塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本人がジャージを好む理由は何か

2016-04-29 00:51:11 | 日記
 ファッション誌ではしばしば、イタリアやフランスの男性が、家でくつろぐ際にどんな服装でいるかを特集します。

 畳やフローリングに彼らのようなリラックス・ウエアは似合うとも思えませんが、どうして日本人は家でもスポーツ・ジャージを着ることが多いのでしょうか?

 ちなみに僕の親戚の男の子は、プーマのジャージでくつろいでいましたね。

 ジャージならば少なくとも

 1・そのまま買い物が外出ができる
 2・出かける際に着替える面倒が無い

 ということもあるでしょう。

 部活やフットサルでジャージと共に汗を流し、家でもジャージを着るというのは、ある種不思議な感じがします。

 でも、最近わかりました。

 ジャージはアスレチックウエアですから、洗濯も簡単ですし動きやすい、そしてすぐ乾く。

 つまり、地震が多く、極論深夜に災害に見舞われても、ジャージならば恰好がつく、という形です。

 リーボックが昔、「トラベル・トレーナー」という、折り畳みができるスニーカーを作成したことがありますが、ジャージのスニーカーならば、すぐに安全地帯に逃げ込めます。

 これがパジャマやスエットの上下だと厳しいかもしれませんが、ジャージの上着にはポケットが付きますから、手を温めることもできます。

 僕は今、ケルメの丸首ジャージを着ていますが、ジップならば首元の寒さを幾分防げますし、避難先でも汚れが気になりません。

 スポーツ・ブランドもさまざまなデザインのジャージを提案していますが、彼らが思うよりもジャージの汎用性は高いように思えます。
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フリーペーパーを使って告知すること

2016-04-29 00:40:29 | 日記
 長野市内を軸に配布されているフリーペーパー「プース・カフェ」

 編集部は確か長野市金井田という、南長野運動公園に近いところにあったと記憶しています。

 その縁でもないでしょうが、最新号では土橋アンバサダーがパルセイロ・スポンサーであるミヤサカ寝具さんで、枕を注文する様子が掲載されています。

 クラブのスポンサーの告知
 クラブスタッフの日常

 が一緒に垣間見れることは嬉しいものです。

 僕が長野市周辺で思いつくフリーペーパーは、このプース・カフェと日和になり、日和は戸倉駅でも入手できます。

 パルセイロはトップ、レディースともに試合開催の直前には信濃毎日新聞に大きな広告を掲載します。

 一方でフリーペーパを巧みの利用することも、企画としては面白いと思います。

 今でも発行しているかわかりませんが、甲府に住んでいたときは「マイ・タウン」というタウン誌をよく眺めていたものです。

 移動手段が自転車、徒歩、電車しかなかった僕は、観光地である昇仙峡や武田神社など、一度も訪れることが無かった間抜けなのですが、転勤、転校で新しい土地に住む方には、最適な存在です。

 きっと甲府のタウン誌も、ヴァンフォーレの記事は目玉にしていると思います。

 僕は数年に一度甲府を訪れるので精いっぱいですが、今度尋ねたときは改めてタウン誌、フリーペーパーに注目したいと思います。
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美しさにこだわることと、ミスを許容すること

2016-04-29 00:26:49 | 日記
 もし僕がマンチェスター・シティの選手で残留が確定しているならば、来季に向けて嫌な感じを抱いていると思います。

 少なくとも、グアルディオラがやってくる、という高揚感はないはずです。

 グアルディオラに対しての一般論は

 1・バルセロナで素晴らしい結果を残すが、同時にその美しさも絶賛された
 2・チグリンスキをはじめ、補強が芳しくない麺もあった
 3・ボージャン、デニス・スアレスなど、下部組織出身の選手に対して移籍を容認する
 4・イブラやマンジュキッチなど、溝が深い選手も多い

 というものでしょうか。

 僕が注目するのは理由3と4になります。

 簡単に言えば、グアルディオラは

 「自分が信ずる価値観」

 の中で選手が動くことを前提として、練習と言葉がけを行っていると推測します。

 選手がどんなに有意義なプレイと判断しても、自分の価値観に見合わないと判断すれば叱責する、だからこそ我の強い選手たちは自分たちが尊重されていないと思うのでしょうね。

 僕もその気持ちがわかる気がします。

 うちの父はよく

 「お前や母ちゃんはぞんざいな仕事ぶりだな」
 「仕事をするときは、丁寧に綺麗にやらなくてはだめだ」

 と自分以外にも常に完璧を求めます。

 父の考える完璧
 僕の考える完璧
 グアルディオラの考える完璧

 その基準は異なって当たり前なのですが、父は自分の考える完璧の中でしか生きていないため、少しでもだめだと思うとすぐにいらつく、グアルディオラにもそのような側面があるのでしょう。

 ですから家を離れて仕事の際、見栄えが良くない、うまくいかないと、自分で自分を

 「ダメだな」

 と責めてしまう、自己嫌悪や自信の無さに繋がってゆきます。

 レッズの指揮官ペトロビッチが

 「私は選手にミスをする自由を与えている」

 と過去に語りましたね。

 選手にとってこれほど価値のある言葉は無いように思うのですが、どうでしょうか。
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