しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

桜渓塾跡の桜

2024年04月08日 | 【史跡】を訪ねる

場所・岡山県井原市芳井町簗瀬「桜渓塾跡公園」
訪問日・2024年4月7日


嘉永6年(1853年)に創立された、「興譲館」は、現在
全国屈指の歴史を誇る高校であり、女子マラソンの強豪としても知られている。
初代館長となった漢学者の阪谷朗廬は、それ以前、ここ”桜渓塾”で塾長を行っていた、

 

 

桜渓塾(おうけいじゅく)

嘉永4年(1851)、阪谷朗廬が伯父山鳴大年、岳父山成直蔵の協力によって簗瀬の桜谷に漢学塾(桜渓塾)を開き、
青少年の人材育成のため大いに尽くしました。
桜渓塾の朗廬を訪ねて全国各地から漢学者や漢詩仲間がやって来て賑わいました。

嘉永6年(1853)、一橋領代官所江原役所は郷校を設立して朗廬に教授を依頼しました。
朗廬は、これに応じ郷校興譲館へ居を移しました。
その後、15年間興譲館で子弟育成に当たり多くの人材を世に出しました。
大正2年(1913)、桜渓遺跡保存会によって記念碑建立、草廬補修、園庭植樹が行われ、
以後桜渓塾は興譲館館祖が初めて塾を開いた記念の地として保存されています。

井原市指定重要文化財
指定年月 平成17年3月
井原市教育委員会

 

 

 

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スネコスリの井領堂

2024年04月08日 | 【史跡】を訪ねる

場所・岡山県井原市七日市町
訪問日・2024年4月7日

 

岡山県を代表する桜の名所のひとつ、「井原堤」(いばらづつみ)。
その井原堤から西へ進むと井領堂がある。

 

(井原堤)

 

江戸時代にはこの辺り、「スネコスリ」というお化けが出て
街道を通行する旅人を困らせそうだ。

 

 

 

「ふるさと探訪 出部の史跡」 いずえ地区まちおこし協議会 平成30年発行

いろんどう
井領堂(大師堂)


井領堂は、旧山陽道沿いの七日市町西の字井領 (現アクティブライフ井原東側)に建てられた辻堂で、 
写真右側に「南無阿弥陀佛」と彫られた名号碑に「宝暦十一年(1761) 己 天三月吉祥日 施主 藤代幸左衛門」
と刻されており、江戸時代の中頃には建立されていたことがわかる。
当時の井領堂は田の脇の寂しい所で、夜には「スネコスリ」という犬の形をした化け物が出て、
通行人のすねをこすると、とたんに通行人は歩けなくなったという、言い伝えが残されている。
岸加四郎氏 (井原の辻堂著者)によると、江戸時代 の辻堂は信仰の場というより旅人の休憩所であり、
地区民の集会所の意味合いが強かった。 
小さな石仏は旅の安全祈願のため地元民がお堂のそばに祀っていた。 
しかし明治以降、交通の発達に伴い辻堂は休憩所の機能を失い、
代わって堂内に仏像を祀る信仰の場に転化していったという。
現在の井領堂は、大正6(1917)年3月に齋藤金太郎氏により再建された。

 

(井領堂)

 

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