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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ニューバランスの存在を振り返って

2017-04-11 01:26:54 | 日記
 僕は毎日、会社で伝票整理を怠らないようにしています。

 夏休みの宿題と同様に、溜めないことが一番の要素であり、溜まれば溜まるほど、やる気は失われ時間も消費してしまいます。

 倉庫に行く際も、出来る限り足りない備品を把握してから出かけるようにしていますし、このような隙間時間の有効活用は、皆さんも行っていると思います。

 隙間、というのは王道、言い換えれば

 「メイン通りを歩くことは無い」
 「自分がスターでない事を認識」

 という2点があると思います。

 ニューバランスが大手の間を縫うような形でスニーカーを作成していることを認識し、いわゆる「ニッチ」であると語っていた時は、本当に驚きました。

 確かにニューバランスが持つ個性は独特で

 1・米国産と英国産という、高額商品の充実
 2・1300、996など、過去の名品を忠実に復刻
 3・それらの名品の幾つかは、アジア生産のテイクダウンもある

 というように、消費者の動向をつぶさに観察してます。

 一方でとりわけ日本で顕著なのが、ニューバランス自体がメインになってしまい、ニッチでなくなってしまったことがあります。

 ニューバランスのスニーカーをスーツやグレーのスラックスと合わせる服好きもいるくらいで、ニューバランスとしてはそれまでの概念が覆されたのかもしれません。

 その概念、つまり自分たちは王道でないことを確認するための方法が

 サッカー界への進出
 自分たちのスパイクが、まだ改良の余地がある

 という2点のように思います。

 ビサロとフェイロンという2種しか発売していないのも、幅を広げるよりも制作を突き詰めたいと感じているためのように思いますし、アイルランド代表との契約も浮上しています。

 もし、サッカーでも王道になったならば、また新たなる一手を考えるのでしょうか。
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父親という存在を大切にするという発想

2017-04-11 01:11:18 | 日記
 男性の場合、自分の趣味と趣向は父親に左右される面があると思います。

 例えばプラモデル好きな父親ならば、息子と共に模型の楽しさを分かち合いたいと思うでしょうし、車やオートバイなどは購入、メインテナンスも含めて、販売店との繋がりが父親経由で生まれます。

 ファッションはなおさらで、僕は高校時代、服を買いたくても金が無い、そんなとき、とにかく父の洋服ダンスを探して、様々な服を探したものです。

 それは中古というよりもお古、と呼んだ物が多かったのですが、父としては案外「まんざら」ではなかったのかもしれません。

 サッカーだけでなく、ブランドというものは販促に多大な労力をかけます。

 それは子供を通じてファンになってほしいという意味もあるでしょうし、子供に認知されることは

 「自社商品の安全が認められた」
 「子供が興奮するならば、大人も同様だ」

 という手ごたえがあります。

 一方でサッカーならば、親御さんを大事にすることで裾野が広がるようにも思います。

 例えばディアドラ。

 父親世代ならば誰しもがロベルト・バッジョのプレイに魅了されてでしょうし、自身もディアドラ製品を購入したかもしれません。

 息子にディアドラを勧める際に

 「このブランドはイタリアの老舗なんだよ」
 「ジーコ、シーフォ、そしてバッジョをはじめとして、沢山の名手が愛用してきたんだ」

 とその歴史も付け加えるならば。

 息子さんの関心は更に増すと思います。

 今、父親が自由に使えるお金はどんどん削減されていますが、男性がより多くのお金を使える環境を整備するほうが、景気の向上になるように思えてなりません。

 「子供手当よりも大人手当が必要だと思うね」

 という冗談が過去にありましたが、僕も賛成したいと思います。
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