塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ジャージがルーズであることを別角度から眺めてみる

2017-04-15 21:27:39 | 日記
 南長野に向かうため、しなの鉄道戸倉駅まで出向くと、高校生の女子生徒がジャージ姿で電車を待っていました。

 僕もそうでしたが、若い世代ほどジャージをルーズに着る傾向にあると思います。

 確かにこれまで細いデザイン一辺倒だったスーツ、トラウザーも、今季はタック入りのわたり幅が広くなった形が主流となっています。

 それはルーズではなく、ウエストやヒップという基準点でのフィットを損なってはいない、美しいシルエットを尊重したうえでの裁断になります。

 ですから、ジャージのように太目にデザインをオーバーサイズやルーズに着こなせば、それだけで

 「印象がみっともない形になる」
 「裾を踏んで転倒する危険性が増し、甲の部分がだぶつく」

 形になってしまいます。

 僕がもしスポーツ・ブランドのデザイナーならば

 1・ジャージはルーズに着用するもの
 2・機能性とデザインの両立の他に、改めて裁断と生地の選定に注意

 すると思うのですが。

 少し前にお話しした、ブラジルサッカー愛好家の方も、最近の選手が身に着けるジャージがルーズすぎると嘆いていました。

 確かにジーコやファルカンの時代は、もっとタイトに着ていましたし、ショーツも完全にひざ上で今から見ると、垢ぬけない印象があることは否めません。

 それでも、体のラインを覆い隠す寸胴よりも、くびれを含む曲線が現れた方が、男女問わず快適なのではないでしょうか。

 部活動はサッカーに限らず、個人ではなく団体でのデザインが最優先ですから、難しいでしょうが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パルセイロ・レディース、試合終了後の光景

2017-04-15 20:30:31 | 日記
 ちなみに試合終了後は、GKの望月選手、MFの内山選手の誕生日を祝う光景があったんですね。

 望月選手は今日、内山選手は18日がそれぞれ誕生日ということで、花束を持参して応援に駆け付けた方もいました。

 望月選手には本田監督も含めた

 「スポーツ・ドリンク・シャワー」

 で祝福され、改めて勝ってよかったと感じた次第です。

 レディースの応援コールは比較的同じ物を使うのが特徴です。

 僕の隣に腰掛けていた方は、まだ観戦歴が浅い様子でしたが、試合終盤になると自発的に声を出して応援するようになっていました。

 確かに同じコールを続けると新鮮味は少なくなります。

 一方で観戦歴の浅いファンは

 1・選手の名前がコールで確認できる
 2・帰宅するころには、応援歌の内容が把握できている部分が多い

 というメリットもあります。

 また、応援傍を振り回して僕たちと選手を鼓舞してくださる方にも、頭が下がる思いです。

 当然重量がありますから、常に抱えているわけではありません。

 それでも旗がひらめく光景は、応援の花形でもあるわけですから。

 欧州と南米で試合終了後、選手の誕生日を祝う姿が見られるのか、僕にはわかりません。

 ただ、ファンが選手を祝福することで、選手がファンとクラブに認知され、新しいやる気が生まれる、というプロセスができがあっていることは、直に喜ぶべきかと感じました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今季初のパルセイロ・レディースの観戦を終えて

2017-04-15 20:16:45 | 日記
 今日は南長野運動公園まで、パルセイロ・レディース対マイナビ・ベガルタ仙台レディースの試合を観戦に出かけました。

 以前にも目撃したと思うのですが、的ながら改めてあの

 「レディ・ベガ」

 の弾幕は秀逸であり、発案者の方は本当に洒落た方だと思いましたね。

 スタジアムでは大橋さんが出迎えてくださる一方、僕は売店に直行して2017シーズンイヤー・ブックを購入しました。

 毎年記事のボリュームが厚くなり、読み応えが増すことは、執筆を手掛ける「長野コマチ編集部」の担当者の方に御礼申し上げたいところです。

 今季は記事にミスがあったそうで、発売が遅れるという側面がありました。

 また企画段階では間に合わなかったのでしょう、移籍した牧井選手がそのまま掲載されるなど、移籍選手、契約続行選手、新規加入選手と締め切りの兼ね合いの難しさが、浮彫になったように思います。

 冒頭から美濃部GMの熱い談話で始まる今季のイヤーブックが、J3最後のシーズンになると良いと思うのは、皆さんも同じですよね。

 試合そのものは1-0で勝利しましたが、気分爽快の勝利とはいきませんでした。

 一方でゴール裏に腰掛けていると、おなじみの野太い声が聞こえてきて

 「ああ、またあの男性陣も観戦中なんだ」
 「選手の名前を呼ばれたり、叱責されたり大変だ」

 と苦笑してしまいました。

 今日はバーに当たって難を逃れた場面がありましたが、ゴール裏では当たった際のに鈍い音も確認できます。

 今日は小雨が舞う形でしたが、最終的には濡れることもなくその点は良かったと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イブラの自伝、「俺はズラタン」を読み終えて

2017-04-15 01:29:33 | 日記
 僕は萎縮することが多いのです。

 萎縮というのは卑屈という言葉に近いとも感じますが、それは毎日のように叱責されることをはじめ、様々な不安や悩みが蓄積することで生まれる感情ではないでしょうか?

 ただ、萎縮することは無いのだな、と最近になって思うようになりました。

 同時におびえたり、不安に感じる感情も併せ持っていてよいのだ、とも感じるようになりました。

 その感情は東邦出版から刊行されたイブラヒモビッチの自伝「俺はズラタン」を読んでから芽生えたのですが。

 この自伝を読んだ方ならおわかりでしょうが、リーグ1に移籍してからの出来事は記されていません。

 それはパリ移籍前に発売されたためなのですが、僕は是非彼に

 1・マンチェスターでの日々とモウリーニョとの再会をどう感じたか
 2・グアルディオラを改めて視野に入れた感想
 3・リーグ1を戦った日々

 を加えた、第2弾を発売してほしいと感じています。

 訳のリズムもあるのでしょうが、僕は秀逸の出来だと思いますし、何よりイブラ自身が

 「自分の身を削りながら、幼少期から戦ってきた」
 「自分の権利と生き方は自分で守る」

 と強気な反面、ストックホルムでラルフローレンを着た女性たちにびびっていたことなど、萎縮した過去を直に述べている点。

 ここが実に興味深く感じました。

 僕がこの自伝を読み終えたのは一昨日でしたが、もっと早く入手すればよかったと感じたほどです。

 それ以来、胸の中で

 「萎縮する必要はない」

 と唱えて、自分を鼓舞しています。

 萎縮することは自分に自信が無いことの証明になるのですが、謙虚であることと控えめに振る舞うことが異なるように、自分の意見を主張することと、わがままに振る舞うことも異なる。

 この自伝から学んだことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて思う、セレソンとカナリア・イエロー

2017-04-15 01:14:59 | 日記
 僕のお得意様にブラジル・サッカーが大好きな方がいらっしゃいます。

 その方の意見としては

 「現在ナイキが手掛けるデザインは思わしくないし、何よりカナリア・イエローが淡い」
 「トッパーの時のように、黄色と緑がもっと濃くなくてはいけないよね」

 というものです。

 ブラジルに限らず、色彩の濃淡は各国で見られます。

 例えばイタリアもカッパが手掛ける青とプーマが手掛ける青は異なりますし、日本のようにアディダスが支え続けていても、自体により濃淡の特徴は大きいものです。

 ブラジルではトッパー(厳密に言いますとトッペル、トッパーは英語発音)の時代を懐かしむ声が大きく、フットサルがペナルティと契約したのは、そのノスタルジーによるものでしょうか。

 ブラジルは大統領よりも代表監督にかかる重圧の方が重い事でも有名です。

 代表監督が無様な形でワールドカップで醜態をさらせば

 「警察による24時間警護」
 「ファンからの罵声、脅迫に耐える」

 形になりますが、あのカナリア・イエローこそが、その重圧以上に代表監督を魅力的なものに変えているのでしょう。

 サンパウロやサントスの白、フラメンゴの赤、グレミオの青、パルメイラスの緑。

 各クラブを象徴する色彩はいくつもあり、フルミネンセやアトレチコ・ミネイロ、インテルナシオナルなどがコパ・リベルタドーレスに参戦してきました。

 それでもカナリア・イエローで国家が一つのまとまる、汚職や空腹、病気を忘れられるという点で、セレソンの影響力は今も昔も変わらないという共通事項は、今後も続くでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする