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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

北川村合併騒動②小田町の事情

2015年11月24日 | 昭和31年~35年
北川村の騒動は小田町と共同歩調をとることの問題でもあった。
小田町が7年遅れて矢掛町へ合併したいきさつは、載っていない。


以下、
「矢掛町史」より転記する。

小田後月地方事務所の指導により北部の矢掛・美川・小田・川面・中川・山田・北川の8ヶ町村の合併構造をもとに最初の協議会が開催されたのは昭和28年9月1日であった。
次いで9月9日小田町が欠席した7ヶ町村で協議会をおこない昭和29年度初めに合併の目標で意見が一致した。
その後、小田・北川から独自の構想があるから賛成できない旨通知があり、6ヶ町村で合併することになった。
以来5回にわたり交渉委員会が開かれ29年5月1日をもって合併する運びとなった。
阿部山は地区全員が希望して鴨方町に編入した。
小田町は36年1月15日新矢掛町に編入合併し現在の矢掛町が誕生したのである。


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