しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

てんやわんや  (愛媛県宇和島市岩松)

2024年04月21日 | 旅と文学

獅子文六の小説「てんやわんや」を読んでいたら、物語のモデルと言われる岩松町に行きたくなった。
小説では、宇和島から岩松までバスで約2時間。
現代では、40~50分もあれば行けるだろうと、思っていたが・・・ナント!
20分もかからなかった。
高速道路がトンネルを抜けると、すぐに岩松に着いた。これにはびっくりした。

岩松の街は、岩松川沿いに静かにたたずむ南予の落ちついた町並みだった。
昨年(令和5年12月15日)、
岩松は”重伝建”に指定されたそうだ。おめでたいことだ。

・・・

旅の場所・愛媛県宇和島市津島町岩松
旅の日・2009.10.11
書名・「てんやわんや」
著者・獅子文六
発行・新潮文庫 昭和26年

・・・

 

 

 

私は決心した。
東京は危険な都会というべきである。
薄暮、焼跡の場所で、突然真に突然、女から求婚されて、自若たる男性があったら、それは野蛮人であろう。
食と住居からの恐怖、ピストルからの恐怖、戦犯からの恐怖、女性の暴力化からの恐怖――
この四つの恐怖を、私は三日間のうちに経験して、もう躊躇する何物もなくなった。 
私は、断然東京を逃げる。 
日本の中心部から、脱出する。
行き先は万一ということを考えて、四国にきめた。 

案外、早く、高松桟橋着。
ここも罹災してるが、そんな風景に眼を留める暇もなく、予讃線の列車に飛び込む。
何時に出て、何時に着くのか、
サッパリ知らない。
が、ことごとく瓦葺きであることと、畑や道の土が真っ黄色であることを、珍しく思った。
丸亀 多度津
あとは松山まで、名も知らぬ駅ばかり。

宇和島に着いた。
まさか、 この四国の果ての町まで、 戦禍が及んでいようとは、夢にも思わなかった。
南国である。
熟睡したのと、残りの握飯三個を一時に食べたのとで、私の気分は、いささか回復した。 
留置場のような混雑の宿屋を出ると、私の心は、いよいよ晴れた。
碑が立っていて、大津事件の児島惟謙宅址 云々の文字が読まれた。
あの人がここの出身とは、知らなかった。

鬼塚先生は、よく宇和島の自慢をしたが、暢気な城下町と思われた。
バスの発着所は、天守の残ってる城山の下だったが、武家屋敷らしい土塀を残して、あたりは焼野原だった。
「相生町まで、バスで、どのくらいですか」
二十人ほどの行列に尾してから私は、前の商人体の男にきいた。
「一時間五十分から二時間と見ときなはれや」


やがて、バスは広い石河原の河端を過ぎ、橋を渡り、町に走り入った。
車体が軒に触れそうな、幅の狭い町で、どの家も煤けたように、古びていた。
「ここは、なんという町ですか」
「相生町でっせ」
海岸であるはずの相生町が、この山中の盆地にあるとは、信じられぬことだが、バスは町なかの運送店風な発着所前に止った。
軒の大看板に、まさしく、相生町駅と書いてある。

通行人に、玉松本家への道をきくと、簡単に、腕を伸ばして、指さしてくれた。
それは、半町とない、一筋町の、すぐ右側である。
舗装も、歩道もない往来を、私は歩きだした。 
家々の軒は低く、上方風に紅殻を塗っ店や、中国地方に見るようなレンジ窓の家が多かった。
小さな銀行支店や、歯科医院 や、二階建の駐在所などは、古びた洋館だった。

やがて、右側に、同じ低い軒下に、塗料の剥げた格子窓が連々と続く家があった。
そして、田舎の小酒造家程度の、貧しい入口があった。真黒い標札は、辛うじて玉松と読めるが、果して相生長者の家なのであろ

 

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高瀬舟  (京都市知恩院)

2024年04月21日 | 旅と文学

いつのころであったか。
たぶん江戸で白河楽翁侯が政柄を執っていた寛政のころででもあっただろう。
智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。

それは名を喜助と言って、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。
もとより牢屋敷に呼び出されるような親類はないので、舟にもただ一人ひとりで乗った。

 

有名な森鴎外の、有名な「高瀬舟」の、有名な名文・美文のところ。

 

 

特に、”智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに”、の文章が好きで。(誰でもそうだろうが)

いつのころであったか。
たぶん江戸で白河楽翁侯が政柄を執っていた寛政のころででもあっただろう。
智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。

 

桜の季節になると、この文章を思い出し
知恩院の桜
入相の鐘
それに

「入相の鐘に散る」
松平定信でなく「白河楽翁という表現に
うっとりとさせられる。

 

 


「日本現代文學全集」森鴎外集 講談社  昭和37年発行
旅行日・2009.4.7

 

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