しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

60年安保闘争

2014年12月05日 | 昭和31年~35年
現在も日米間の最重要条約である「日米安全保障条約」が昭和35年1月に調印されたが、条約反対闘争が起こった。
それが憲政史上最大で、国会議事堂を群衆が取り囲むという史上唯一の大騒動になった。
マスコミの報道では今にも国政、あるいは国体の転換や革命までも予想される報道ぶりだった。

その当時、
農耕と漁労の村だった平和な茂平に「安保」ニュースは他国の出来事に思えた。
日常会話に安保が出る事も無く、村の放送塔からば新人歌手・橋幸夫の「潮来笠」が流れていた。



(父の話・茂平)

安保は東京の出来事(東京だけの)で、田舎はまったく関係無い話であった。
学生と労組がくりひろげたが日本には関係無い話であった。



(義兄の話・大阪市・大学4年)

(大学の4年生は)就職があるので、・・・・。
自分は関心がなかった。

自治会の人はビラを配って、ものすごうやりょうた。

大学の中でも集会とか、そんなものはなかった。



(旧知のMさん・東京都・大学3年)

あの時は、そりゃあすごかった。
7~8割の学生が参加しようた。

デモで死んだ東大の女子の時、・・・・かんばさん言う。
あの時には頂点になっとった。

自分は興味がなかった。
ほんとに少数派じゃった。

デモに参加する人は、
「アメリカが占領している沖縄は還らんが、ソ連が占領している北のほうはすぐ還る。」ゆうてようた。

けど、実際はまったく逆になっとる。

本気で、信念で、参加しとった人もいた。
けど、
大部分7・8割がたはいかにゃあいけん、と、つられていきょうた。



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