塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ミランとアディダスの間柄から

2017-04-29 00:13:47 | 日記
 ミランは1999年からだと思いますが、アディダスと契約を続けています。

 興味深いのはインテルもこの年から今に至るまでナイキと契約している点です。

 当時のインテルはスクデットは遠い夢でしたから、ナイキからすれば最大の顧客であるロナウドがいても、ミランの方がうま味があったように思うのですが。

 ミランはアディダス以前はカッパやロットという自国ブランドと契約していた時期があります。

 ミランがアディダスと契約したのは、お金の問題もあるでしょうし、アディダスという国際的認知度が高いブランドとの契約が不可欠という判断もあったと思います。

 もしかすればベルルスコーニを含む首脳陣は

 アディダスの方が選手たちを凛々しく魅せるジャージを作ってくれるに違いないと考えた、ように感じます。

 ミランの公式スーツがドルチェ・アンド・ガッバーナによるもので、配色、素材、デザインと仕立てのすべてが各方面から賞賛されているころは有名ですし、彼らがイタリア代表にもスーツを納品しています。

 美しい男たちにはその外見と知性に見合う服装をすべき

 と考えても不思議ではありません。

 面白いのはミランは過去、オペルを胸スポンサーに起用していた時期があり、選手たちも練習時にはオペルの車で出向くことを強いられていました。

 しかし、フェラーリやランボルギーニという

 「美しさで知られる車を生んだ国」

 の選手からすれば、オペルは大衆車であり気に入るものではなく、不満が生じたと聞いたことがあります。

 これがベンツならば良かったのかもしれませんが、胸スポンサーの影響はミランという世界屈指の強豪にも当然及ぶわけです。

 美しさを纏うには

 1・食事や美容など選手自身の情報収集
 2・適切な服装を場面によって着こなすこと

 だけでは無理が生じる、良い一例かもしれませんね。
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ミランとベルルスコーニの31年を振り返って

2017-04-29 00:03:54 | 日記
 ミランが資本を中国企業に譲渡したことで、31年に及んだベルルスコーニ体制が終了となります。

 ミランのオーナーだけでなく、首相としての一面を持つベルルスコーニは、歴代の指揮官たちに無理難題を押し付けてきたことでも有名です。

 例1 ミランは2トップで戦うべきだ
    アンチェロッティが4-3-2-1のクリスマス・ツリーを用いた際の発言

 例2 シェフチェンコは嫁の犬だ
    シェバがミランを退団し、チェルシーに移籍する理由が子供の英語教育を妻が希望したと指摘された際の発言

 これはどちらもアンチェロッティ時代の発言ですが、布陣の指定や主力の移籍劇など、彼は当時からよくやっていたと思います。

 一方で僕はこうも思うのです。

 ベルルスコーニはただ、美しい選手だけを必要とし、実用性のみの選手に関心は抱かなかった

 と感じます。

 確かにアンブロジーニやセードルフなど、バランサーの役割の選手はいましたし、リカルド・オリベイラのようにブラジル代表であっても、華に欠ける選手も短期ですが在籍していました。

 しかし、ミランと言えば

 1.美しい肉体を持つ選手 例 マルディーニ、カカ
 2・美しい頭脳を持つ選手 例 バレージ、コスタクルタ、レオナルド
 3・美しい技術を持つ選手 例 サビチェビッチ、ボヴァン
 4・美しい得点を決める選手 例 ファン・バステン、ウエア、シェバ、イブラ

 というように、ベルルスコーニは美しさを持つ選手こそがミランにふさわしいと考え、バランスは監督の仕事と考えていたと思います。

 晩年は資金切りができず、イブラやカカ、ロビーニョを手放すことになりました。

 彼にとってはミランの売却よりも、名酒との別れが寂しいと感じたのではないでしょうか。

 
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