ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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サザエさんとミトコンドリアDNA

2008年05月09日 07時05分32秒 | 新聞
昨日の朝日新聞の経済欄に、「遺伝子データベース 商用化へ」という記事が載っていました。

遺伝子のデータベースを商用化することで、患者個人に応じた「オーダーメイド医療」の普及を促すというものです。

遺伝子情報には、核DNAとミトコンドリアDNAがあります。

核DNAは、父親、母親の両方の遺伝情報が子供に伝わります。

ミトコンドリアDNAは母親からのみ伝わります。
これは、ミトコンドリアDNAは精子内では微量しかないうえに、核DNAを受精で届けた後は、しっぽが切られてしまうときにしっぽと共に消えてしまうからだそうです。

ミトコンドリアDNAについては、ブライアン・サイクス『イヴの七人の娘たち』ソニーマガジン、2001年に詳しく載っています。

母親のみということで、母系をたどって祖先が分かるのです。
この本は、ヨーロッパ人はもとをだどると7人の女性に行きつくという研究成果を報告したものです。

著者自身も、7人の中のタラの子孫であることが分かりました。

ミトコンドリアDNAは、核DNAに比べ、100倍も多く存在するため、研究材料を取り出すのが容易です。
著者が、スイスで1991年に発見されたアイスマンを研究したときも利用され、このアイスマンのDNAが、現代ヨーロッパ人を全く同じであったことが分かりました。

この「ミトコンドリアDNAと人類の進化」は、当時人類学が論争していた、人の起源はアフリカにあり、そこから広がったとする「出アフリカ」説と、各地域のホモ・エレクトスがそのまま進化したとする「多地域並行進化説」に、「出アフリカ」説が正しいとする結果を示します。

ミトコンドリアDNAを使うと、全人類が「ミトコンドリア・イヴ」と呼ばれる1人の女性にまでたどることができるのです。

「7人の娘」や「ミトコンドリア・イヴ」になるには、娘を2人以上持つことだけが条件です。

ということは、よく女系と言われる、女性ばかりが産まれやすい家系の女性は、自分のミトコンドリアDNAを子孫に伝える機会が多いと考えられます。

子供を持っても、男性ばかりだと、自分のミトコンドリアDNAはそこで途絶えてしまうからです。

女系といえば、サザエさんの作者の長谷川町子さんは女系でした。

ご自身も3人姉妹で、『サザエさん』の出版社が姉妹社なのも、姉妹で経営したからです。
『サザエさん』を描いているときも女ばかり7人で暮らしていました。
長谷川さんの母親、お姉さん、町子さん、妹、妹の2人の娘、お手伝いさんです。
飼っている犬3匹、猫2匹もメスだったそうです(『長谷川町子全集 別巻』朝日新聞社、1998年)。

アンビリーバボーな親孝行

2008年05月09日 06時24分28秒 | テレビ
昨日の「アンビリーバボー」(フジ、木曜、午後7:57-)は、中国で実際にあった母子旅の話でした。

74歳の男性が、99歳の母親をリヤカーに乗せ、自転車で引いて中国横断30000kmの旅をしたというものです。

男性の家族は5人家族で平和に暮らしていましたが、父親が国民党員であったため、第二次世界大戦後の共産党と国民党の内戦で1946年に父親が投獄され、母親は炭鉱で強制労働させられます。

その後、母親はアパートの部屋から一歩も出ない生活を10年も続けていました。他の土地で生活していたが、妻を亡くし、父親も亡くなったため、母親と暮らすようになった男性は、母親が生きている間に何かしてあけたいと思ったといいます。

母親にどこか行きたい所はあるかたずねたところ、「チベットに行きたい、仏様のいらっしゃる場所だから」という答えでした。

男性は、リヤカーを改造して屋根をつけ、それを自転車で引いて2000年5月1日に出発します。
食事は自炊、夜は母親はリヤカーの中で、男性は地面で毛布にくるまって寝たそうです。

200kmほど進んだところで74歳の体がいうことをきかなくなり、前へ進めなくなります。
中国では、100歳近くまで生きた人は珍しく、会いたいという人が出始め、そういう人が食事をふるまってくれたり、泊めてくれて、旅を続けることができました。

初めて海を見た泰皇島で、ニュースに取り上げられ、マスコミの取材を受けるようになります。
北京では、劇を見たり、店の料理を食べる機会も持てました。

2000年10月に石家庄の近くで母親が高熱を出し、病院に数日入院する事態になります。入院費は、医者のはからいで無料にされました。

上海で母親が100歳になり、杭州を通り、山がちな福建省に入ります。
このあたりから母親の体力が弱りはじめます。

中国最南端の海南島に到着したことで、出発の塔河は中国最北端に近くから出発した旅を終え、家に帰ることにしました。

5000km、900日の旅でした。

男性は、母親の死後、遺骨をリヤカーに積んで再びチベットをめざし、その灰をチベットのラサで撒き、目的を果たしています。

お風呂はどうしたのか
トイレはどうしたのか
所持金をまきあげられることはなかったのか
自炊の道具はどうしたのか
うどんを食べていて、体は大丈夫だったのか

いろいろ聞きたいことはありましたが、本当にあったアンビリーバボーな親孝行の話でした。