場所・長崎県平戸市 幸橋(オランダ橋)
幸橋(オランダ橋)
その昔、城と城下町との往来は船であった。
1669年(寛文9)第29代鎮信が、そこに木橋を架け幸橋と呼ばれた。
1702年(元禄15)、これを石橋に改架した。
これを別名「オランダ橋」という。
(ほっこり Hirado)
平戸の平戸城は、観光平戸の代表する建物だが、
その平戸城と城下に架かる橋は、平戸を代表する文化財。
重厚感たっぷりに、今も現役の橋として利用されている。
その橋の近くの手すりに外人像が乗っかている、
橋の名称にちなんでオランダ人をイメージしているのだろう。(たぶん)
(松浦史料博物館)
天文19年(1550年)のポルトガル船の来港を皮切りに、平戸領主・松浦隆信(まつらたかのぶ)はこれを歓迎し、ポルトガルとの南蛮貿易を積極的に推進。
鉄砲や大砲、火薬、生糸、絹織物、香料、薬品を輸入し、銀や刀剣、漆器などを輸出したのです。
同時に、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルは、鹿児島での布教を断られたことから、平戸に来訪、松浦隆信から布教活動を許されたこともあり、
永禄5年(1562年)大村純忠が横瀬浦を開港するまで、ポルトガル船は毎年平戸に来航するようになったのです。
スペイン、オランダ、イギリスとも交易し、日本で最初の西欧貿易港として発展した。
撮影日・2012年5月11日
幸橋(オランダ橋)
その昔、城と城下町との往来は船であった。
1669年(寛文9)第29代鎮信が、そこに木橋を架け幸橋と呼ばれた。
1702年(元禄15)、これを石橋に改架した。
これを別名「オランダ橋」という。
(ほっこり Hirado)
平戸の平戸城は、観光平戸の代表する建物だが、
その平戸城と城下に架かる橋は、平戸を代表する文化財。
重厚感たっぷりに、今も現役の橋として利用されている。
その橋の近くの手すりに外人像が乗っかている、
橋の名称にちなんでオランダ人をイメージしているのだろう。(たぶん)
(松浦史料博物館)
天文19年(1550年)のポルトガル船の来港を皮切りに、平戸領主・松浦隆信(まつらたかのぶ)はこれを歓迎し、ポルトガルとの南蛮貿易を積極的に推進。
鉄砲や大砲、火薬、生糸、絹織物、香料、薬品を輸入し、銀や刀剣、漆器などを輸出したのです。
同時に、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルは、鹿児島での布教を断られたことから、平戸に来訪、松浦隆信から布教活動を許されたこともあり、
永禄5年(1562年)大村純忠が横瀬浦を開港するまで、ポルトガル船は毎年平戸に来航するようになったのです。
スペイン、オランダ、イギリスとも交易し、日本で最初の西欧貿易港として発展した。
撮影日・2012年5月11日
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