場所・東京都千代田区神田駿河台
初めて、近くでニコライ堂を見た。
高層ビルに挟まれ、更にも高層ビルが建築中の神田駿河台のニコライ堂だった。
「日本近代建築大全・東日本篇」 米山勇 講談社 2010年発行
日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(ニコライ堂)
わが国では珍しいビザンチン洋式の教会堂。
ニコライは文久元年(1861)にロシアから来日。
最初は函館、明治5年に東京に居を移す。
駿河台を布教の拠点と定め、大聖堂を建設することにした。
明治24年に完成。
ところが、関東大震災で大きな被害を受けた。
昭和4年に復旧工事を完了したのが、おおむね現在のニコライ堂の姿である。
「大江戸発見散歩」 松本こーせい アーク出版 2002年発行
ニコライ堂
聖橋の向うにニコライ堂のドームが姿をのぞかせている。
聖橋は、
関東大震災復興事業の一環として昭和2年に架けられた。
聖堂とニコライ堂の二つの聖堂を結ぶことから聖橋と命名された。
ニコライ堂のある駿河台は、本郷台地の南端部だ。
御茶の水のランドマークだったが、周りをビルに囲まれてすっかり目立たなくなった。
御茶の水は、
将軍家御用の水になったために、その地名がついた。
神田川は、
空堀だったが、神田上水の余水をこの谷に流して、東京湾から舟を入れる工事を伊達綱宗に命じて神田川が誕生した。
訪問日・2022年7月10日
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