塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

不慮の事故で無くなった選手たち

2016-04-25 01:33:35 | 日記
 僕の勤務先で不慮の事故で亡くなった方がいます。

 その方は

 「塚田さんに手伝ってもらってよかったよ」
 「おう、調子はどう?」

 と僕のことを気遣ってくださり、訃報を聞いた時は本当に仕事が手に付きませんでした。

 サッカーでも予期せぬ死が人々を悲しみの涙で覆うときがあります。

 セビージャのプエルタ
 エスパニョールのダニ・ハルケ
 ユヴェントスのフォルナート
 カメルーン代表のフォエ

 白血病や心臓発作でこの世を去った彼らの目に、当時の医療は世相はどのように見えていたでしょうか。

 特に2010年のワールドカップ、イニエスタがクラブは違えどお互いに敬意を払い続けてきたダニ・ハルケの名前を刻んだシャツを見せたとき、エスパニョールのファンは

 「スペインのワールドカップ優勝」

 よりも大切な物を授かりましたよね。

 一方でフーリガンの争いに巻き込まれて他界する警察官も多いですし、トリノ、ユナイテッドの選手たちが飛行機事故で無くなったように、移動もリスクを伴います。

 僕は他界した同僚の方と、いつ会ったのが最後で、どんな言葉を交わしたのか、はっきりと覚えていないのです。

 ただ今は

 「ああ、あの声がもう聞こえないのだな」
 「ご家族はどんな気持ちだろうか」

 としか思えません。

 サッカーは他の競技よりも暴力が多く、選手の消耗が大きい点を考えると、こうした事故死を少しでも減らすようにしないといけません。
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自分が育った環境を振り返るときに

2016-04-25 01:25:52 | 日記
 「生みの親より育ての親」

 という言葉があるように、人間社会では子供と親の関係の成立が難しい場面があります。

 例えばバロテッリの場合がそうで、彼の本当の両親が名乗り出た背景には、息子が

 「イタリア代表として欧州選手権とワールドカップに出た事」
 「高い報酬と名誉を持つため」

 という意味合いがあるかもしれません。

 つまり、彼が選手として日の目を見ないままならば、名乗り出ることはなかったのではないか、とバロテッリは考えているのかもしれません。

 ペレが昔、アパートに住んでいた、つまり名声を得ていない頃のことです。

 下宿先の女主人は彼を我が子のように思い、温かく見守ることもあれば、なまけていると感じた点があれば厳しくその点を叱ったと聞きました。

 ペレの笑い話に

 「彼のワールドカップ優勝国は良く外れるね」
 「ペレがブラジル・ワールドカップで現役復帰?」

 というものがあります。

 彼だって人間ですから間違いは起こします。

 ただペレはその下宿を去るとき、女主人に心からの敬意を告げて独立したように、やはり両親、教師、祖父母など、自分が

 「この方に育ててもらってよかった」

 と思えるならば。

 それは選手として凄く嬉しいものですよね。

 最近日本でも虐待やいじめが数多く指摘されています。

 それだけ虐げている方は自覚が無いというよりも、日本社会がゆとりと時間を失っているという意味合いが強いと感じます。
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