塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

契約選手にのしかかる重圧

2014-02-20 01:33:59 | 日記
 アントラーズの小笠原はカッパ、ヴィッセルの橋本はル・コックと契約しています。

 もし僕が両者の立場ならば身震いでしょうし、同時に重い責任を背負うあまり憂鬱になるかもしれません。

 サッカーブランドは様々な規模を持ちますが、当然選手全てが契約できるわけではありませんから、契約を申し込まれる事、広告塔になることはそれだけも凄い出来事です。

 ただその一方で、日本市場におけるファン・プロモーションは、いずれもこの両名しかいないのです。

 ですから調子が落ちる、病気になった、カード累積で試合に出られないという形になると、ブランドは大きく気落ちしてしまうのではないか、もし僕が用具を提供してもらう側ならば、そう気遣ってしまいます。

 一時期リーボックやフィラが大きな人気を博しました。

 しかも契約選手は相当のビッグネームを複数抱えていたにも関わらず、市場から姿を消した前例を見ますと、選手を複数抱えて緻密な製品づくりをしても、必ずしもシェアの拡大にはつながらない。
 
 そんな現実が見えてきます。

 選手が皆ビッグクラブに在籍して大きな露出があるわけではありません。

 今調べましたらウォリアーはニューバランスの傘下ということで、彼らから製品提供の方法を学び、リバプールとの契約に結び付けたのでしょうが、スパイクはベルギー代表のフェライニと契約するなど、その勢力を拡大しつつあります。

 アンブロが工場からの小ロットを受け付けていたように、商売の最先端が最先端である寿命は短いですね。

 ナイキとアディダスにしても油断は禁物ですし、何よりサッカー市場はアジアとアフリカを含めて、まだ開拓の余地があるでしょうから。
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ウエブ・カタログは情報過多ではなかろうか

2014-02-20 01:12:31 | 日記
 昔は大抵の店にカタログが置いてあり、ジーパンでもスニーカーでも各社が趣向を凝らして作っていることが一目瞭然でした。

 僕はジーパンを買う時にいつもカタログを眺め、これが欲しいと願っていましたし、大学時代も今はもうないのですが、スポージアムやアムスポーツなど甲府市にある靴屋で最新カタログをいつも頂いていました。

 今はデジタル全盛ですから、スポーツブランドが

 「ウエブ・カタログ」

 として紙を削減し、コストを下げることは当たり前です。

 ただその一方でウエブ・カタログや検索サイトを用いる事で情報過多になり、自分が今入手したい情報がわからないという逆説も生まれています。

 スポーツ・ブランドも凝ったつくり、言い換えれば見栄えの良さが仇となり、どこをクリックしたらよいのか皆さんも迷うことはないでしょうか?

 僕はこのブログの情報を集める為に、サッカーブランドのホームページをしばしば閲覧しますし、アマゾンで関連書籍や作者名を確認することもありますが、昔の紙製カタログが懐かしいですね。

 90年代中期、ナイキが爆発的に売れた事で多くの媒体がナイキの特集本を作成し、アディダスも定期的に情報誌が刊行されています。

 本やカタログは制限があるために

 「その中で網羅する」

 という責任が生じます。

 その制限が店頭での入手につながり、的確な情報収集に繋がったと僕は見ています。

 昔のカタログを所有する方は大切にした方が良いと思います。

 例えばプーマはコサ・リーベルマン、コンバースは月星、アディダスはデサント、ナイキは日商岩井というように販売窓口が違いましたし、当然契約選手の履歴にも繋がりますから。
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これは簡単という思いこみの果てにあるもの

2014-02-20 01:02:15 | 日記
ケン・グリフィーがシアトル・マリナーズ在籍時の1997年、以下の談話がナンバーがクリスマス頃に発売した増刊、

 「アスリートのライフスタイル」

 に掲載されました。

 「トレイ(息子さんの名前)のおむつを替えることよりも、僕にはホームランを打つ方が簡単なんだよ。」

 僕はこの書籍を手放している為に、原文はこのままではありませんが、今思い返してみてもこのユーモアを交えた言葉の中に、グリフィーだけでなく僕たちにも自分を顧みる要素があります。

 そう、それは

 「簡単という作業の価値観は、人によって異なる」

 と言う意味です。

 よく求人情報誌で「簡単な作業」「誰にもできます」という文面が掲載されますが、それが簡単かどうかを把握するのは広告代理店でも雇用主でもなく、実際に働いた人物です。

 もしその作業が肌に合わない年、肩を落とすのであれば、その人物の心の中に

 「誰もができる作業なのに、僕は出来なかった」

 という寂しい気持ちしか残らないせいでしょう。

 サッカーも同様で、一見簡単に見えるプレイも選手たちが毎日地道に繰り返す動作、あるいは咄嗟の判断で体が反応したという理由が考えられますね。

 もしベッカムが

 「子供たちの入学手続きや誕生日を祝う為にどこかを貸切にすることよりも、僕にとってはフリーキックでゴールを奪う方が簡単だし、小に合っているのは間違いないね。」

 と語ったとします。

 それは嫌味でもなんでもなく、本当に彼のフリーキックは美しく、誰もがその素晴らしさを認知しているためです。

 ロナウドだって英語やスペイン語を覚える事よりも、ゴールを決める方が簡単だと思うでしょうし、メッシだってアディダスやドルチェ・アンド・ガッバーナの契約は代理人に任せ、サッカーという本業に集中しています。

 「これは簡単だ」
 
 と自分に暗示をかけすぎるのは良くないのでしょうね。
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