大学受験、失敗しちゃったんだよ。浪人してるんだ。なんだか、人生終わりだよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
たとえば、大学受験で失敗し、一年、浪人をすることになったとしましょう。それは、その人にとっては非常なショックでしょう。自分の実力が否定されたということですから、大変なショックであるはずです。
しかし、(中略)幾つかの逆発想が可能です。その例を挙げてみましょう。
一番目としては、「これは、自分がもっとよい学校に行けるようにという、仏の計らいかもしれない。現役で、そのまま通ってしまえば、大した学校には入れなかったかもしれないが、もう一年、勉強することによって、もっとよいところに行けるかもしれない。これは、そういうことを教えているのではないか」という考え方もできると思います。
二番目の考え方としては、「自分に人生の厳しさを教え、豊かな経験を与えるために、こういう試練があったのである。これが、やがて自分が世に出て人を指導するときに、非常に大きな魂の糧となるのだ。まことにありがたいことであり、この機会に、しっかりと努力をして、魂の足腰を鍛えていこう。そして、大人物となっていけるようにしよう」というような考え方もありましょう。
三番目としては、「これは、自分が非常に傲慢であること、うぬぼれていることを、仏が教えてくれたに違いない。これを機会にして、ひとつ、謙虚な人生を歩んでいこう。謙虚に自分というものを見つめ、こつこつと努力していくようにしよう。他人に認められることばかりを願うのではなく、真実、自分の納得のいく生き方をしていこう。こつこつと積み上げるような、謙虚な生き方をしていこう。そう思うことが、この受験失敗の意味ではないか」というように考える人もいるでしょう。
また、「浪人生活をするということが、もしかすると、将来、自分が大作家にでもなったときに、作品を書く材料になるかもしれない。(中略)この程度の経験がなければ、将来、そういう大きな仕事はできないかもしれない」というように光明転換していく人もいるでしょう。
さらに、「この浪人時代に、もしかしたら、人生の親友とも言うべき人を得ることができるかもしれない。(中略)」と考えることも可能でしょう。
あるいは、「一年、遅れたならば、一年、長生きすればよいではないか。本来、八十歳で死ぬ人生であれば、八十一歳まで生き延びればよいだけのことである」というように考える人もいるでしょう。(中略)
実業界に出て成功した人を見てみると、若いときに、けっこう、いろいろな試練に遭っている人が多いようです。そういうときこそ、真に魂が磨かれているときであるのです。
私は、何の魂の磨きもないような青春時代が素晴らしいとは決して思いません。幾つかの蹉跌(さてつ)があり、幾つかの、魂への重しがあって、それを乗り越えていったときに、初めて光というものが出てくるのです。
これは、若い人についてだけ言えることではありません。中年の人にとっても、また、晩年に生きる人にとっても、同じことが言えると思います。
(99~102ページ)
人生では、幾つかの蹉跌があり、幾つかの魂への重しがあって、それを乗り越えていったときに、初めて光というものが出てくる。
つまずき、失敗があった場合も、それを光明面から逆発想することができないかどうかを常に考えよ──。
つまりは、受験浪人というのも、あなたの人生をより光り輝かせるための、一つの砥石(といし)なんだってことです。
「人生は一冊の問題集である」という、幸福の科学の初期からの有名なお教えがあります。
今日のお教えは、この人生の問題集の意味を、別の角度から教えて下さったのだと私は思っているのです。
|
『成功の法』
大川隆法著 |
(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)