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天王寺商店街の景色です!

2016年04月08日 | たばこの気持ち
▼一昨日は仕事帰りに、相鉄線の天王寺駅で途中下車しました。洪福寺松原商店街のアーケード入り口です。
▼アド街で放送したから、すごい混雑を予想してたんだけれど、お惣菜屋さんがおしなべてお休み、ちょっと残念でしたが、2000円ほどお買い得品を買って帰りました。
▼商店街には、きちんとスタンド灰皿が設置されていました。
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詩吟界の超「少子高齢化」について

2016年04月08日 | O60→70(オーバー70歳)
▼3月26日の東京都港区詩吟コンクールの参加者は、少年の部1名、一般一部(~55歳)1名、一般二部(56~69歳)35名、一般三部90名、合計128名でした。当日の体調不良等により、欠席者が8名いました。
▼タイム(2分以内、オーバーすると失格)と録音(再生、吟詠確認し誤読なら失格)を担当し、タイムオーバー2名、誤読確認1名、絶句・誤読・出だしの失敗などで10名が失格となりました。杖をついた吟者が2名いましたが、3年前には吟詠中に入れ歯が飛び出し、うまい具合にすぐ入れ直して続けた好々爺もおりました。
▼詩吟は心身の健康維持、増進に効果的ですが、5年先、10年先を考えると先細りは明らかです。運営を担うメンバーが歳を重ね、各種イベント開催が目一杯の状況になってきました。詩吟の楽しみ方について、いろいろと考えさせられた一日でした。
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抜き書き帳『金子光晴』その1(ちくま日本文学)

2016年04月08日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
▼抜き書き帳『金子光晴』(ちくま日本文学)を読み終えました。文章が濃密で、すらすらとはいきませんでした。とくに詩や紀行文は、折り重なる修飾語が読む者のイメージをかき立てます。
▼幼い頃より漢籍に親しみ、絵画の腕前もたしかな「詩人」といえばそれまででしょうが、こんな真似はできないとお手上げになるほど、圧倒的な表現力で、試しに音読してみたら、その心地よさに感動を覚えました。
▼たばこが登場するシーンおよび私が「いいね!」と感じた文章について、コメントを含め連載投稿しますので、これまで同様お付き合い下されば幸いです。
▼まずは、詩の抜き書きから始めましょう。

《二十五歳》(大正12年7月)
【15ページ】
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二十五歳の色色の小島は煙ってゐる。
二十五歳の行楽は、寛やかな紫煙草の輪に環かれてゐる。
二十五歳の懶惰(らんだ)は金色に眠って--------。
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《鮫》(昭和12年8月)
【34ページ】
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鮫。
あいつは刃だ。
刃の危なさだ。研ぎたてなのだ。
刃のぎらぎらしたこまかい苛立ちだ。
鮫。
あいつは心臓がなくて、この世のなかを横行してゐる。無残な奴だ。
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【46ページ】
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ゴムは腐って、ボロボロにくづれ、タールになって流れる。
人は、それを喰いもならず、阿片代りに煙管(カユ)につめて、吸うわけにもゆかぬ。
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[Ken] 金子光晴さんの詩に触れて、動植物への目線というか、対象に迫る感覚の豊饒さと読む者の心象を解き放つ力があると思いました。
《二十五歳》の「紫煙草」というのは、たばこの銘柄や種類ではなく、たばこの煙が漂っている様子でしょう。
《鮫》の一部を引用しましたが、言葉の飛躍や選択が驚きに満ちています。それから「煙管」って、たばこだけではなく阿片の吸引にも使われていたのですね。(つづく)
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