しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

真備町「岡田更生館事件」その1・・・TV「アンビリバボー」から

2020年09月04日 | 昭和21年~25年
フジテレビ・「アンビリバボー」
放送日・2020年9月3日 20:00~21:00


真備町といえば、「2018西日本豪雨」で全国に被災報道がされた。

その、真備町岡田といえば
横溝正史の疎開先で知られ、地区には「金田一耕助」の看板や標識があふれている。


終戦後、町に浮浪者があふれていたころ吉備郡真備町岡田に厚生施設ができた。




それが「岡田更生館」。



管理人の妻は、学校卒業後、真備町岡田に毎日通勤していた。
その妻に「岡田更生館」のことを聞いても、まったく知らなかった。
管理人も、知らなかった。



(一定の年齢以上の人なら)
誰でも知っている、毎日新聞”大森実記者”。






大森記者が更生館を取材した。





そこには、
監禁・虐待・暴行・傷害・殺人・搾取横領、
栄養失調・感染症が充満していた。





大森記者の記事が毎日新聞に載ると、国会に取りあげられた。




岡田更生館はモデルともいわれた施設。
県の指導下にあり補助金もあり、当然県の監督責任も大きかった。





70余名が死んだこの事件は、
結局、更生館の館長等が裁判で、執行猶予付きの判決を受けて終了した。






時代背景があり、関係者の事情や言い分は、現在の人には理解できにくい面があると思う。


しかし、
「実際に在ったこと」は史実として書き残さないと、無かったことになってしまう。
その面からも、今回の放送は意義あると評価したい。


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1 コメント

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岡田更生館 (killy)
2020-09-04 19:59:30
この事件を知ったのは、昭和47年頃に会社の図書室で読んだ大森実ベトナム回顧録という本の中に載っていたからです。
岡田地区の方々に聞いても「あれは済んだこと」と詳しく説明していただけませんでした。
その後、真備町で店を出店し20数年前に行った理容店の老婦人から話を聞きました。そのため1年間散髪に通いました。
真備町史編集委員長が、岡田更生館について抹消したそうです。こういう隠し方をすると、昨日まで水害で気の毒と思われていた町民が、いきなり世間から白眼視されます。
おにぎりを差し出して「行くな、殺される」と言った家は大きな農家です。
それでも昭和最後の年に、地元有志が慰霊碑「命尊碑」を建立されたのには、頭がさがります。当時のメンバーで存命なのは住職一人、他の方々は鬼籍に入られました。
特筆すべきは、メンバーの中に、元教員の方がおられ、この人が横溝正史の疎開先に野菜を届けた人です。そして赴任先の風習や伝説を横溝正史に話し、小説の参考になったかもしれません。
横溝正史は、岡田更生館と目と鼻の先に住んでいましたが、この事件については書いていません。
西日本豪雨災害時「横溝正史疎開先宅を避難場所に貸してくれ」と倉敷市に連絡したが、断られたそうです。
後日、災害検証では倉敷市の対応が悪かったと非難が多く出て、倉敷市長は「検証打ち切り」を発表しました。自身の選挙も控えていましたから。

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