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日本キリスト教 富谷教会 週報
年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』
聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」 (フィリピ4:6)
聖霊降臨節第9主日 2015年7月19日(日) 5時~5時50分
礼 拝
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心 )
交読詩編 133(神はわたしたちの避けどころ )
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 フィリピの信徒への手紙4章1~3節 (共同訳[新]p.365)
説 教 「女性の働き」 辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 535(正義の主イエスに)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 7月26日(日)午後5時~5時50分
聖 書 ペトロの手紙一3章13~22節
説 教 「苦難の共同体」
讃美歌(21) 528 531 24
本日の聖書 フィリピの信徒への手紙4章1~3節
1だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。 2わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。 3なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。
本日の説教
パウロのニ回目の旅の随行者はシラスです。途中リストラ(地図12)でテモテを旅行に加えたパウロ一行の三人は、聖霊に導かれてアジア州のトロアス(地図19)に行きました。このトロアスで一行はマケドニヤ伝道の幻を与えられたのです。初めてヨーロッパに渡り、マケドニア州フィリピ(地図20)の町に行って宣教するようになった経緯(いきさつ)が次のように書かれています。 《その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。》トロアスで医者ルカがパウロの一行に加わりました。
《 わたしたちは(ルカとパウロの一行3人)トロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリス(現在名はカバラ)の港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。……ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けた……》(使徒言行録16・9~15)
フィリピの遺跡
フィリピは、現在はギリシャ共和国の北東部、ブルガリアの国境に近い、東マケドニア地方にある、ピリッポイという町(Filippoi)です。
マケドニヤ王国のアレキサンダー大王の父親フィリッポス二世がこの町を占領し、自分の名にちなんでフィリッピ(ピリピ)命名した町です。近くの山から金が産出したので金鉱開発が進められ、ヨーロッパに通じるエグナティア街道の重要な場所としてこの町は発展しました。パウロが訪れた時は、この地方最大のローマの植民都市でした。
リディアはエフェス=エペソ(地図18)の北東約80キロにあるティアティラ市(現在名はアクヒサール)出身の紫布を商う商人でした。彼女は家族や使用人と共に、パウロから洗礼を受けたヨーロッパで最初の信徒でした。彼女の家で集会がもたれ、教会に成長しました。彼女が住んでいた土地はリディア村と呼ばれ、現在もフィリピの遺跡の西にリディア(Lydia)と呼ばれる町になっています。
リディアが洗礼を受けたガギタス川と教会
このようないきさつで使徒パウロから福音を伝えられてフィリピの教会は、以後、パウロと親密な関係を保ちました。パウロはフィリピの信徒への手紙で、最初の挨拶の後、<わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。>(1・3) と述べています。この4章からなる短い手紙で、<喜び>という言葉が16回も用いられ、手紙の内容も<イエス・キリストにある喜び>で満ちているところから、「喜びの書簡(手紙)」とも呼ばれています。
フィリピ書、フィレモン書、エフェソ書、コロサイ書は「獄中書簡」と呼ばれています。フィリピ書とフィレモン書はパウロがエフェソで監禁中に書いたものと思われています。監禁の場所とフィリピとの往来(フィリピ2・19~30に四回の行き来が考えられます。1テモテを遣わす、2わたし自身も行く、3・4エバフロディトが来て、帰る)があったことから、フィリピに近いエフェソと思われているのです。パウロは第三伝道旅行中の紀元53~55年頃エフェソに二年三か月滞在しました。エフェソの投獄については、ルカは書いていません。しかし、パウロ自身は、アカイア、マケドニア、アジアの諸教会との文通の中で、繰り返しその受難について言及しています。
「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」(コリント二,1・8~10)
一方、エフェソ書とコロサイ書はパウロがローマで監禁中に書いたとする説が有力です。
フィリピの教会の信徒たちは、監禁中のパウロのもとに、エパフロディトを代表に立て、贈り物を持たさせて派遣しました。彼はしばらくパウロのもとにとどまって奉仕をしていたが、病を得て、フィリピに送り戻されることになりました。パウロは贈り物への感謝を表し、使徒としての配慮から種々の勧告を記したこのフィリピ書をエパフロディトの持たせて送ったのです。
今日の聖書の個所、4章1節には、「だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」とあります。<だから>とは、3章に記された主イエス・キリストが救い主として来られるの待ち望みつつ進むキリスト者の生き方を指しています。パウロは愛するフィリピの信徒たちに、さらに勧告を続けるのです。<わたしが愛し、慕っている兄弟たち>と呼びかけ、もう一度、<わたしの喜びであり、冠である愛する人たち>と呼びかけています。
「わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。」
二章の始めから、信徒間の一致を勧めてきたパウロは、<エボディア>と<シンティケ>という二人の婦人の個人に対して、<主において同じ思いを抱きなさい>と勧告しています。このような個人に対する勧告が、パウロの手紙には他にないので、この二人の婦人の問題が単なる個人的な争いではなく、何らかの形で教会全体に関わる問題であったと思われます。この二人が互いに抗争関係にあるので、仲直りするようにと勧告しているのではなく、パウロの意図は、信徒の交わりとしての教会全体の形成に向けられています。そうすると、<主において同じ思いを抱きなさい>は、彼女たちが他の信徒たちと同じ行動をとり、教会生活を送ることを勧める言葉となります。おそらく彼女たちは、フィリピの教会にとって影響力の大きい人物だったと思われます。
彼女たちは、4章3節にあるように、かつて<福音のために>、<共に戦った>とあります。これは、単に過去の業績を指摘するだけの言葉ではなく、今また再びそのようなことの行われるを期待する言葉です。
パウロは、「あなたがたは一つの霊によってしっかりと立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており」(フィリピ1・27)と語りました。パウロは、エボディアとシンティケに語りかける前に、<主によってしっかり立ちなさい>と勧告しています。パウロは、何らかの事情で教会の活動に協力的でなくなっているエボディアとシンティケに<主によってしっかり立つ>ことを求めたのです。おそらく彼女たちは教会建設に際して努力を惜しまなかった婦人たちだったのでしょう。
「なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。」
教会の指導的な立場にあった協力者に、二人の婦人を助けるように頼んでいます。彼女たちの間の仲介の労をとってほしいともとれるが、むしろ、彼女たちの信仰の戦線復帰に努力してほしいという依頼です。
「二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。」
クレメンスは教会の創立時の指導者だったのでしょう。<命の書>に名を記されているとは、神の民の天にある登録簿に名前が記されているということであり、神の救いの計画に入れられている、という終末的約束です。罪人の名がそこから<消し去る>と言う表現が詩編69・28にあります。命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと同じように、彼女たち二人も救いの計画に入れられており、彼女たちはみんなと力を合わせて、福音のためにわたし(パウロ)と共にと戦ってくれた人達なのです、とパウロは彼女たちのかつての業績をたたえているのです。彼女たちのことを多くの人が忘れても、神はその忠実な僕を覚え、ご自身の民として祝福してくださっていることをパウロはフィリピの教会の人たちに伝え、彼女たちを復帰させるように依頼しているのです。
フィリピの教会は、先に述べたように、紫の布を商うリディアが信者になり、彼女が自宅を開放して、パウロの宣教を助け、彼女の家が基礎となって出来た教会です。 エボディアとシンティケは、このリディアの信仰を受け継いだ有力な信徒と思われます。リディアたちを中心として出来たフィリピの教会は、その後長くパウロに対する親愛の情を保ち、彼に必要な経済的援助を送ってパウロを助けました。
パウロがコリントで出会ったプリスキラと夫のアキラもパウロを助けました。パウロは彼女の家に住み込んでコリントで伝道したのです(使徒言行録18・1~4)。この夫妻は、その後、パウロに同行してエフェソに行き、エフェソでも活躍したのです。
コリントの東にケンクレアイ港がありますが、ケンクレアイの教会の奉仕者の女性フェベもパウロの援助者でした(ローマ16・1~2)。このように、キリスト教の発展の陰にはこのような女性信徒や女性指導者がいたことを覚えたいと思います。
「正義の君なる神の御子の」で始まる賛美歌376番の4節に「老い人、若うど、おとこ、おみな(女性のこと)、新手となりつつ 敵にあたり、み国をのぞみて いさみ進む、 つづかせ給えや 主よ、我をも」とあります。福音の信仰のために、共に戦いましう。