哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『プラトンの呪縛』(講談社学術文庫)

2010-10-16 02:11:11 | 哲学
 立花隆氏が「社会改造思想の間違いの源泉」としたプラトンの『国家』の“解毒剤”として紹介している本なので、読んでみた。前半では、プラトンがいかにナチスの思想に取り入れられたかという背景を綿密に追っている。印象深いのは、当時のドイツにおける知識人の貴族主義であり、大衆を隷属させて当然と思う知識層があったことだ。ナチスや共産主義が台頭する20世紀初頭の政治の混迷状態が、正当性の権威付けのためにプラトンを持ち出したようだ。

 そして後半では、前半で取り上げた考え方の批判をいろいろと取り上げる。ナチスに取り入れられやすいがゆえ、やはりプラトンは批判の対象である、題名になった章がある著作のポパーも、プラトンに対する批判者として取り上げられる。しかし、最後まで読んでみると、著者の考えはプラトンに好意的であり、安心した。結局著者は、プラトンの考え方を、現代の自由主義・民主主義に対する警告として取り上げているのだ。

 最終章の「警告者としてのプラトン」から少し抜粋してみよう。


「「好きなように生きる」ということ自体、改めて基礎づけられる必要のない究極の価値であるという立場が権利を徳に優先させ、「平等な承認」を要求する結果になるとすれば、プラトンはそれに対して改めて根拠づけを要求することであろう。・・自由主義や民主制に対して「何のためか」という問題を突きつけ、それらが自らの限界を自覚し、明確に定式化することを求める。プラトンにおいてはすべてを可能にし、すべてに根拠づけを与えるのは「善のイデア」であったが、正に、「何のために」ということを執拗に問いかける点に警告者プラトンの真骨頂がある。」



 この著書は、解毒剤というよりも、共産主義崩壊後、かえって混迷している自由主義と民主主義を掲げる政治体制に対する、一服の清涼剤というべきだろう。但し、決して混迷から簡単には抜け出せないことを自覚させる重い薬でもある。