しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

石工(いしく・せっこう)

2018年07月08日 | 暮らし
子供の頃、山を開墾して段々畑を作っていた。開墾で出た小石を積み上げて石垣にしていた。



「庄原の歴史 通史編」より転記する。

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石工

石工にはおよそ三通りの種別があり「石採(いしとり)工)と「石彫(いしほり)工」と「石積(いしつみ)工」である。

ここでは「石彫工」を中心に記述してみる。
和泉国の石工が遠路庄原に来て、この地方の人が技術を覚えたのは幕末近くなってからであろう。
江戸時代になると庄原各地で墓石が普及し、万治・元禄時代から豊かな商家や豪農が建立した大きな墓が増え始めた。しかし、立派な石造品が完成し依頼した施主の銘が刻まれても、製作者の銘は彫られていない。
したがって石工名が長い間不明であったのは当然である。
和泉の国は自然田村の出稼ぎ状況を18世紀の「宗旨改帳」によると、中国、江戸、九州へも記載あり、広く活躍していたことがうかがわれる。
庄原市には多くの石造品があるが、これらは素人にできることではなく、和泉石工の作品と思われる、銘文が記録に残っているものもある。
石の鳥居は荒切りした船に積み上げ、陸揚げし、山道を運搬する。
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