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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

雪かきをして得た日本人の心持ち

2014-02-16 23:28:28 | 日記
 誰だって雪かきは嫌なものです。
 
 水分を含んだ雪は重く、踏めば踏むほど氷に近くなり転倒しやすくなりますから。

 皆さんだって休日返上で雪かきをしたでしょうし、僕も店で雪かきをして疲れ果てています。

 でも雪かきをしていると、「日本も捨てたもんじゃない!」という感想も持ちます。

 「段差があるので注意してください」
 「足下に気を付けて」

 と通る方に注意を促すと、大抵の方が会釈をし、ありがとう、大変ですねと声を掛けてくださいます。

 一見すると遊び人のような方も、同じようにしてくださいますし、サッカーでは観客が声で選手を後押しするように僕たちも皆さんの温かい声が、やる気に繋がるものなのです。
 
 僕は海外に出かけたことが無い為、この風景が万国共通なのか、日本独自の物かわかりませんが、海外でも同じ光景があるのなら嬉しいですね。

 サッカーでもJリーグの観戦態度は随一の評判を持ちます。

 ですから観戦態度の素晴らしさが感銘を呼ぶのであれば、外国籍のファンと選手が同じように感銘を受けていると思います。

 東京五輪ではこうした

 「優しさと敬意」

 が見られると思います。

 「案外、日本単独でワールドカップを開く事も可能ではないか?」

 そんなことを考えながら、スコップで雪をほじくっていた次第です。
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サッカーで働く事を想像する

2014-02-16 00:20:07 | 日記
 学生の皆さんはこの大雪で交通機関がマヒしているにも関わらず、仕事を得るために動いているのでしょうか。

 どうか体をご自愛ください。

 例えば「サッカー」を職にしたいと思う学生さんの内、選手とコーチになれる人材はごくわずかで、医療、ブランド、記者など、携わる形での業務になります。

 では「ブランド」に的を絞って僕なりに考えてみましょう。

 1・総合スポーツブランドで働く事

 ナイキやプーマ、アシックスは当然ですがサッカーだけでなく、バスケット、野球、陸上など多方面に用具を提供していますから、サッカーに配属されるとは限りません。

 また、サッカーに携わることができても、用具の営業と卸、契約するクラブ担当、選手の契約など、その内容は多岐に渡るでしょうし、正直休む時間はひどく少ないと思います。

 回り道(他の競技)を経験してからサッカーに挑むのか、それとも作家だけに一直線になるべきか。

 僕には判断しかねますが、自分の思い通りになる方が難しいのも確かです。

 2・にっちブランドで働く事

 これは先日お話したロイシュやウールシュポルトのように、サッカーでも「GKが快適に過ごせる製品提供」という、的を絞った形で支持を得ているブランドですね。

 失礼な言い方だとは思いますが。

 GKは当然限られたポジションですから、契約選手の指名、コマーシャル、製品づくりは総合スポーツブランドとは大きく異なるでしょうし、パイの奪い合いも相当な激しさだと予想します。

 3・知る人ぞ知るブランドで働く事

 サッカー好きだって知らないブランドはあるでしょう。

 例えばアドミラルはタウン・カジュアルやスニーカーで人気がありますし、トッパーやペナルティのように南米が本社の企業と、ナイキのような北米企業、そしてアディダスような欧米企業では、仕事の進め方も異なるのかもしれません。

 でもレゲア、エレア、ホマなど、今後シェアを拡大する可能性はありますし、自分が規模の小さい会社が良いということであれば、お互いのニーズが合う可能性は高いと思います。
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サッカーとミステリーの間柄

2014-02-16 00:12:53 | 日記
 昨年映画化された東野圭吾さんの「真夏の方程式」
 
 僕は昨晩この作品を読みましたが、僕はミステリーには疎いので東野さんが最後に紡ぐ動機、心情、トリックを読んで「ああ、そうか」と思う次第です。
 
 つまり、文章を追いながら、急所はここだ!と思うような読み方はしないのです。

 サッカーも案外ミステリーと同じ観点がありますね。

 テレビ中継ならば猶更で
 
 「もし僕が監督ならば、この選手を交代させるだろうな」
 「ハーフタイム、指揮官はどんな言葉をかけるだろうか」
 「後半、戦術は変更するだろうか」

 と思いを馳せる作業がそうですね。

 ミステリーに求められる要素が驚愕のトリック、こんな事がおきるなんて!という驚きであるならば、サッカーもその要素は満たします。

 例えば2005年のイスタンブール。

 チャンピオンズ・リーグ決勝で起きた展開は、熱烈なリバプール・ファンでさえ度肝を抜かれ、少なくとこあの時点では

 「ラファエル・ベニテス」

 は間違いなくファンにとっての傑物でした。

 3-0から3-3、そしてPK.

 この劇的な展開は多くのファンが痺れ、ミランファンが落胆し、リバプールファンの涙を誘います。

 サッカーでもミステリーでも、大きな驚きを味わいたいと言う感覚は、僕たちが平凡ではいられないという意味合いかもしれませんが、僕は平凡で構わないと思うのが異なる点です。
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