なんだか気分がどんよりしててさ、体も重くって。悪霊が寄ってきてるんだと思うんだよね。どうやって戦えばいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
悪霊と対決する場合には、霊的知識の充実が非常に大事です。
まず必要なのは、悪霊の正体を知ることです。「悪霊というものが漠然といるのではなく、自分自身も悪霊になる可能性を持っている。悪霊とは心の病気にかかっている魂のことである」ということを知らなくてはなりません。(中略)
それでは、心が病にかかるとは、どのようなことでしょうか。それは、少なくとも幸福感に満ちた状態ではありません。何らかの悩みがあり、しかもそれはマイナスの悩みであることが多いのです。
人間は、自己否定的になったり、逆に、他人に対する否定的な思いの虜になったりすることがありますが、こうした両極端のなかにいると、足ることを知らない欲望、愚痴、不平不満、猜疑心、欲求不満、劣等感、自己顕示欲といった悩みをつくっていきます。(中略)
したがって、「自分が悪霊になるかどうかを考えてみる」という観点も大事だと思います。人生が不幸な場合、「霊障だから」「先祖が迷っているから」などと言われることがありますけれども、迷う可能性は自分自身にもあることを知らなくてはなりません。
この世とあの世を貫く法則として、「類は友を呼ぶ」という法則があります。悪霊が寄ってくるには、それだけの理由があり、その人の心に悪霊を呼び込むだけのものがあるのです。
どのような悪霊に取り憑かれ、悩まされているかということは、その人の心にどのような誤りがあるかを教えています。その意味では、悪霊は家庭教師だと言うこともできるのです。
悪霊が憑いているならば、その人は、心安らかに生きていない、心穏やかに生きていない、平和に生きていない、幸福に生きていないと言えます。(中略)他力によって悪霊を取るのではなく、自分自身の心を見つめ、心のなかから悪霊を追い出すこと、悪霊となるべきエネルギー要素を取り除くことが必要です。
「己心の魔」という言葉があるように、心のなかに魔があって、それが外部にある魔を呼び込んでいるのです。結局、悪霊との対決といっても、外部にある悪霊というより、自分自身の心との対決なのです。(中略)
悪霊を呼ぶ状態の心は、ちょうど、空に雨雲がかかったようになっています。雨雲の上には太陽がさんさんと照り輝いていても、雨雲を晴らさなければ光がさしてこないように、心のなかに曇りができて、仏の光を遮っているのです。
まず雨雲を取り除くことが必要です。そのためには、「自分の心のなかに、どのような雨雲があるのか」ということを、しっかりと考えてみることです。そうすることによって対応策ができてきます。
心のなかの悩みとは、結局、「いつもそのことを考えている。いつも心がそこへいく」というものです。人間は二つのことを同時には悩めません。悩みが複数あるように見えても、その根の部分は一つであることが多いのです。
(151~155ページ)
悪霊とは、心の病気にかかっている魂のことである。
「類は友を呼ぶ」。そして「己心の魔」。悪霊が寄ってくるのは、自分の心に悪霊を呼び込むだけのものがあるということ。
結局、悪霊との対決といっても、外部にある悪霊というよりも、自分自身の心との対決である。
それは結局、何らかのマイナスの悩みがある、ということ。いつもそのことを考えている、いつも心がそこへいくものは何か、それを考えてみるとよい──。
悪霊の正体とは何か。
なぜ悪霊が寄ってくるのか。
この充実した霊的知識が「智慧」となって、悪霊と戦うとき、とても有効な武器になる。
今日は、その一端を教えていただいたことに、改めて深く感謝したいと私は思っているのです。
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『不動心』
大川隆法著 |
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