しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

楠公父子--桜井の別れ--

2021年11月24日 | 銅像の人
場所・大阪府三島郡島本町桜井 桜井駅跡史跡公園

♪青葉茂れる桜井の・・・、で有名な桜井駅跡に行ってみた。
都市化が進んでいたが、この公園には700年前の雰囲気がほんの少し漂っていた。





「太平記」  新潮古典文学アルバム  新潮社  1999年発行
正成戦死

尊氏が都を落ちたのは、建武3年(1336)2月であった。
4月にはもう態勢を整え、京都をめざして東上の途についた。
足利軍が海・陸両路を攻め上ると、義貞がこれを防いだ。
しかし敗れて退き、兵庫から援軍を求めると、天皇は正成に兵庫へ下ることを命じた。
勝利の見込みのない戦いであった。
彼は死を選ぶしか道がないことを覚り、討死を決意する。

そこで兵庫に下る途中、桜井の駅で、息子正行に遺言した。

兵庫に下った正成は、5月25日、湊川の西に打って出、
総大将の義貞は和田御崎に陣を構えた。
足利軍は海陸呼応して攻めかかった。
正成は、弟正季と刺し違えて死んだが、
”七度生まれ変わって、朝敵を滅ぼしたい”と語り合ったという。






明治37年版『尋常小学校』~昭和16年版『初等科国語』に至る国定教科書の中で、
楠木正成は日本歴史上最大の忠臣であり、また英雄であった。
しかし、終戦とともに、彼は栄光の座から一挙にすべり落ちてしまった。
現在、小学校教科書の中に,楠木正成の名を見つけることはむずかしい。
戦争を機に、これほど評価の逆転した人物も少ないであろう。

「日本史探訪8」 角川文庫 昭和58年発行



撮影日時・2021年11月4日





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