ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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みのもんた『義理と人情』幻冬舎新書

2008年05月23日 07時49分08秒 | 本、雑誌
みのもんた『義理と人情』幻冬舎新書を買いました。

みのもんたさんが、ギネスブックに「1週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」として記録が載ったときに、仕事や生き方、これまでのことを本にされたものです。

みのさんが、水道メーター会社「ニッコク」の社長もしていらっしゃることは、この本を読んで初めて知りました。
もともとお父さんの会社だったのを継がれたのですが、一時は、放送業界の仕事を全くしないで、この会社の営業の仕事だけしていた時期もあったと書かれていました。

みのさんは、東京で生まれ、お父さんが会社の社長ということもあり、裕福な生活をしていたのですが、伊勢湾台風で名古屋の工場が全壊してしまい、会社は倒産の危機となります。

それまで立教大学付属中学校に通って、大学までは当然行けるものと考えていたのに、大学進学も危ぶまれる経済状態になります。

みのさんは高校生からアルバイトをして家計の足しにするようになります。
おかげで大学進学でき、立教大学経済学部に入ります。

大学卒業後は、文化放送に就職し、ラジオ番組「セイ!ヤング」のディスクジョッキーを担当します。これが大ヒットし、25、6歳で有名人になります。

銀座や赤坂で遊ぶようになりますが、3年くらい経つと、人気にかげりが出、他の番組に回され、仕事が過酷になり、会社を辞めます。

父親の会社を手伝いながら、放送業界の仕事を探しますが、フジテレビの「プロ野球ニュース」の司会の仕事をもらうまで、10年かかりました。

野球放送は当時は雨になると全部中止で、代わりにアメリカ大リーグの中継を放送していたそうです。これにみのさんがアドリブでコメントをしていたところ、スタッフにうけて、「プロ野球珍プレー好プレー」につながります。

これを足掛かりにもっと仕事をと営業しますが、みのさんは、仕事とは本来選ばれるもので、自分から押し売りしたとことで、そういい仕事は来ないとおっしゃっています。

それを見ていた人から「芸能人野球大会」のナレーションと司会の仕事の依頼が来て、当日は雨で番組が流れたのに、ちゃんとギャラを支払ってくれたのは、その温情に感激したそうです。

みのさんは、惨めだと感じる時期は誰にでも訪れる。
それを「惨め」と思うと男が小さくなる。
惨めな状態が自然となくなり、好機が来るのをじっと待つ。
自分を惨めな気持ちにさせた人を激しく恨んだり、反撃をするよりは、「この人はこうするしかなかったんだな」と軽く受け止めて、流すことだと書かれています。

「放漫」になると、業界から消えてゆく
「惚れたもの」しか紹介しない
相手を立てていれば、そのうち自分に返ってくる
人の意見は素直に聞く
視聴率にとらわれなくなると、視聴率が上がる
など、長年芸能界にいた方の話には説得力があります。

最後に奥さまの話がありました。
奥さまは立教大学の後輩で、作ってくれたお弁当に胃袋をつかまえられ、3人の子供さんを育て、みのさんの服の管理をし、衣装がかぶらないよう、毎朝写真を撮り、銀座での遊びも大目に見てくれ、感謝していると書かれていました。

みのさんについては、仕事をたくさんして、銀座で遊ぶ方という印象がありました。
この本で、順風と逆風の両方の体験をされたのを知りました。
こんな方に、人生のアドバイスを話してもらう機会は普通ないですが、本を読むことで、多くのことを学ぶことができました。

また、奥さんもどんな方だろうと思っていました。こんなふうに参謀としてふるまえる方を尊敬します。

向田邦子さんのトマトサラダ

2008年05月23日 06時40分20秒 | 料理、食べ物
急な来客があり、家にある材料で数品作って、ビールやワインと共にお出ししました。材料がある日でよかったです。

向田邦子さんにヒントを得たトマトサラダも作りました。

作家の向田邦子さんの「ままや」で出していた料理に、焼きおにぎり、さつまいものレモン煮、人参のピリ煮、鮎の風干し等があり、トマトサラダもその一つです。

トマトを切ったものにシソの千切りを乗せ、サラダ菜を添たもので、「トマトの青じそ和風サラダ」とあります。

『向田邦子ふたたび』文春文庫ビジュアル版、1986年にその写真が載っています。トマトがサラダの主役というところが、当時新鮮に感じました。

その日は、よく熟れたトマトを食べよい大きさに切り、パセリのみじん切りを乗せ、フレンチドレッシング(塩、こしょう、りんご酢、オリーブオイル)をかけ、ハムの切ったものを添えてみました。

来客と言えば、料理研究家の栗原はるみさんは、もともと専業主婦をしていたときに、家に来客が多く、旦那さんの仕事関係者が来られたときに出す料理があまりにおいしいと評判になり、料理の仕事をしないかと声がかかったというのは有名な話です。