〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 日本キリスト教 富 谷 教 会
年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」
聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6
週 報
聖霊降臨節第二十三主日 2013年10月27日(日) 5時~5時50分
礼 拝 順 序
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 492(み神をたたえる心こそは)
交読詩編 62()
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 創世記32章23 ~33節
説 教 「神と格闘するヤコブ」 辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 457(神はわが力)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 2013年11月3日(日)午後5時~5時50分
聖書 創世記35章1-15節
説教 「再びベテルに上るヤコブ」
交読詩編 46 讃美歌529 457 27
本日の聖書 創世記32章23~33節
32:23その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。 32:24皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、 32:25ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。 32:26ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。 32:27「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 32:28「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、 32:29その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 32:30「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。 32:31ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。 32:32ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。 32:33こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。
本日の説教 「神と格闘するヤコブ」 辺見宗邦牧師
先週の礼拝では、ヤコブが住み慣れたベエル・シェバから、パダン・アラム(アラム人の住む平地)のハランに住む、母の実家の兄、ヤコブにとって伯父にあたるラバンのもとに、出立し、途中荒野の中で夜を迎え、石を枕にして寝たときに、神様が現れ、ヤコブを祝福することを約束してくださったのです。『わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない』」(28章13~15節)
翌朝、ヤコブは枕にしていた石を記念碑として立て、その場所をベテル(神の家)と名付けたお話しをいたしました。
父イサクが、祖父アブラハムから受け継いだ神様の祝福を、長男のエサウが受けるべきであったのを、ヤコブが母の策略もあって、父をだまして、自分のものに横取りしてしまったことにより、兄エサウを怒らせ、自分の命を狙われるようになり、母の故郷に、表向きは嫁探しの目的で、亡命したのです。
ヤコブはこのハランで20年間、叔父であるラバンの家に留まりました。そしてラバンの二人の娘、レアとラケルを妻にし、また二人の側女(そばめ)も妻とし、十一人の息子たちと多くの家畜を持つ者となりました。夢の中で、ヤコブに神のお告げがあり、「ヤコブよ、・・ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべてわたしには分かっている。わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい(21:11-13)」と言われました。
ヤコブは、妻たちラケルとレアの同意もあり、すべての財産を持って逃げ出し、川を渡りギレアドの山地へ向かいました。ヤコブが逃げたことを、三日目に知ったラバンは、一族を率いて七日の道のりを追いかけて行き、ギレアドヤコブに追いつきました。ラバンはヤコブになぜ、こっそり逃げ出したりして、わたしをだましたのか」と問いました。それに対してヤコブは次のように答えています。
「この二十年間というもの、わたしはあなたの家で過ごしましたが、そのうち十四年はあなたの二人の娘のため、六年はあなたの家畜の群れのために働きました。しかも、あなたはわたしの報酬を十回も変えました」(31:41)と訴えています。ヤコブはラバンの娘たちを大事にすることを誓い和解が成立し、ラバンは自分の家へ帰って行きました。
ヤコブが旅を続けていると、神の御使いたちが現れて、ヤコブを力づけました。ヤコブは彼らを見て、「ここは神の陣営だ」と言い、その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付けました。ヤコブを守る神の陣営とヤコブの陣営と二つになって前進できるという勇気を与えられたのです。ヤコブは兄エサウがヤコブに対してどのような思いを抱いているのか気がかりでした。はたして20年の歳月によって忘れてくれているのでしょうか。ヤコブはそのことを確かめるために、あらかじめ、セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに使いの者を遣わし、こう言うように命じました。『あなたの僕ヤコブはこう申しております。わたしはラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。』」。
しかし使いの者が帰って来てもたらした知らせはヤコブにとって最悪なものでした。ヤコブが帰ってきたことを報告し、兄の機嫌を伺いました。使いの者が帰って来て、「兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」とヤコブに報告したのです。
この「迎える」は「歓迎する」という意味ではなくて、むしろ「迎え撃つ」という意味です。エサウのヤコブに対する憎しみは、20年経った今も少しも和らいではいないのです。ヤコブは非常に恐れ、思い悩みました。ヤコブは連れてきた人々と家畜を二組に分けました。エサウが攻撃を仕掛けても、どちらかの組みが助かるようにしました。そして祈りました。
「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかも知れません。」(32:10-13)。その夜、ヤコブはそこに野宿して自分の持ち物の家畜の中から兄エサウへの贈り物を選びました。五つの動物の群れに分け、それを召し使いたちの手に渡し、一番目から順に、それぞれ距離をおいて、エサウに贈り物として届ける作戦を立てました。贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくえるだろうと思ったのです。
その夜、ヤコブ自身は野営地にとどまり、その夜ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡りました。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残りました。
添付した地図に、ヨルダン川の支流で、東から西へと流れているヤボク川があります。その川に北岸に「ペヌエル」という地名があります。そこが「ヤボクの渡し」です。ヤコブはこの川を北から南へと渡ったのではなく、南から北へ渡ったのです。何故なら、ヤコブはヤボク川を渡ってから独り残り、そこで神の使いと格闘し、そこを「ペヌエル」と名付けているからです。また、ヤボク川を渡る前の名付けたマハナイムも、ヤボク川の南に位置しているからです。このあとヤコブ一行が向かうスコト(33:17)もヤボク川の北にあります。恐らくギレアド地方からヤボク川の上流の方を渡って南下し、マハナイムに至り、そこから北上するかたちで、ヤボク川を渡り、スコトに向かったものと推察されるのです。日本聖書協会発行「聖書新共同訳」準拠聖書地図バイブルアトラス、図37に、紀元前3千紀始めにまでさかのぼることのできる幹線交通路の地図によると、なんとマハナイムからヤボク川に向かう道路が書かれているではありませんか。ヤコブのたどった道を、添付の地図に太い赤線で示しました。
以下のフランシスコ会聖書研究所も同じ見解を述べています。
[フランシスコ会聖書研究所、創世記3(フランシスコ会訳32章でも同じような見解を述べています。本章の地理的説明はいろいろあるとしたうえで、次のように述べています。「まずガルエドとミツパ(31:47 49)が、ヤボク川の北ではなく南であり,ヤコブがすでにその上流を渡っていることにし、そしてマハナイムがヤッボク川の南方にあってペヌエルが北岸ということにしている。このほうが適当と思われる。この見解によれば、ヤコブがふたたび川を渡って北岸にもどり、次に西に進んでスッコト(ヤッボク川の北方でヨルダン川に近い)、シェケムに向かったことになる(33:17-19)。ヤコブとエサウの実際の会合はヤッボク川の北方、ヨルダン川の近くで行われたのかもしれない(11節)。]
ヤコブは、兄エサウの襲撃に備えて、夜中に妻や子供たちを連れて、安全な場所に導くために川をわたらせてから、何故独り後に残ったのでしょうか。神の加護を祈り求めるためであったと思います。ヤコブはマハナイムの出来事のあと、神に、「どうか、兄エサウの手から救ってください」と祈りました。しかしまだ神の答えを聞いていませんでした。まだ不安が消えていなかったのです。
「そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した」とあります。「何者かが」とありますが、ホセア書12章4、5節に次のような説明があります。「ヤコブは・・力を尽くして神と争った。神の使いと争って勝ち、泣いて恵みを乞うた」とあります。「何者か」は「神の使い」であり、「神」であると説明しています。ヤコブもこの格闘のあとで「わたしは顔と顔とを合わせて神を見た」と言っているので、「何者か」は神ご自身だったことが分かります。
恐れからの救いを求めるヤコブに対して、助けを与えるために「神の使い」を遣わされました。ヤコブに平安を与えるために、ヤコブの自己中心な我(が)をくだかなければなりません。賛美歌21の529番の歌詞に、「我が剣(つるぎ)(やいば)をくだきたまえ、さらばわが仇に打ち勝つをえん」とあるように、傲慢な自分が砕かれることによって、最大の仇である自分自身に勝ち、神の恵みにあずかることができるのです。「神の使い」は、ヤコブに恵みを与えるために、自分の計略に頼ろうとする傲慢なヤコブを砕こうとしてヤコブと格闘したのです。
「ところが、その人ヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿(もも)の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた」とあります。
神の力は、人間が謙虚になり、弱いところに働きます。しかし、ヤコブの自我があまりにも強く、しがみついてくるので、そのままではヤコブをどうすることもできないことを、神の使いは「勝てない」とみたのです。
「腿の関節」とは「股関節(太ももの付け根)」のことです。 身体的に人間を支えている重要な部分です。その部分打つことによって関節がはずれると、自分の力では戦うことができず、弱い者にされたことを意味します。ヤコブがここで経験したものは祈りの格闘でした。ヤコブの祈りに神が答えられ、自分の計略や力に頼るヤコブの腿の関節を外して、ヤコブを無力な者にされ、自分ではなく、神に頼る者にされたのです。
「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
腿の関節をはずされて弱くされたヤコブは、今度は「その人」に、「祝福してくださるまでは離しません」としがみつきます。ヤコブはなんとか祝福を得ようとしてしがみついているのです。
「ある人」はヤコブに言います。「お前の名は何というのか。」その問いにヤコブは、自分を「ヤコブ」と答えたのです。生まれから今日まで、「人を押しのける者」として、自己中心的な本性をもつ罪深い者、今腿の関節がはずれ、弱い者とされ、神に頼るほかない自分をさらけだして、「ヤコブ」ですと答えたのです。
その人は、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」と宣言されたのです。
ヤコブという名前は、出生のとき、兄の<かかと「アケブ」>をつかんでいたことから、「かかと」という意味のことばの原語「アケブ」にちなんで「ヤコブ」と命名されました。また、創世記27章36節では、兄の足を<引っ張り「アーカブ」>欺いたことからも、「ヤコブ」の名前が説明されています。ヤコブは、名が示すように「人を出し抜き、人を押しのける」者でした。しかし、今「お前の名はもうヤコブではない」と言われ、古い罪の自分を脱して新しい名が与えられたのです。
「これからはイスラエルと呼ばれる。」ヤコブの個人名がイスラエル」となります。この名は後に神の民の名となります。
「イスラエルיִשְׂרָאֵל」という語は、יִ(イ:あなたは)、שְׂרָ(スラー:争った)、אֵל(エル:神に)という三つ語からなっています。「あなたは神と争った」という意味になります。このשְׂרָ(スラー)が、色々な言葉に翻訳されています。「神が支配した」とする解釈もあるのです。
創世記32章29節では、その変化した語のתשָׂרִ֧י(サリータ)を「闘った」と訳しています。ホセア書12章4節ではיָּשַׂר(ヤーサール)という語が、「彼は争った」と訳しています。これらの語根は、 で、「やり抜く」「争う」という意味です。この語は、ホセア書12章5節で使われていて、שָׂרָה(サーラー)「争った」と訳されています。これらのことから、「יִשְׂרָאֵל(イスラエル)」は、「神と争う(神と争った)」という意味である、と結論することができます。
「イスラエル」の意味について、いろいろな聖書が以下のように述べています。
① 岩波訳 「神は闘う」
② フランシスコ会訳 「神と争う」。「神は聞く」を意味する「イシュマエル」の場合と同じと解釈する。
③ 中沢訳「神に挑む」。原語を「サラー・エロヒム」に由来する民間語源的説明によるとしています。つまり、「おまえは神と人に勝負を挑んで勝ったから」と訳す。
④ 関根訳(中沢訳と似ています) 「君は神と人とに戦を挑(サーラー)んで勝ったからだ」。「サーラー」שָׂרָהは、争う、戦う、もがく、あがく、といった意味である。
⑤ 新改訳 「あなたは神と戦い、人と戦って勝った」
⑥ 新共同訳 「お前は神と人と闘って勝った」
以上①~⑥は、日本バプテスト連盟篠崎キリスト教会「旧約聖書の学び」から転写。
ヤコブは古い罪の自分を脱して、イスラエル「神と争う者」という新しい名が与えられました。「争う」という言葉は、必死になって、神と取り組み、祈り求めることを言っているのです。
「お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
神に勝つというのは、どういうことでしょうか。ヤコブは必死になって神様の祝福を求めました。そして神様は、そのヤコブに祝福を与えるために、負けることをいとわれなかったのです。そして祝福を与えることによって勝利を手にする神様なのです。ヤコブの罪を赦し、祝福して下さり、新しいヤコブ、すなわちイスラエルとして生きるようにしてくださったのです。
それでは、「人」とも闘って勝った、ということはどいうことなのでしょう。ヤコブは兄と争い、伯父ラバンと争い、欲しいものを自分のものにしてきました。その結果は、ラバンに追跡され、今兄エサウの襲撃を恐れ、不安になり、救いをもとめて神の前に立っているのです。「人」にも勝ったとは、そのようなヤコブを神は祝福し、ラバンとの和解を与えられたように、エサウとの和解もあたえられる、ということではないでしょうか。ヤコブは祈りの末に神の祝福を与えられて、人(兄)をも恐れない者に変えられました。これが「人にも闘って勝った」ということなのではないでしょうか。
「どうかあなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福しました。神がその名をここで告げなかったのは、神と人間は、対等と関係ではないことを知らせるためだったと思われます。
ヤコブは、『わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている』と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けました。「ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った」とあります。夜が過ぎ、ヤコブの上に太陽が昇ったのです。朝日がヤコブを照らします。ヤコブは腿を痛めて足を引きずりました。しかし、その痛めた足は神様との生ける交わりの証しでありました。