「笠岡市談・全23巻」(昭和43年~平成2年)の「嵐の中たつ僕の村長時代」を転記する。
(6)
かくて村内は、議会リコール派と村長リコール派の対立、矢掛・笠岡合併の対立・混乱のドロ仕合と報道陣注目の的となった。
この時笠岡市の平本・安藤両市議によるあっせん妥協案が出された。
昭和33年9月15日、笠岡市高砂会館で「北川村長が退職すれば笠岡合併は確約できるか」念を押した。矢掛派6人は沈黙、3日間の考慮を約して散会、その後「村長が辞めても笠岡合併は賛同できない」と、かくて高砂会談は流産した。
その考慮期間中、矢掛派は「矢掛合併強硬議決」を申し合わせ、10月22日可決した。
僕は議員、リコール代表ら7人で天野県議案内で県庁を訪れ地方課長に「本日の村議会議決はリコール等村内情勢上、当分の間保留するので了承願いたい」旨申しいれた。地方課長は「妥当性に欠ける面も見受けられるが、合併保留についての承認はできない」と語った。
翌23日、矢掛町は緊急町議会を開き「昭和34年2月1日、北川村を編入合併する」満場一致で議決した。
この日、小田町は「北川村と同時に矢掛合併」を決議した。
矢掛派議員は小田・矢掛の町長・議長と出県、地方課長と質疑応答後声明を出した。「北川村の決議は適法である。村長は執行すべきである」。
これに対し笠岡合併同盟会は“北川村議員に問う”と題する長文を各戸に配った。
「議員諸君!すみやかに矢掛合併の取り消しを行え 然らずんば自ら総辞職されよ。敢えてリコールの結果を待たれる議員諸氏ではなかろう」と。
(7)
昭和33年10月29日、村選管は代筆署名の事実調査の結果、議会リコール署名簿は有効と再確認した。矢掛派はなお不服として弁護士を代理人にして岡山地裁に提起した。
「村議会解散を問う住民投票を12月21日行う」と告示した。
これを見た矢掛派は岡山地裁に議会解散賛否の投票一時停止を申請した。地裁は判定が済むまで投票停止すると返答した。
矢掛町は「矢掛町合併は必至・・」の新聞折り込みビラで村内矢掛派を援護射撃した。
僕は議員や同盟会長と14人で県会議長に「県議会で議決は保留してほしい」旨の請願書を天野・伊藤両県議の紹介で提出した。
リコール執行停止の仮処分にショックを受けた笠岡合併派は矢掛合併派のリコール運動を起こすことを決めた。12月19日、N氏宅を本部とし昼夜兼行の署名運動は29日、村選管に提出された。
こうなっては矢掛派もじっとしておられない。30日、「村内を乱した」と村長リコール運動にとりかかった。
(8)
昭和34年1月14日、矢掛派が村長の暴行2件を告発した。
村会議長ら矢掛派8人は「村議8人の解職署名簿は代筆・強要等があるから無効である」とまたまた異議を申し立てた。2月4日却下された。
村長解職運動は904人の署名を集めた。
1月31日、岡山地裁は先に執行を一時停止していたが有効であることを確認した。
1月31日、選管は村議会解散の住民投票を昭和34年2月20日とする告示をした。
2月20日、投票結果、村議会解散を決定した。
(6)
かくて村内は、議会リコール派と村長リコール派の対立、矢掛・笠岡合併の対立・混乱のドロ仕合と報道陣注目の的となった。
この時笠岡市の平本・安藤両市議によるあっせん妥協案が出された。
昭和33年9月15日、笠岡市高砂会館で「北川村長が退職すれば笠岡合併は確約できるか」念を押した。矢掛派6人は沈黙、3日間の考慮を約して散会、その後「村長が辞めても笠岡合併は賛同できない」と、かくて高砂会談は流産した。
その考慮期間中、矢掛派は「矢掛合併強硬議決」を申し合わせ、10月22日可決した。
僕は議員、リコール代表ら7人で天野県議案内で県庁を訪れ地方課長に「本日の村議会議決はリコール等村内情勢上、当分の間保留するので了承願いたい」旨申しいれた。地方課長は「妥当性に欠ける面も見受けられるが、合併保留についての承認はできない」と語った。
翌23日、矢掛町は緊急町議会を開き「昭和34年2月1日、北川村を編入合併する」満場一致で議決した。
この日、小田町は「北川村と同時に矢掛合併」を決議した。
矢掛派議員は小田・矢掛の町長・議長と出県、地方課長と質疑応答後声明を出した。「北川村の決議は適法である。村長は執行すべきである」。
これに対し笠岡合併同盟会は“北川村議員に問う”と題する長文を各戸に配った。
「議員諸君!すみやかに矢掛合併の取り消しを行え 然らずんば自ら総辞職されよ。敢えてリコールの結果を待たれる議員諸氏ではなかろう」と。
(7)
昭和33年10月29日、村選管は代筆署名の事実調査の結果、議会リコール署名簿は有効と再確認した。矢掛派はなお不服として弁護士を代理人にして岡山地裁に提起した。
「村議会解散を問う住民投票を12月21日行う」と告示した。
これを見た矢掛派は岡山地裁に議会解散賛否の投票一時停止を申請した。地裁は判定が済むまで投票停止すると返答した。
矢掛町は「矢掛町合併は必至・・」の新聞折り込みビラで村内矢掛派を援護射撃した。
僕は議員や同盟会長と14人で県会議長に「県議会で議決は保留してほしい」旨の請願書を天野・伊藤両県議の紹介で提出した。
リコール執行停止の仮処分にショックを受けた笠岡合併派は矢掛合併派のリコール運動を起こすことを決めた。12月19日、N氏宅を本部とし昼夜兼行の署名運動は29日、村選管に提出された。
こうなっては矢掛派もじっとしておられない。30日、「村内を乱した」と村長リコール運動にとりかかった。
(8)
昭和34年1月14日、矢掛派が村長の暴行2件を告発した。
村会議長ら矢掛派8人は「村議8人の解職署名簿は代筆・強要等があるから無効である」とまたまた異議を申し立てた。2月4日却下された。
村長解職運動は904人の署名を集めた。
1月31日、岡山地裁は先に執行を一時停止していたが有効であることを確認した。
1月31日、選管は村議会解散の住民投票を昭和34年2月20日とする告示をした。
2月20日、投票結果、村議会解散を決定した。