「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

過去たちへ銀杏黄葉の降りしきる 菅原鬨也 「滝」12月号<飛沫抄>

2015-12-08 04:38:45 | 日記
 人にはそれぞれの過去がある。人生経験が長ければそれに
比例してその過去も豊富になる。作者もその限りにおいては
数々の過去がある。「過去達へ」と複数への呼びかけである。
特に句作における過去は膨大な数になると思われる。その俳
句のひとつひとつが懐かしいものであり。過ぎ去ってみれば、
句意の様々はあるが、どれも愛おしいものに違いない。句が
できて一つの位置を占めれば、俳句は作者の分身になるのだ。
そして作者の胸の中に生きている。自分の感性に添う句。一
方で想うに任せない句、一人歩きをしていく句、等々。俳句
という過去達へそれぞれの栄光を讃えて銀杏の葉がしきりに
降るのである。(鎌形清司)