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火を操ることや煙に慣れること…

2007年12月15日 | たばこ弁護の諸説紹介
◎ 週間ポストの11月17日号に、岐阜大学医学部・高岡健助教授の見解「WHOが封印した7年間の研究成果/受動喫煙は子供の発がん率を低下させる!」という記事が掲載されました。これを読んだ瞬間、私の脳裏に浮かんだ想いは、「つまり、高3の息子は生まれたときから受動喫煙者であり、幼児期にはたばこを食べ、病院で吸引したこともあるので、発ガン率は相当に低いなー、きっと」であった。

◎ 私自身の53年を振り返ってみても、生まれたときから葉たばこ農家であったし、父はチェーンスモーカー、祖母も喫煙しており、三食のたびに煙立つ囲炉裏に集まってもいたから、たばこはもちろん、煙そのものが日常生活に欠かせないものだった。35年前(1970年代初頭)、18歳で上京した当時の東京は凄まじいほどのスモッグ街であり、近郊の埼玉、千葉、神奈川でも多数の煙突から、煙がモクモクと噴き出し、河川は軒並み汚れ悪臭を放っていた。

◎ 国民階保険制度が、やっとスタートしたばかりに幼少期を過ごしたこともあって、少々の病気ではお金がなかったので、病院で診療を受けるという発想自体がなく、よっぽどの外傷や盲腸でもない限り、子どものうちは病院などには行かせてもらえなかったのである。あんな環境の中で、18歳からの若い時代を生きてきたからこそ、体内の免疫力が活性化し、風邪になりにくく、胃腸なども丈夫なのだと考えられる。

◎ それが、今はどうだ。大人も子どもも無菌・無病社会に邁進(まいしん)するかのように、健康増進や嫌煙というコントロールされた「温室」を望み、それを正義とする風潮が強くなっているのではないか。そもそも人類が、これまで生き残ってこられたのは、他の哺乳類と異なり、火を操ることによって、様々な環境変化にも対応できたことが大きな要因だったし、煙は通信手段として機能はもちろん、お線香のように現在でも葬儀に使用され、古代より各種の神事・仏事には欠かせないものだった。したがって、スモッグなどの公害が改善をみているわけだから、「火を操り煙に慣れる」という感覚を維持していくためにも、たばこの煙ぐらいには寛容であって欲しいのである。(2006 11/16)
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