ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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はなまるカフェ:大泉洋さん

2008年05月24日 07時03分47秒 | テレビ
昨日の「はなまるカフェ」のゲストは、俳優の大泉洋さんでした。

大泉さんは北海道の出身で、北海道で有名になってから全国で有名になった方です。

オリーブオイルに凝っている話をされ、実際にスタジオでパンにオリーブオイルをつけて岡江さんや薬丸さんと一緒に食べていました。

オリーブオイルといえば、NHKラジオ『徹底トレーニング英会話』5月号テキストの5月3日の話題にもちょうど出てきました。

野菜を炒めるのには料理用の安いものを使い、サラダドレッシングには、輸入品の高いオリーブオイルを使うという話です。トルコ産でワインと同じくらいの値段がするものらしいです。ここでもパンにつけて食べてみるよう勧めていました。

大泉さんは、ご自身も出演されている映画「アフタースクール」の紹介をしていました。佐々木蔵之介さんや堺雅人さんも出演されます。

佐々木蔵之介さんは、朝日新聞夕刊(5月21日)の「佐々木蔵之介の役者が仕事」で映画「アフタースクール」のことを書かれていました。佐々木さんは表向きは大人の玩具屋、裏ではヤバイ仕事もこなす探偵という怪しい役を演じるため、クランクイン前に、実際に大人の玩具屋に行ってみたという話でした。おもしろかったです。

堺雅人さんは、NHK大河ドラマ「新選組!」で新選組総長の山南敬助をされた方です。現在は、「篤姫」で篤姫の夫の徳川家定を演じていらっしゃいます。山南さんを演じたときのひょうひょうとした雰囲気がいいなと感じました。

こんな方たちが出演される映画ならどんなものだろうと興味が湧きました。

みのもんた『義理と人情』幻冬舎新書

2008年05月23日 07時49分08秒 | 本、雑誌
みのもんた『義理と人情』幻冬舎新書を買いました。

みのもんたさんが、ギネスブックに「1週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」として記録が載ったときに、仕事や生き方、これまでのことを本にされたものです。

みのさんが、水道メーター会社「ニッコク」の社長もしていらっしゃることは、この本を読んで初めて知りました。
もともとお父さんの会社だったのを継がれたのですが、一時は、放送業界の仕事を全くしないで、この会社の営業の仕事だけしていた時期もあったと書かれていました。

みのさんは、東京で生まれ、お父さんが会社の社長ということもあり、裕福な生活をしていたのですが、伊勢湾台風で名古屋の工場が全壊してしまい、会社は倒産の危機となります。

それまで立教大学付属中学校に通って、大学までは当然行けるものと考えていたのに、大学進学も危ぶまれる経済状態になります。

みのさんは高校生からアルバイトをして家計の足しにするようになります。
おかげで大学進学でき、立教大学経済学部に入ります。

大学卒業後は、文化放送に就職し、ラジオ番組「セイ!ヤング」のディスクジョッキーを担当します。これが大ヒットし、25、6歳で有名人になります。

銀座や赤坂で遊ぶようになりますが、3年くらい経つと、人気にかげりが出、他の番組に回され、仕事が過酷になり、会社を辞めます。

父親の会社を手伝いながら、放送業界の仕事を探しますが、フジテレビの「プロ野球ニュース」の司会の仕事をもらうまで、10年かかりました。

野球放送は当時は雨になると全部中止で、代わりにアメリカ大リーグの中継を放送していたそうです。これにみのさんがアドリブでコメントをしていたところ、スタッフにうけて、「プロ野球珍プレー好プレー」につながります。

これを足掛かりにもっと仕事をと営業しますが、みのさんは、仕事とは本来選ばれるもので、自分から押し売りしたとことで、そういい仕事は来ないとおっしゃっています。

それを見ていた人から「芸能人野球大会」のナレーションと司会の仕事の依頼が来て、当日は雨で番組が流れたのに、ちゃんとギャラを支払ってくれたのは、その温情に感激したそうです。

みのさんは、惨めだと感じる時期は誰にでも訪れる。
それを「惨め」と思うと男が小さくなる。
惨めな状態が自然となくなり、好機が来るのをじっと待つ。
自分を惨めな気持ちにさせた人を激しく恨んだり、反撃をするよりは、「この人はこうするしかなかったんだな」と軽く受け止めて、流すことだと書かれています。

「放漫」になると、業界から消えてゆく
「惚れたもの」しか紹介しない
相手を立てていれば、そのうち自分に返ってくる
人の意見は素直に聞く
視聴率にとらわれなくなると、視聴率が上がる
など、長年芸能界にいた方の話には説得力があります。

最後に奥さまの話がありました。
奥さまは立教大学の後輩で、作ってくれたお弁当に胃袋をつかまえられ、3人の子供さんを育て、みのさんの服の管理をし、衣装がかぶらないよう、毎朝写真を撮り、銀座での遊びも大目に見てくれ、感謝していると書かれていました。

みのさんについては、仕事をたくさんして、銀座で遊ぶ方という印象がありました。
この本で、順風と逆風の両方の体験をされたのを知りました。
こんな方に、人生のアドバイスを話してもらう機会は普通ないですが、本を読むことで、多くのことを学ぶことができました。

また、奥さんもどんな方だろうと思っていました。こんなふうに参謀としてふるまえる方を尊敬します。

向田邦子さんのトマトサラダ

2008年05月23日 06時40分20秒 | 料理、食べ物
急な来客があり、家にある材料で数品作って、ビールやワインと共にお出ししました。材料がある日でよかったです。

向田邦子さんにヒントを得たトマトサラダも作りました。

作家の向田邦子さんの「ままや」で出していた料理に、焼きおにぎり、さつまいものレモン煮、人参のピリ煮、鮎の風干し等があり、トマトサラダもその一つです。

トマトを切ったものにシソの千切りを乗せ、サラダ菜を添たもので、「トマトの青じそ和風サラダ」とあります。

『向田邦子ふたたび』文春文庫ビジュアル版、1986年にその写真が載っています。トマトがサラダの主役というところが、当時新鮮に感じました。

その日は、よく熟れたトマトを食べよい大きさに切り、パセリのみじん切りを乗せ、フレンチドレッシング(塩、こしょう、りんご酢、オリーブオイル)をかけ、ハムの切ったものを添えてみました。

来客と言えば、料理研究家の栗原はるみさんは、もともと専業主婦をしていたときに、家に来客が多く、旦那さんの仕事関係者が来られたときに出す料理があまりにおいしいと評判になり、料理の仕事をしないかと声がかかったというのは有名な話です。

千住明さん「彩・美・風 和食に学ぶ曲作り」

2008年05月22日 06時06分42秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊で、千住明さんの「彩・美・風」というコーナーは、「和食に学ぶ曲作り」でした。

千住明さんは作曲家で、「音楽と料理はよく似ている」と感じられた話です。

西洋音楽には「時間芸術の三角形」という考え方があるそうです。
10分間の曲を作曲するときや、2時間のコンサートのプログラムを考える際に、クライマックス(頂点)をどこに持ってくるかを考えるとき、後半以降に持ってくると人の生理に合うとされています。

千住さんは、料理の組み立てから多くのヒントをもらうとして、

友人で和食料理人の神田裕行さんとイタリアに行ったとき、神田さんが「西洋は足し算だよね。生の鯛があったら、オリーブオイル、ハーブ、バルサミコ酢、パルメザンチーズ、塩、こしょうと足して、複雑な香りを楽しむ。和食は引き算。香りが気になる時、湯がいたり、炙ったりして素材を引き出すための引き算をする」と言われたとあります。

千住さんは「僕は西洋音楽の理論と方法を使うプロだけど、その心は和食と同じであると思った」そうです。

オーケストラを書く時、塗り重ねて複雑な色彩を出すテクニックも、千住さんは周りをぼやかして、あるラインを引き出すためのテクニックとして使い、印象派の色彩で墨絵を描くように譜面を書くとおっしゃっています。

音楽と料理に共通点があるという考え方は、新鮮でした。

そういえば、その記事の上は油絵の解説でしたが、油絵は実物に近寄ってみると、ケーキの生クリームのように油絵の具をキャンパスの上に塗り重ねてあります。

千住明さんは、千住3兄弟として、お父さんの千住鎮雄さんが、自分が好きなことを一生懸命にやりなさいとアドバイスし、支援され、お兄さんの千住博さんは日本画家、妹の千住真理子さんはバイオリニストと、芸術家揃いの家です。

そういう環境での会話等が、こういう視点のきっかけのひとつになっているかもしれないと思いました。

「ためしてガッテン」:お湯で野菜をしゃきっと

2008年05月22日 05時30分06秒 | テレビ
昨日の「ためしてガッテン」(NHK、午後8:00-)は、お湯を使って野菜をしゃきっとさせるをやっていました。

野菜がしなびて元気がなくなってきたら、普通は氷水につけたりして回復させますね。
それを、50℃のお湯に2分間つけて元気にしてしまおうというものです。

野菜の組織はペクチンという物質でできていて、それは50~70℃でしゃきっとなるのだそうです。

実際にレタスの生産地で、お風呂にレタスをぷかぷか浮かべている映像もありました。

スタジオで実際にやっていましたが、本当に回復して見えます。

視聴者の野口さんという女性からメールがあり、それを苺で試してみたら、苺も元気になったと報告があったそうです。
冷蔵庫に入れて、ちょっと日が経ち、もう食べなくてはの状態のときに、50度のお湯に2分間入れたら、買いたてのようになっていました。

栄養はと調べてみると、特に溶け出すという心配もないということでした。

そんな方法があるのかと目からうろこの番組でした。

阿川佐和子「残るは食欲 昼の鰻」

2008年05月21日 06時20分09秒 | 本、雑誌
雑誌『クロワッサン』(5月25日号)が、若い美肌特集だったので購入して読んでいたら、阿川佐和子さんが「残るは食欲」というエッセイのコーナーを持っていらっしゃいました。

今回は「昼の鰻」という話でした。
阿川さんのエッセイは、流れるように最後まで読んでしまい、すばらしいものでした。

このところ、小説に力を入れていらっしゃると思っていたので、久し振りに食べ物のエッセイを読むことができて嬉しく思いました。

ふと、どのくらいの分量なのだろうと考えました。

1行が23文字で、横に37行、それが3段で1ページになっています。
 23×37×3=2553文字
途中に写真が入っていることを考えても、400字原稿用紙に6枚強になります。

これはかなりの量です。とても1つの話題ではもちません。

阿川さんの話も、最初はお酒のつまみにパンを食べることから始まり、朝にミニステーキを食べる話、蕎麦を夜と昼に食べる話、鰻を昼と夜に食べる話と展開しています。

蕎麦を夜食べる話で、

メモを手に注文を取りにくる店員さんに、
「じゃ、玉子焼きと蕎麦味噌、貝柱と胡瓜の酢の物と、あと、鴨焼きで、どう?」
同伴者に意向を問うと、
「そうだね。あと、熱燗1本」
まもなく注文の料理が一皿ずつテーブルに並び、

そこでお酌を交わして、大人とはいいものだと思うと書かれていて、情景が目に浮かびます。

阿川さんは、お父さんは作家の阿川弘之さんで、食べ物には家庭でも注文が多かったようです。その影響もあるのかもしれません。

『いつもひとりで』文春文庫の「食い意地遺伝」にその話が書かれています。

阿川さんは、たびたびお見合いをした話(30回以上)や、将来の夢は専業主婦だった話、テレビ「筑紫哲也NEWS23」キャスターをしてたときの話、アメリカのスミソニアン博物館でボランティアをして1年暮らした話など、エッセイがたくさんあります。

最近はまたテレビ「ビートたけしのTVタックル」に出演されたりしています。
いつまでも若くきれいなので、美容と健康の本も1冊書いてくださったらいいなと思います。

「ハピふる!」の緑酢

2008年05月21日 05時25分48秒 | テレビ
「ハピふる!」(フジ、午前10:50-)を見ました。

「ライブdeキッチン」のコーナーで揚げないアジフライに緑酢を添えていました。

緑酢は、きゅうりのすりおろしを使っていて、和食の酢の物として聞きます。
自分では作ったことがなかったので、作ってみることにしました。

テレビの番組中に、雑誌『ESSE』に詳しく載っていますと言っていたので『ESSE』6月号も買ってみました。

「ライブdeキッチン」は、曜日ごとに5人のイケメン料理人が料理を紹介してくれるコーナーと書いてあり、火曜日担当の笠原将弘さんは、

新宿「正月屋吉兆」にて修行、2004年恵比寿「賛否両論」を開店
日本料理界きっての若手ホープとして、今後の活躍が期待される

と紹介されていました。

番組の中で、笠原さんが豚しゃぶにも合うとおっしゃっていたので、夕食は豚しゃぶサラダにしました。

豚を茹でるときは、氷水に取ると脂肪が凝固してしまうので、常温で冷ますというのは、「はなまる」で教わりました。
レタス、トマト、みょうがの千切りを添えました。

緑酢は
 きゅうりのすりおろし 1/2本
 砂糖 大さじ1
 酢  小さじ1
 塩  小さじ1/2 と書いてあったので、そのとおりに作ってみました。

食べてみると、小さいお子さんにも食べられるよう、マイルドな味にしてあるので、大人だけだったら、砂糖をひかえめにし、酢をきかせてもいいかなと思います。

これから蒸し暑いときに、さっぱりとして元気になり、見ためも緑できれいです。

「仕事中おじゃまします」:秋川雅史さん

2008年05月20日 08時29分37秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊の「仕事中おじゃまします」はテノール歌手の秋川雅史さんでした。

「千の風になって」で有名な方です。

毎日1時間の練習をし、「たいせつなのはのど仏の位置。ほんのちょっと上がっても下がってもダメ。一番いい位置に決まらなければ、いい声が出ない」と「のど仏のベスト位置」を探る発声練習を45分、曲に15分かけるそうです。

以前はこの2倍の時間をかけていたのを、コンサートが年に123回、月に10回のペースになったので、喉を守るために減らしたとのことです。

「ある日の秋川雅史さん」として1日が紹介されていて、
午前9時 起床
午前9:30時 朝食(トースト、乳酸飲料)、散歩、ストレッチ
午前12時 昼食
午後3時 コンサート会場入り
午後6時 夕食
午後7時 コンサート開始、2時間コンサート
午後10時 帰宅、晩酌はしないで節制中
午後12時 就寝

と、睡眠をたっぷり取って、体を動かしていらっしゃいます。

「千の風になって」は好きな曲なので、秋川さんがどういう生活をして歌を歌っていらっしゃるか知ることができて嬉しいです。

20代の終わりに舌のつけ根の手術を3度受け、発声練習では化粧用コットンで舌を上下からつかんで引っ張りながら発声して、こうするとのどの動きが自分ではっきり分かるということです。

これはどういう練習なのでしょう?
実物で見てみたいです。

HEY! HEY! HEY!:元首相の孫DAIGOさん

2008年05月20日 08時06分55秒 | テレビ
昨日の「HEY! HEY! HEY!」(フジ、午後8:00-)を見ました。

竹下登元首相の孫のDAIGOさんが初出演していました。

DAIGOさんは、ハンサムで今どきの若者と元首相の孫というギャップで人気です。

1978年に竹下さんの次女の息子として生まれ
1983年4歳のときに竹下さんが大蔵大臣
1986年小学校2年(7歳)のときに竹下さんが自民党幹事長
1987年小学校3年(8歳)のときに竹下さんが内閣総理大臣
1989年10歳のときに竹下さんが内閣総理大臣を辞任

と小学校の頃に竹下さんが総理大臣になっています。

DAIGOさん自身は、
1992年に中学校に入り、
1997年に19歳でバンドを始めます。
2003年にDAIGO☆STARDUSTとしてデビューしますが、

本人の話では、10年間ロッカーとしてやってきたが、あまり売れなかったと言っていました。

DAIGOさんは、いくらでも自慢できる立場なのに、それを上手に話題にしつつ、自分はそんなに頭いいわけではないよという姿勢が好感を持たれているのだと思います。

竹下さんのいろいろなエピソードを話してくれて、聞きいってしましました。

首相になって帰宅して開口一番が、「アイアムソーリー、僕ソーリー」だったとか、
1989年に竹下さんが消費税を導入したときには、小学校のクラスメートにバッシングされたとか、おもしろかったです。

他の番組では、当時子供の間で流行のビックリマンチョコは、1人3個までと決められた店も多かった中で、ある夜帰った竹下さんがビックリマンチョコを3ケース大人買いで持って帰ってくれ、「おじいちゃん、何かパワー使ったな」って思ったという話をしてくれていました。

ブログも書いていらして、「HEY! HEY! HEY!」の収録後に、狩野英孝さん(「スタッフ―」と言う方)とデニーズで晩ごはんを食べたと書いてありました。

長嶋茂雄『人生の知恵袋』幻冬舎

2008年05月19日 06時52分34秒 | 本、雑誌
長嶋茂雄『人生の知恵袋』幻冬舎、2004年を読みました。

美輪明宏さんのことを調べていたら、長嶋さんと対談した本をして、この本が出てきました。

長嶋さんは2004年3月4日に脳梗塞を起こされるので、その2ヶ月程前に出版された本です。

ニッポン放送で2002年6月から放送された「ようこそ長嶋茂雄です」という番組で対談された美輪明宏さん、五木寛之さん、渡辺恒雄さん、森光子さん、石原慎太郎さん、樹木希林さん、日野原重明さんの7人との対談を収めたものです。

美輪明宏さんとは、美輪さんが昭和10年生まれ、長嶋さんが昭和11年生まれで、45年の付き合いがあり、美輪さんが隣に座ると勝つと言われていたことから、長嶋さんと堺駿二さん(堺正章さんのお父さん)で、美輪さんの取り合いをした話が出ていました。

五木寛之さんとは、長嶋さんが五木さんの『大河の一滴』をロードに出るとき持って行き、寝る前に読んだりしているし、『他力』『運命の足音』も読んでいると言われると、五木さんが世間の人は知らないが長嶋さんはとても本を読まれると話されていました。

渡辺恒雄さん(読売新聞グループ会長)とは、渡辺さんが長嶋さんは今でも朝多摩川の土手を走ったり、歩いたりして1時間体を作っていると話され、長嶋さんが渡辺さんは文鳥を肩にとまらせて対談を行い、カメラはかなりの腕前と言われると、渡辺さんが読売新聞の写真部のベテランカメラマンに指導を受けていると話されました。

森光子さんとは、森さんの舞台「放浪記」が43年目(当時)で、森さんは野茂選手のトレーナーをしていた人にコーチしてもらってトレーニングをしていて、朝晩スクワットを75回ずつやっている話がありました。

石原慎太郎さんとは、まず、石原さんが長嶋さんが相手なのに、言いたいことを言ってらっしゃるのに驚きました。野球は管理野球ではいけないとか。長嶋さんが東京都が行った「ヘブンアーティスト」の話をして、大道芸人の人に場所とチャンスを与えたのはすばらしいと話されていました。

樹木希林さんとは、樹木さんが若い頃は面白いものを作ろうと戦っていたけれど、自分が見て面白いものと、他人が見て面白いものは必ずしも一致しないと気づき、自分は役者なのだから絵の具のひと色になればいい、それを和えるのは別の職種の人、とりあえず今要求されている色を自分の体で表現してみようと思って身を預けることにしたら、CM好感度が女性部門で1位になった。長嶋さんみたいに誠心誠意人と接することはなかなかできないと言われたのが印象的でした。

日野原重明さんとは、日野さんがDon'tは人を委縮させるから、Let'sと言いましょうとということや、大きな目標でなくていいから小さな達成感を日々持ち続けるといいという話がありました。

*****

この本を読んで感じたことは、長嶋さんが非常に礼儀正しく、勉強をし、努力される方であることです。
積極的で明るいというのは、イメージ通りですが、フィーリングで話しをされるというのは違う長嶋さんでした。

サンデージャポン:日産車CMのアニメは日本製

2008年05月19日 05時53分05秒 | テレビ
昨日の「サンデージャポン」(TBS、午前9:45-)を見ました。

「今週のJAPOカルチャー」のコーナーは、日産「NOTE」のCMに出てくるアニメでした。

アメリカ風のアニメで、おじいさんに肩を貸して話すものや、おかまっぽい2人がハンドルやブレーキを取り付けるものがあります。

「The World of GOLDEN EGGS」という名前のマンガシリーズで、日本製なのだそうです。

おかまっぽい2人は、ローズマリー兄弟といい、声はラリーさんとモニカさんという男性2人が担当していて、この2人は声優さんではなく、ヘアーアーティストやメイクアップアーティストをしていて、「The World of GOLDEN EGGS」の他のキャラクターもこの2人が担当しているということでした。

小栗旬さんは、この「The World of GOLDEN EGGS」のファンだと公言していて、日産CMの老人の声は小栗さんが担当したと言っていました。

安室奈美恵さんもファンで、シリーズに出てくる女の子の声を担当したことがあるそうです。

「The World of GOLDEN EGGS」のディレクター(産みの親)は、臺 佳彦(だい よしひこ)さんで、ドラゴンクエストやファイナル・ファンタジーをプロデュースした人です。

サンデージャポンのインタビューに行った人は、臺さんに「The World of GOLDEN EGGS」で出てくるテレビ局に「サンデージャポン」を登場させてほしいと頼み、サンデージャポンポテチを渡していました。

「The World of GOLDEN EGGS」はDVDは50万以上売れ、8つのメディアで放送されているそうです。

英語の字幕や雰囲気が、いかにもアメリカ風なので、ずっとアメリカ製のアニメだと思っていました。

デープスペクターさんが、おもしろいので、アメリカに紹介しようかなとおっしゃってました。

「イロモネア」:TKOが優勝

2008年05月18日 07時13分54秒 | テレビ
昨日の「イロモネア」(TBS、午後6:55-)を見ました。

「イロモネア」は、5段階(各1分)の芸をして、第4段階までは無作為に選ばれた観客5人のうち3人を笑わせたらクリア、第5段階は5人全部を笑わせたらクリアで、100万円がもらえるという番組です。

TKOという初めて見る2人が、優勝しました。

第4段階は、「モノマネ」で、右の坊主頭の木下隆行さんが鶴瓶さんのものまねをしてクリア、第5段階の「モノボケ」(物を使って芸をする)は、木下さんが脚立に上がり、聴診器を上にかざして、「風邪ですね~」と言ってクリアしていました。

「レギュラーから優勝」等と言われていました。
東京進出5回目で、初めて優勝を勝ち取ったということで、目を赤くしてほんとうに嬉しそうでした。

TKOの2人は、木本武宏さん(左の黒髪の人)と木下隆行さん(右の背が高くて坊主頭の人)で、中学校からの友人なのだそうです。

TKOという名前は、2人ともイニシャルがT.K.なので、これにボクシングのT.K.O.(テクニカルノックアウト)をかけたT・K・Oにしたということでした(ウィキペディア)。

これから、この2人をテレビで見る機会が増えていくのでしょう。
芸人さんは、こうやって有名になっていくのだなと実感できた番組でした。

「週刊こどもニュース」:成田空港開港30周年

2008年05月18日 06時45分23秒 | テレビ
昨日のNHK「週刊こどもニュース」(午後6:10-)を見ました。

「週刊こどもニュース」は、1週間のニュースを子供にも理解できるようにまとめて解説してくれるので、大人の間でも分かりやすくて役に立つと人気の番組です。

「なるほど!うなずキッズ」のコーナーで、成田空港の話をしていました。

成田空港は、5月20日で開港30周年なのだそうです。

空港というのは、拠点空港(ハブ空港)としての利用が多いと、その周辺に貿易会社、貨物運搬の会社、外国の会社の支店等ができることで、日本経済の活性化につながると解説していました。

空港にそういう働きがあることは、気がつきませんでした。

成田空港はその「拠点空港」の座を、韓国、中国、シンガポール、マレーシアといった他のアジアの空港に奪われそうになっているということです。

その理由として、
 ①着陸料が、アジアの空港の中で最も高い
 ②24時間利用でない
  (他の空港はすべて可能、成田は午後11時から午前6時まで使用できない)
 ③滑走路が短い
  (現在、2180mの滑走路に、2500mの新滑走路を工事中)

成田空港は、周辺に人が住んでいるから制約があるのでしょうか。

他のアジアの空港は、その問題をどのようにクリアしているのでしょうか。

韓国の仁川空港、中国の北京首都空港、シンガポールのチャンギ国際空港、マレーシアのクアラルンプール国際空港が、どのようになっているか知りたいと思います。

美輪明宏さんの不思議な魅力

2008年05月17日 08時45分50秒 | 新聞
朝日新聞(5月15日、夕刊)に、「美輪明宏、理詰めで観客魅了」という記事が載っていました。

主演・演出の舞台「黒蜥蜴」「双頭の鷲」やテレビ「オーラの泉」で有名な美輪明宏さんの近況を伝えています。

「入場券が手に入らないという状態が続いたので、今年はこの2舞台をお見せしようと思いまして」と話されるように、6月まで上演中の「黒蜥蜴」は、すでにチケット完売で、次の「双頭の鷲」は9月上演予定とのことです。

美輪明宏さんは不思議な方です。

舞台も、新しいものを次々と発表するスタイルではなく、演じるものが支持され、続いています。

オーラの泉でも、洞察力(霊感)はすごいと思う場面は多いです。
アドバイスは、奇抜なことはおっしゃらず、人としてまっとうな方向を示されます。

作家の三島由紀夫さんと交流があったことは有名です。

美輪さんに「あなた売れるわよ」と言われた人は、タモリさん、ビートたけしさん、さんまさん、爆笑問題さんのように、必ず売れるというのは本当でしょうか。

ブログも書いていらっしゃらないし、トーク番組で自分のことを話されるのも見たことがないです。

それなのに、携帯の待ち受け画面を美輪明宏さんにすると幸福になれるといった都市伝説ができたり、誰かの舞台を美輪さんが見に行くと話題になったりするのは何故でしょう? 最近はCMでもよく見かけます。

美輪明宏さんにこんなに人気があり、長年活動していらしゃる理由を、知りたいと思いました。

ゴーン社長:必達目標をなくす

2008年05月17日 08時13分06秒 | 新聞
朝日新聞(5月15日)の経済面に「日産・ゴーン社長に聞く 必達目標「社員怖がる」」という記事が載っていました。

日産自動車のゴーン社長が、前日に発表した新たな5カ年計画では、「ゴーン革命」の象徴だった利益や販売台数のコミットメント(必達目標)を盛り込まなかったっことについて、朝日新聞のインタビューに応じたというものです。

短期の利益の必達目標を経営計画に盛り込み、達成を目指すのがゴーン流の経営スタイルだったが、なぜやめたのかという質問に対して、

「正直いって、05~07年度の経営計画『日産バリューアップ』が社員を怖がらせ、不安にさせていると思うようになった。社員だけでなく、役員も」と答えていらっしゃって驚きました。

勇気がある方だと思います。

「1年後の利益目標は公表するが、5年後の利益の必達目標をつくるのはやりすぎ。変動の激しい今の環境では危険だ。予想が困難なだけでなく、バッシング(批判)されるリスクを負うことになる。目標をどうやって達成しよう、と社員が不安に思ったら意味がない」

よく状況を把握されていると思います。

「台数の必達目標はもう設定しない。状況によって変わるし、無理な販売策を招くからだ」

これは、なかなか言えない言葉です。

自分が最大の売りにしていたものを、実際にやってみたら違ったということを、
 ①ちゃんと現実を調べ、現状を把握して、知り
 ②正直に、違っていた点を認めて
 ③これからの新たな方法を示す
というやり方で、生かしています。

多くの日本人は、ゴーン社長が述べている弊害を、感じていました。
欧米流のやり方の人は、自分流を変えないだろうと思っていました。
ちゃんと計画を達成しない現場がなっていないとおっしゃるだろうと想像していました。

それが、今回、うまくいかなかったことを認め、公にし、新たな計画を発表したのは、すばらしいことだと思います。

ゴーン社長が、外国でうまくやっていける秘訣なのかもしれません。

これからどう行動されるかも、続けて見ていきたいと思います。