ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



宗教学って学問があるんでしょ。それって、どうなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「人間幸福学」とは何か――人類の幸福を探究する新学問』(幸福の科学出版刊)で、次のように説いておられます。

 ただ、私が申し上げたいことは、既存の大学の宗教学科や仏教学科などの宗教を研究するところにおいて、「ここは研究するところであって、信じるところではない」という理由から、現実に宗教学等を勉強した人に信仰心がなくなっていく傾向が出ていることです。これについて非常に深く憂えています。
 つまり、宗教学科、あるいは仏教学科を卒業した人が、霊魂や死後の世界を否定し、唯物論者と化しているケースがかなり見受けられるのです。
 しかし、「信仰を否定することが学問である」と捉えているならば、要するに、「信仰がなくなっていくかたちでの学問」ということであるならば、これは信仰の破壊のために宗教を研究していることになりかねません。(中略)
 また、現実の宗教学そのものは、「宗教についての善悪は問わない」という立場で研究をし、リサーチをしているようですが、その結果、オウム真理教をはじめ、幾つかの宗教が社会悪を犯したときに、歯止めになりませんでした。そのために、学問として役に立たなかったことをマスコミから責められているわけです。
 やはり、宗教を研究する立場として、まったく思考が働かない状況になることは問題であると思います。ある程度、「人間幸福学」的観点から見て、結果的に人間を幸福にしていく方向に向いているか否か、社会を幸福にしていく方向に向いているか否かを研究していく必要はあるでしょう。(中略)
 また、現実には、いろいろな宗教が、信教の自由の下に認められてはいますけれども、日本で認められている十八万の宗教団体のなかには、残念ながら形骸化して、かたちだけになっているものもあれば、内容のあるものもあります。さらに、内容においても、人間を立派にしていく効果があるものもあれば、堕落させていくものもあるわけです。
 本来、そういうところの基準を示せるぐらいのものでなければ、今、学問として必要とはされていないのではないでしょうか。(中略)また、それによって、例えば、マスコミ評論や警察、裁判所等が動く場合もありましょうが、そうしたときの一定の判断資料として、学問的な裏付けが与えられるようなものでなければいけないと思うのです。
(58~62ページ)

宗教学科や仏教学科を卒業した人が、かなり霊魂や死後の世界を否定し唯物論者と化しているが、これでは信仰の破壊のために宗教を研究していることになりかねない。

また、宗教の善悪は問わない立場で研究しているが、その結果、オウム真理教などが社会悪を犯したときに歯止めにならず、学問として役に立たなかった。

日本の18万の宗教団体のなかには、人間を立派にしていくものもあれば堕落させていくものもあるが、その基準を示せるぐらいのものでなければ、学問として必要とはされていない。

「人間幸福学」的観点から見て、人間を幸福にしていく方向に向いているか否か、社会を幸福にしていく方向に向いているか否かを研究していく必要がある──。

HSU」(ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ)という私塾の形の“大学”が4月から開学するわけですが、「人間幸福学」という学部があると聞きます。

じつは、なぜそういう学部を開設するのかが、ここで分かりやすく説かれているのではないでしょうか。

大川隆法先生の教えを長く学んできた者の一人として、HSUで創られていく「学問」にはほんとに期待したいと私は思うのです。
 

『「人間幸福学」とは何か』大川隆法著


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