しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「父の野戦日記」③宇品~塘沽~天津

2022年08月11日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)

洋上にて
海峡にそって、ああ船はすべり目的地へ、目的地へと玄海灘をすすむ。

若者の○○は、なにものぞ。 洋上にでて、水平線場で夕陽を拝む。さざなみのように実にうつくしい。

船は洋上の彼方へ彼方へと進んだ。


昭和13年5月10日(洋上にて)

タンクーへ上陸
海上無事、タンクーへと上陸だ。大陸第一歩の喚声やいかん。
我が先輩らが血を流して得た土地。
もくもくと点在する民家も倒れ、砲撃の激しさを語っている。
ところどころに残る砲弾の跡。だが支那の人家は皆、土の壁だ。
もぐらか,蟻のありかのようだ。
支那保安隊の警察団のものものしい警備。

一路天津に向かう
タンクーより汽車に乗り、一路天津に向かう。
車窓に映る大陸の景。広漠たる平野だ。
まったくぞくぞくする水平線の各戦跡の車窓。
我等は元気で天津に着いた。

天津
天津は平穏だ。この土地が敵国の土地か。 多くの兵士でいっぱいだ。
 各機関は思うように運転している。
 支那特有のチャーチャンが多く、シャーシャンを見る。 (←チャーチャンまたはショーシャンは不明・未確認)
午後7時天津を出発済南に向かう。


昭和13年5月12日

 

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「近代日本戦争史・3」 奥村房夫 紀伊国屋書店 平成7年発行

徐州会戦の経過

徐州作戦の実施が決まると、北支方面軍は第二軍に、
第百十四師団と第十六師団を配属し第二軍の戦力を強化した。
第十師団の攻撃は当初順調に進展し、四月末まで台児庄東方10キロまで進んだ。
だがその後中国軍の抵抗は激しく、師団は苦戦した。
第五師団も中国軍の反撃を受けて、五月にはいっても両師団の苦戦はつづき、
状況は楽観を許さなかった。

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