しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

漢口攻略戦・大別山を越える

2016年07月28日 | 父の話

談・2000.7.2

よお歩いた。
みな歩いた。
歩くばあじゃった。

漢口までは皆歩いて行った。

岡山、鳥取、部隊部隊は違う道を行った。


ワシらの部隊は漢口でのうて信陽が主じゃ。

信陽の時は犠牲がようけい出た。
二大隊は大隊長以下がやられた。
助けにいけなんだ。
八中隊は全滅してしもうた。

大別山は、向こうが攻撃してきた。
逃げもできん地形のとこで攻撃された。
生きとるもんはわずかじゃった。
戦闘能力もなんもねぇ。青白い顔をしておった。
全滅じゃった。
上から大砲で撃ってくる。
こっちは機関銃で撃つ。
鉄砲じゃない、砲で撃たれてふっ飛んだ。
(攻撃後)敵は引いてしもうた、
上におった日本人は逃げずに(にげれず)やられぱっぱなしじゃった。

戦争は作戦が主じゃ。
道は開けとる、逃げ道を開けとかないと(日本軍、支邦軍とも)犠牲が出る。

らんぶう(欄封か?)から信陽へ歩いた。
信陽が落城して、大別山を越して、漢口じゃ。

11月か?12月か?漢口に着いた。

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