塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

基準点を見つけるという行為

2016-02-29 10:38:23 | 日記
 洋服は今、確実に軽量で着心地が良いものが主流と言えます。

 例えばスーツで言うと、羽織る、ストレッチの利いた動きやすい物が人気ですし、イタリアの生地メーカーから仕入れた生地を多くのブランドが採用しています。

 極論すると、ナポリ仕立てと呼ばれる、ナポリの仕立て屋が手縫いを軸に丁寧に仕上げた物に行きつくのでしょう。

 僕はナポリで作られた上着、シャツを持っていませんし、試着したこともありません。

 ただ、長野市にもイタリア製の商品を数多く扱っている店舗があり、いつか来店してみたいと思います。

 それは試着することで

 「着心地の目安」
 「着心地の感覚」

 がわかるためです。

 つまり、基準点を見つけて廉価版でも近い物を探すことが可能になります。

 ユニクロのジーパンをはく前に、リーバイスを履いてみるようなものでしょうか。

 サッカーでも同様のことが言えます。

 例えばイタリア。

 守備の選手が攻撃の選手に序盤からきついタックルを浴びせて審判の笛がなるとします。

 そこでカードがでるのか、口頭注意だけで済むのか、極論笛すら鳴らないのかで、選手はその日の審判が考える笛の基準を探っているのです。

 「この信販は神経質だ」
 「この範囲でならカードはでないようだな」

 と感じながら、相手FWをマークするわけですね。

 サッカーでも実生活でも、基準点は無視できないように感じます。
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非常に難しい、選手にさようならを告げる瞬間

2016-02-29 01:48:59 | 日記
 考えられないことに、トッティがローマを去るかもしれません。

 事実レスター・シティは監督のラニエリを通じて、彼の獲得を吟味している様子ですが、事はどうなるでしょうか?

 難しいのは

 1・トッティはファンの間で最も人気がある
 2・トッティは今年で40歳になるが、自分自身は老化を感じていない
 3・しかしスパレッティとすれば、やはりトッティが偉大をは思うも、彼に頼り続けるわけにはいかない
 4・監督と選手の意識のズレが、問題となっている

 という4点でしょうか。

 パルセイロも今後そうなると思います。

 籾谷のように、在籍期間が長くとも引退を自ら決断した選手は致し方ありません。

 また藤田、松尾のように、人気が高い選手と言えども、故障が多く監督の悩みの種になってしまえば、やはり契約は打ち切りになります。

 このような、誰の目にも明らかな
 
 「契約終了の理由」

 があれば気分は楽でしょうね。

 しかし、トッティ、パルセイロならウノがそうですが

 「本人はやれる自信がある」
 「しかし、クラブとすれば年齢の高い選手をいつまでも抱えることは、相当なリスクになる」

 事は確かです。

 イビチャ・オシムがクラブの未来を考慮し、行く先々でベテランにさようならを告げ、若い選手を登用してきたことは有名ですが、これは稀な例でしょうね。

 レアルのようにグティ、ラウル。カシジャスと後味の悪い別れをする位なら

 「潔い決断」

 が必要です。
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アマチュアからプロへ前進する難しさ

2016-02-29 01:33:48 | 日記
 僕が中学、高校の6年間部活動で行った卓球も、ドイツ・ブンデスリーガがサッカー同様に存在します。

 でも、当時の日本選手は代表選手でもアマチュアで、協和発酵や日産自動車に勤務しながら日本リーグを戦っていたものです。

 そこで一石を投じたのが、日本卓球界で初のプロ契約選手となった松下浩二さんで、彼は日本人選手で初めてブンデスリーガで戦う事にもなりました。

 当時彼は

 「レジスタード・プロ」

 と呼ばれる特殊な存在で、翻訳すれば認定プロとでもいうのでしょうか、業務をこなすことなく一心に卓球に打ち込める環境を切り開いたのです。

 日本選手権で優勝した際、プロ契約している日産自動車から、400万円の優勝ボーナスが支給されたと、当時の専門誌に掲載されていた記憶がありますが、それは他の選手からすれば、間違いなく

 「破格のボーナス」

 だったに違いありません。

 日本経済新聞の名物コラム

 「私の履歴書」

 で釜本さんが執筆している2016年2月ですが、ガンバの監督を志半ばで退いたことが、今でも痛みを感じるそうです。

 また、米国を軸に多くの海外クラブから移籍を打診されたそうですが、当時はアマチュア全盛で

 「スポーツで生活すること」
 「スポーツで名誉をえること」

 はご法度だったのです。

 つまり、選手がひとりプロになれば、その瞬間異質な存在になってしまうわけです。

 その後、木村和司がプロとなり、JSLがJリーグへと変化してゆくわけですが、アマチュアがプロになる事、そして海外から誘われても思うような決断ができないこと。

 卓球もサッカーも、その難しい局面を切り開いてきた選手がいるのです。
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