哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

脳は何でも知っている(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2005-11-19 22:50:20 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「脳は何でも知っている」という題でした。主なところを少し抜粋します。

 「私は、主語を「脳」として語られる言説のほとんどを信用していない。「私は脳」もしくは「私の脳」と人の言う、それは当の科学によれば、主観なのか客観なのか。
 当たり前のことだが、世界とは、私によって見られている世界である。それを見る私が存在するから、世界は存在するのである。私が存在しなければ、世界は存在しないのだから、私とは世界なのである。主観すなわち客観なのである。ここに脳の出番はない。
 脳内の客観的物理的過程が、どうやって主観的意識経験を生み出すのかと、科学者はもう長いこと悩んでいる。しかし、「客観的に説明すれば」、これこれの物理的過程であり、「主観的に経験すれば」、これこれの意識経験である。同一の事象をどちらの側から見るかという違いであって、そこに因果関係はないのである。」


 科学をどうしても信奉してしまうわれわれ庶民には、ものが「物理的」に存在する方がわかりやすく、「私」という存在も、脳として存在していると説明された方が確かにわかった気になります。世界は私だ、と言われても、なかなかわかった気にならないのが正直なところです。

 以前に立花隆さんが科学最前線でレポートしていたように、人間の意識そのものが脳内の電気信号にもし還元されるとすれば、ロボットにも心が宿る可能性がある、とわれわれは短絡してしまうわけですね。
 しかし、やはり池田晶子さんの言う通り、物質で精神は説明できません。例えば、脳内モルヒネが幸福感をもたらすとしても、幸福感そのものについて何の説明にもなっていないと言われれば、確かにそうです。

 何でも「物質」に還元して考えてしまうことから考え直さないといけませんね。