ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「千年王国」なんて言葉、聞いたことがあるんだけど、そんなの夢物語だよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『救世の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 昔、仏教が日本に伝わってきたときには、「仏教を入れよう」と主張する蘇我氏と、「日本古来の神が怒るから駄目だ」と主張する物部氏との間で戦いが起き、多くの血が流れましたが、聖徳太子が仏教を入れました。
 通常、外来の宗教を入れると国産の宗教は滅びるものですが、聖徳太子は、日本神道を滅ぼさずに仏教と融和させました。神道という枠組みのなかに仏教の教義を取り入れて、日本の国の基礎をつくったのです。
 日本神道そのものには、形式としての儀式はありますが、教えがなかったので、この“中空状態”の部分を仏教の教義で埋めることによって、日本を先進国にしようとしたわけです。その意味で、聖徳太子は偉かったと思います。
 ユダヤ・キリスト教圏においては、「千年王国」という理想があります。これは、私が説いている「仏国土・ユートピア」のような世界です。「メシアが現れて理想の国を築き、その王国が千年間続く」という、「千年王国」の思想があるのです。(中略)
 ところが、日本を見てみると、聖徳太子も偉大でしたが、そのあと平安京をつくった桓武天皇も偉大です。
 桓武天皇は、奈良の平城京から京都の平安京に都を移しました。平安京は唐の都をまねたと言われていますが、京都盆地に碁盤目状のきれいな街路をつくり、宗教都市を築いたのです。
 そこには、神道と仏教、さらに道教の思想まで入っていました。もちろん、神道は、もともと孔孟の儒教思想も内に秘めているので、儒教とも関係があります。そのような宗教の融和のなかで、新しい宗教国家を目指したのが桓武天皇であったと思います。
 その平安京、すなわち京の都は、「鳴くよ(七九四)ウグイス平安京」という、年号の覚え方で有名な七九四年から、明治維新で東京に首都が移るまで、一千百年ほど続いています。したがって、「千年王国」の理想は、実は日本では現実に成立したことなのです。宗教都市がつくられて、その都が千年以上栄えたわけです。
 その都には、「宗教的寛容性のなかで、多様な思想を受け入れつつも、信仰心をきちんと立てて政を行う」という姿勢がありました。(中略)京都という、日本の宗教都市で起きたことを、次は国際レベルで考えてみる必要があると思います。(中略)
 私は、幸福の科学を私一代で終わるような宗教にはしたくありません。そして、「幸福の科学の教えは、二千年、三千年と続いていってほしい」と思いますが、その前段階として、まずは千年王国を目指します。すなわち、千年は繁栄が続くような宗教の基盤をつくり、立派な宗教国家を建設したいと思っています。
 宗教立国をなし、日本をほかの国の模範としたいのです。「日本を見習いなさい。日本のようにすれば、宗教戦争も終わるのだ」ということを示したいと考えています。諸宗教のよいところを取り入れ、諸宗教が仲良く融和する、「宗教を尊重する国家」をつくりたいのです。
(141~146ページ)

桓武天皇が築いた平安京(京都)は、宗教都市として一千百年ほど続いたのであって、「千年王国」の理想は、日本では現実に成立した。

この京都という、日本の宗教都市で起きたことを、次は国際レベルで考えてみる必要がある。

一千年は繁栄が続くような宗教の基盤をつくり、諸宗教が仲良く融和する立派な宗教国家を建設して、この日本をほかの国の模範としたい──。

誰も教えてくれなかった、京都という都市の特別さ。

改めて、ほんとうに驚いてしまいます。

今日は、「宗教立国」の理想を、「千年王国」という角度から説かれた大川隆法先生の教えを、ご紹介してみました!

救世の法 信仰と未来社会 法シリーズ 『救世の法』

 大川隆法著

 

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