日露戦争って、日本が大国ロシアに勝った戦争として有名なんだけど、あれって、勝って当然の戦いだったのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『秋山真之の日本防衛論』(幸福の科学出版)で、日露戦争では旅順攻略を指揮したことで有名な陸軍大将・乃木希典の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。
いや、本来は負け戦だよね。あれは運がよかった。本来は負け戦だ。本来は負けなければいけない戦だったと思うよ。陸軍も、海軍も、負け戦というのが、本来の姿だ。本当にラッキーだったと思いますね。敵失が重なり、味方にも幸運が重なって勝てたけれども、本来、これは負け戦ですね。
資金的にも不足していて、無理に外債を集めて戦っているし、継戦能力はなかったし、戦艦もかなり傷んでいたし、陸軍も十分ではなかったし、敵の備えのほうが十分だったね。(中略)
けれども、死傷者があまりに多いのと、乃木の凡将ぶりが誇大に評価されて、すごく恐ろしい人だと思われたらしい。実は、用兵が下手だったために、大勢の兵が死んだのだけれども、それが、何と言うか、「乃木は、人が死ぬのを何とも思わない人間だ」と思われたらしい(笑)。(中略)
ロシア側に残っていた武器弾薬、食糧、および、シベリア鉄道による補給体制の確立、それから、要塞の堅固さ等から見て、こちらの作戦および戦闘準備に誤りがあったことは明らかだった。最初の見通しが間違っていて、むざむざと大勢の人を死なせ、戦力を失ったことは、間違いない。
だから、私の虚名が流れたことで、敵が予想外に恐れてしまい、「日本軍は強い」と思ってしまったところがあるし、「側面から攻撃した者たちにも、当然ながら、援護軍が来るものだ」と向こうが思って、逃げたようなところもそうとうあるので、ロシアのほうが、勝てる戦いを落としたということではあるでしょうね。
もうちょっと粘られたら、うちの負けだったし、あの高地が取れなければ、旅順の要塞化がさらに進んで、やはり、非常に厳しい戦いになっただろうね。
海軍のほうだって、(中略)「運がよかった」としか言いようがないね。(中略)そうとう疲弊しており、港に入りたくて戦意が落ちている艦隊に遭遇して、これを日本の近くで撃破したわけですから、運がよかったのと、東郷平八郎元帥が剛毅な方であったために、勝ったところもあるわな。(中略)
だから、謙虚なのではなくて、本当に、あれは、いろいろな人の活躍により、百に一つの勝ち方をしたのであって、本来は負け戦だ。
資金を集めたり、あと、講和に持ち込むのにも、たまたま優秀な外交担当者がいて、友人等を通じて交渉をやれたり、いろんな要素が積み重なっての勝利だったね。だから、ナポレオンも敗れ、ヒトラーも敗れた、あのロシア軍(ソ連軍)に日本軍が勝てたというのは、まあ、奇跡の勝利だったね。(中略)
でも、その奇跡の勝利が、おそらくは、第二次大戦の敗北につながっていると思う。兵站部門の軽視から見て、日露戦争は負けている戦いなんだけれども、それでも勝ってしまったために、先の第二次大戦でも、「神風が吹いて勝てる」と思ったところがある。(中略)
だから、「日露戦争では、本当は危なかった」ということを、十分に知らしめておれば、第二次大戦の様相は、かなり違ったものになっただろう。
(82~88ページ)
日露戦争は、敵失が重なり、味方にも幸運が重なって、いろいろな人の活躍により勝てたけれども、本来は負け戦だった。
日本は、資金が不足して継戦能力はなく、海軍は戦艦がかなり傷んでおり、陸軍も作戦と戦闘準備に誤りがあって、ロシア側の備えのほうが十分だった。
この日露戦争の奇跡の勝利が、第二次大戦の敗北につながっている──。
やはり、実力でなく成功を収めてしまうと、あとが怖いというのを、日露戦争から第二次大戦に至る日本という国は、経験したわけです。
自分の実力を客観視するというのは、むずかしいものですけれど、おそらくそれは、個人にとってだけでなく、国家にとっても同じことであるのだと学ぶことができた気が私はしているのです。
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『秋山真之の日本防衛論』
大川隆法著 |
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