経済競争で、昔からある大企業が競争でつぶれて、新しくできたばかりの企業がのしてくる、なんてあるよね。こういう栄枯盛衰って、どうなのかな。みんなで仲良くやっていくこと、できないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
それは、それだけを見れば悲しいことではありますが、もっと大きな目で見れば、企業の栄枯盛衰にも「淘汰の原理」が働いていて、世の中の役に立っているものが勝ち残っています。役に立っているものが勝ち残るということは、結局、ユーザー、すなわち消費者、利用者にとっては、よいことなのです。よりよい商品を出すところ、よりよいサービスを提供するところが勝ち、サービスの悪いところが滅びていくのは、ユーザーにとって、ありがたいことです。
たとえば、以前は、郵便局から小包を送る場合、規格どおりでないと、「だめです」と言って突き返されました。(中略)しかし、宅配便ができてからは、郵便局はそうしたことを言わなくなりました。宅配便は、家まで荷物を取りに来てくれて、どのような包装をしてあっても送ってくれます。しかも一日で着くのです。そうなると、小言を言っていた郵便局の人もだんだん優しくなり、応対が丁寧になってきます。そして、最後は、郵便局が存続できるかどうかという戦いになるわけです。
これは厳しいことですが、実際に利用する人にとってありがたいところが生き残っていくほうがよいのです。(中略)勝負によって、一見、勝者と敗者が生まれますが、結果的には、トータルでサービスの向上や社会の発展になることがあるので、その意味における勝負を否定してはいけないと思います。
これを否定すると、努力のない世界になります。「勝者もなく、敗者もなく」というのは、よいことのように聞こえますが、結局、永遠の停滞になるのです。それは、ある意味では、全員が敗者であるということです。そのように、だれも向上を目指さない世界になり、停滞していくことがあるのです。
したがって、「もしかしたら、つぶれるかもしれない」という危機感があることは、企業にとってはよいことであり、また、個人にとっても、「もしかしたら、クビになるかもしれない」という危機感があることは、よいことなのです。
多くの人が、人生の勝負、あるいは仕事上の勝負に勝つことを目指していくことは、個々には悲劇が生まれることもありますが、マクロ(巨視)の目で見れば、大きな意味においては、やはり進化を目指して進んでいることになると言ってよいと思います。
また、現代では、昔のような露骨な戦というものは少なくなっており、それが経済競争になったり、学力競争になったり、いろいろなかたちでの戦いに変わっています。いまの戦いは、刀で首を斬るだけのものではなくなっています。
経済的な戦いにおいては、ほんとうの意味での敗者はいないのです。勝者は必ず、ほかの人々にとっても有利な条件を提示してくるので、敗者はいないのです。そういう意味で、血を流す昔の戦いよりは、よくなっていると思います。(中略)
このように、世の中には勝敗というものがありますが、それは、かたちを変えた幸福論、姿を変えた幸福論になっていることもありますし、イノベーションの原理でもあります。それはよいことなのです。
(109~115ページ)
企業の栄枯盛衰にも「淘汰の原理」が働いて、世の中の役に立っているものが勝ち残っており、これは消費者にとってもよいことである。
競争を否定すると、努力のない世界になり、結局、永遠の停滞になってしまう。
世の中には勝敗というものがあるのは、マクロの目で見れば、進化を目指して進んでいるのであり、それはかたちを変えた幸福論であって、よいことである──。
調和だけを考えて、競争を否定すると、結局は停滞してしまって、みんなが不幸になってしまう。
改めて教えていただくと、それは当然のことなんですが、見失いがちな視点ではないでしょうか。
人生の幸福のためには、「調和」も必要だけど、「進歩」も必要であるわけです。
この両方を念頭に置きながら、今日は、「進歩の原理」に重点がある教えを、ご紹介してみました!
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『常勝の法』
大川隆法著 |
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