しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

城見村の皇紀2600年の記念行事

2016年12月24日 | 昭和11年~15年
日本の史上最大の祝賀イベントであった、と言える「皇紀2600年の祝い」。

では、岡山県小田郡城見村ではどのような祝賀行事が行われたか?
といえばこれがはっきりとわからない。

父の話(当時・東京陸軍病院に入院中の傷痍軍人)・・・お金持ちの家に招かれ御馳走を食べた。町中を花電車が走っていた。
母の話(当時・後月郡西江原町技芸学校生徒)・・・「金鵄輝く日本の榮ある光身にうけて・・・紀元は二千六百年 あゝ 一億の胸はなる」♪と歌いながら行列した。
おばの話(父の妹・当時城見村茂平・家事)・・・祝ようることは知っていたけど、これという記憶はない。
おじの話(父の弟・当時城見村茂平・笠岡商業生)・・・笠岡の港に軍船が来て、生徒全員で迎えに行った。城見村の行事は記憶がない。

今日、茂平八幡神社に行った際
拝殿の絵馬の「聖地参拝」を見ながら思った。茂平の神社であるが城見村の参拝者名が記載されている。

たぶん昭和15年の「皇紀2600年」の城見村の催しは三つ、
一つ・村民による“聖地参拝”、それの補助金。およそ60名が参加、聖地とは伊勢神宮。
一つ・「郷土将兵慰問写真帳」の発行。
一つ・城見小学校へ奉安殿の建設

貧しい城見村の財政では、これで精いっぱいだったと思える。


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