しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

旅立ちの法然さま (三原市)

2021年05月19日 | 銅像の人
場所・広島県三原市西町 大善寺


三原市街地の東西に「旅立ちの法然さま」が二体ある。



(大善寺)



法然

法然(1133~1212)は1145年比叡山に登り、皇円に師事した。時に13歳である。
父は美作の国久米南条の稲岡荘の押領使の職にあったが、法然9歳の時攻撃されて死んだ。
父は法然に、復讐をくれぐれも断念するよう遺言して絶命した。
母も殺害されたか自害した。
幼くして法然は悲惨な孤児の世界に投げ出された。

保元元年(1177)43歳の時、東山大谷に住み、
南無阿弥陀仏を唱える称名念仏の主張を決定化し、念仏流行をもたらせた。
彼によれば、比叡山で教えているような高遠な教義や困難な修行では、一日を生きることの精一杯な大衆はとても救われない、
この大衆とともに生き、大衆の心に希望の灯火を点ずるためには、口に念仏を唱え、ただ阿弥陀如来を信ずるだけでよい、
という一向専修の念仏がなによりも必要である、と考えた。


「鎌倉仏教」  戸頃重基 中公新書  昭和42年発行





(大善寺)









場所・広島県三原市東町  極楽寺



(極楽寺)




撮影日・2013年12月7日




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