンチに、王と民が一つになって主を求めたのです。ヨシャファトは主の神殿の新しい庭(ソロモンの神殿の大庭4:9参照)の前でユダおよびエルサレムの会衆の中に立ち、祈りました。

 <わたしたちの先祖の神、主よ>と呼びかけ、あなたは<異邦人の国をすべて支配しておられ>、<あなたに立ち向かうことのできる者はいません>と全能の主を讃えます。

  「わたしたちの神よ、あなたはあなたの民イスラエルの前からこの地の先住民を追い払い、この地をあなたの友アブラハムの子孫にとこしえにお与えになったではありませんか。」

    神がアブラハムに「あなたの子孫と契約を結び、カナンの土地を全て与える」と約束し、このカナンの地(パレスチナ)に住む先住民を追い払って、イスラエルにこの地を与えたことを告げます。

  「彼らはここに住み、ここにあなたの御名のために聖所を建てて言いました。」これはソロモン王が神殿奉献式で祈った祈りのことを言っています。

 「もしわたしたちが裁きとして剣、疫病、飢饉などの災いに襲われたなら、この神殿にこそ御名がとどめられているのですから、この神殿の前で御前に立ち、苦悩の中からあなたに助けを求めて叫びます。あなたはそれに耳を傾け、救ってください。」これはソロモン王の長い祈りの中の一部分を、凝縮して言っています(列王記上8:37-39)。

 「剣、疫病、飢饉などの災い」は、民を襲うおそろしい国難です。苦悩の中から助けを求めて叫び、祈るので、そのときには耳を傾けて聞いてくださり、救ってください、と神に願います。今、モアブ人の連合軍がユダを剣で襲撃しようとしています。

  ヨシャファトの嘆願は続きます。「今、アンモン人、モアブ人、セイルの山の人々(死海の南のエドムの地、メウニ人)を見てください。かつてイスラエル人がエジプトの地から出て来たとき、あなたは彼らの土地に入って行くことをお許しになりませんでした。そのためイスラエル人は、彼らを避け、滅ぼさずにおきました。」

  <セイルの山の人々>とは、死海の南のエドムの地のこと。イスラエルのエジプト脱出と約束の地に入るまでの旅で、神はエドムの地へのイスラエルの民の進入を認めず迂回させたので、イスラエル人は彼らを滅ぼさずにおいたことを訴えます(民数記20:17-21、申命記2:8参照)。             「御覧のように、今彼らはわたしたちに報いて、あなたがわたしたちにお与えになったこの土地から、わたしたちを追い出そうと攻めて来たのです。」

 その彼らが、イスラエルの民を追い出そうと攻撃しようとしている現状を神に訴えます。「わたしたちの神よ、彼らをお裁きにならないのですか。わたしたちには、攻めて来るこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません。」

 <彼らを裁かないのですか>と、神が彼らの恩義を無にする攻撃に報いて天罰をあたえることを求めます。わたしたちには、攻めて来るこの大軍を迎え撃つ力はなく、ただあなたを仰ぐことしかできません、とヨシャファト王は祈りました。

 ユダのすべての人々がその幼子も、妻も、息子と共に主の御前に立っていました。その会衆の中で、アサフの子孫のレビ人ヤハジエルに主の霊が臨みました。ヨシャファトの祈りに対して神はヤハジエルの口を通して答えられました。彼は、「すべてのユダよ、エルサレムの住民とヨシャファト王よ、よく聞け。主はあなたたちにこう言われる。『この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。明日敵に向かって攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたたちはエルエルの荒れ野の前、谷の出口で彼らに会う。そのときあなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。』」と告げました。

 ヨシャファトを討つ大軍を、神御自身が、恐れる必要などないと言われるのです。神みずから敵を滅ぼしてくださることを約束されました。ヨシャファトは地にひれ伏し、すべてのユダとエルサレムの住民も主の御前に伏して、主を礼拝しました。<レビ人のケハテの子孫>(歴代上6:16)と<コラの子孫>(歴代上6:38)は神殿の詠唱者(合唱隊)です。彼らは大声をあげて神を賛美しました。

 翌日朝早く、彼らはテコアの荒れ野に向かって出て行きました。ヨシャファトは「ユダとエルサレムの住民よ、聞け。あなたたちの神、主に信頼せよ。そうすればあなたたちは確かに生かされる。そうすれば勝利を得ることができる」と言いました。軍隊の先頭に聖歌隊を進ませ、「主に感謝せよ。その慈しみはとこしえに」と讃美させて進んだのです。彼らが讃美し始めると、主はユダに攻め込んで来た敵軍に、伏兵を向けられたので(22節)、彼らは破れました。その後、敵軍は同士討ちをして自滅してしまいました(23節以下)。確かにユダの民は、戦わずして勝利を得たのです。

 主がイスラエルの敵と戦われたということを聞いて、地のすべての国がどこも神への恐れに襲われました(20:29)。このようなわけで、ヨシャパテの王国は平穏でした。彼の神は、周囲の者たちから彼を守って、平安を与えられました。王と民が心を一つにしたこと、断食して主を求めたことに主が答えられ、圧倒的な勝利を授けられたのです。 ここに、祈りに答えてくださる主の力が示されています。

 主イエスは終末の徴として、「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。・・・「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現われる」(ルカ21:9~11)と言っています。世の終末を思わせられる今日です。 

 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ地区のハマスに対する徹底掃討攻撃等、多くの国々で紛争が続いています。そのため避難民がきびしい状況の中にあります。為政者と国民が心を一つにして、主の助けを信じて、この国難を恐れず、立ち向かっていかなければなりません。日本の政府も、このような状況下にあって、世界の平和のために貢献しなければなりません。国民もそのために祈らなければなりません。

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