塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

シティ、グアルディオラが新監督に決定するも

2016-02-05 19:16:48 | 日記
 グアルディオラがシティに到着することで、ナイキとエティハドの株式が上昇するかもしれませんね。

 一報でまだシーズンが半年も残っているのにも関わらず、政権交代が知られてしまったペジェグリーニは、どのような形で選手と接するのでしょうか?

 選手たちの多くは残留する
 しかし、目の前の監督は半年後には不在となる

 こんな形でシティは

 「リーグと欧州制覇の2冠」

 と目標にできると考えているのであれば、それは難しいと思います。

 仮にですよ、契約がすでに終えていることがわかったとしても

 チャンピオンズ・リーグ優勝をペジェグリーニが達成する
 プレミアで優勝し、優秀の美を迎える

 など、決定事項ではあるが、去るのが惜しいと思わせる気持ちが漂えば、グアルディオラはバイエルン就任時を思い出すでしょう。

 あの時も

 「ハインケスは3冠の監督だよ、引退することはない」
 「グアルディオラは、3冠の選手たちをさほど信頼しているようには思えない」

 と指摘されていました。

 ドイツ代表主将のラームを、フルバックから中盤センターにコンバートさせた当時は、ずいぶん批判されましたしね。

 シティがリーグカップとFAカップでどこまま勝ち残っているのか、僕は知らないのですが、仮に国内タイトルを全て勝てばそれも3冠にはなります。

 ペジェグリーニが任期期間中、極端なまでに順位を下げることが無かったことを考えれば、グアルディオラの市場価値もまた見えてくるわけなのですが。
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靴を修理に出して、紐の大切さを探る

2016-02-05 18:57:53 | 日記
 今日休日だった僕は、パルセイロ・スポンサーとしておなじみ、長野市のシューマート長野稲里店におじゃましてきました。

 利用したのは店舗の方ではなく、併設している修理工房の方で、ビジネスシューズのアウトソールを交換してもらいに出かけたんです。

 代金は後払いで、注文票だけ頂いてきましたが、そこで思ったのが

 「靴紐の存在」

 でした。

 アディダスがメスト・エジルに支給している新作、シューレースが無いと聞きました。

 サッカースパイクで紐なしの先駆者と言えばロットになるわけですが、脱ぎ履きが楽でもスリップオンが好まれない理由は、欧州の服飾史にあると感じたのです。

 通常ビジネスにおいて、ローファー、スリップオンの類は完全にご法度です。

 礼装も同様で紐靴でなければ、主催者も含めた来客全員が不愉快になりますよね。

 仕事では例外的にモンク・ストラップが問題なしとされていますが、僕は紐靴しか履きません。

 ですから、スパイクで紐なしですと

 「服飾の伝統からかけ離れてしまう」
 「脱げてしまう不安」
 「靴紐を縛ることで得られる安心感」

 が薄れてしまう、そんな思いを選手は抱くのではないでしょうか。

 僕の修理は比較的廉価で(レザーソールではなく合成ソールでお願いしたため)、3週間程度で出来上がる模様です。

 サッカー・スパイクはホペイロが常に注視していますが、僕たちの道具は僕たちが守る必要があります。
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芸術を保護し、サッカーを保護すること

2016-02-05 01:57:19 | 日記
 中世から近代にかけて、覇権国家は芸術を保護することで

 「自分たちが君臨する理由」

 を世界に述べてきました。

 欧州ならばルーベンスやレンブラントの絵画がフランスやロシアで愛され、英国は中国の陶磁器を称賛したものです。

 日本では漆、浮世絵が高い評価を集めましたよね。

 その芸術が現代ではサッカー選手になったと僕は感じています。

 覇権国家、それはスペインでありイングランドですが、最も価値のある選手に加えて監督もコレクションの対象になっています。

 つまり、資金を投入し、クラブを整備することが

 「自分たちの存在意義」
 「彼らの後に獲得したい選手たちを、間接的にでも意識させる」

 事に繋がるためです。

 中国がサッカーの世界において、成り上がりから「覇権国家」になろうと思い描き、特に広州恒大がジャクソン・マルチネスに55億円も費やす姿を見れば。

 それは過去、帝国が芸術を保護することが

 審美眼につながる
 周辺国に良い印象を与える

 ことと同様に、アジア市場だけでなく世界市場に大きな衝撃を与えるのは、選手の獲得にあると感じているのでしょう。

 ある種、日本はJそのものが成熟し、むやみに選手を獲得する必要がないように見えます。

 その一方で刺激を与えるのは、リーグの改変だけでは追い付かないことも事実ではあります。

 
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あこがれの対象が憧れではなくなること

2016-02-05 01:38:05 | 日記
 僕が歩んできた人生40年、バレンタイン・フィーバーに浮かれたことは一度もありません。

 僕はバブル経済の時期、父にファミコンやミニ四駆といった人気のおもちゃをクリスマスにねだったものですが、若い男女はとにかく
 
 「高級ホテルでの食事」
 「夜景の美しさ」
 「車のブランド」

 など、意味のない競争に熱を上げていたと聞きます。

 でも、僕は今、バレンタインとクリスマスについて達観しています。ゆ

 なぜかと言いますと、両親にねだったもの、おもちゃにしてもケーキにしても、今は自分の収入で買うことができます。

 シュークリームにエクレア、どら焼きなどの甘いものは

 「100円で入手できる」
 「夕方には見切りになる」

 というような、ある種の「からくり」も知っています。

 つまり、かつては憧れの対象が、今では現実になった、というわけです。

 サッカーもそうですよね。

 かつては

 1・イレブンやサッカー・マガジンを何度も何度も読み返す
 2・アディダスやプーマという舶来品を、何とか入手できないかと考え抜いた
 3.ダイヤモンド・サッカーが大好きだった

 というように、限られた範囲でサッカーに情熱を皆さんもやしていたわけです。

 でも、今では90年代の衛星テレビの普及に加え、日本代表のワールドカップ出場とJSLのプロ化、そして日本人の海外進出。

 というように、情報の速度は進歩するに加え、出先でも簡単に映像を確認することができます。

 かつてを知るファンは

 「あの頃の情熱と今の環境は、比較できないし軽薄に見える」

 そんな感じかもしれません。
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